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2019年5月6日月曜日

世界的に有名な「大宮盆栽村」に行ってみた(2019年5月5日)― いまや世界的な存在の bonsai について考えてみる

(大宮盆栽美術館所蔵の推定樹齢1000年の蝦夷松「轟」 筆者撮影)


世界的に有名な「大宮盆栽村」(Omiya Bonsai Village)に初めて行ってみた(2019年5月5日)。

盆栽、というよりも bonsai は世界的に流行しているという話は、ニュースでもたびたび取り上げられている。「盆栽なんて古くさい」なんて固定観念をもっている一般的な日本人よりも、外国人のほうにこそ熱心な「盆栽ファン」がいるようだ。

「大宮盆栽村」は、東武野田線の大宮公園駅が最寄り駅なのだが、今回は茨城県古河市が旅のメインであるので、その帰途に立ち寄ることにしたので、JR宇都宮線の土呂(とろ)駅で下車してから歩いて10分ほどである。



土呂駅を出るといきなり道路にペンキでプレートが塗られている。英語で Welcome to Omiya Bonsai Village、日本語で「ようこそ大宮盆栽村へ」と書いてあるのは、2017年に World Bonsai Convention Saitama Japan が開催されたためのようだ。

「大宮盆栽村」の知名度は、海外でも高いのだろう。たまたま、5月3日から5日まで「大盆栽まつり」の期間中にあたっていたので、盆栽村あげてのお祭り状態であった。盆栽を求めて集まってきた日本人や外国人であふれていた。


(大宮盆栽美術館の入り口 筆者撮影)

かくいう私も、じつは小学生の頃、動物よりも植物好きで、しかも栽培大好き人間だったこともあり、盆栽を見るのも大好きだったのだ。小さな鉢に植わった巨大な盆栽。よくこんなものをつくるなあ、と。そんなことを思い出しながら、「大宮盆栽美術館」(Bonsai Art Museum)を見学し、盆栽村にある盆栽園をいくつか見て回った。

盆栽村は、明治時代になって団子坂(文京区)から移転してきた盆栽園の集積地帯(クラスター)なのだ。盆栽村の歴史が「企画展」で説明されていた。



(美術館の中庭の盆栽は写真撮影可 筆者撮影)

それにしても、樹齢100年の盆栽は当たり前、なかには200年や300年を越したものだけでなく、なんと推定樹齢1000年(!)もある(冒頭の写真のエゾマツ)というのは、ほんとに驚きだ。売っている盆栽ですら、100万円超の価格も当たり前まさに「生きたお宝」が盆栽である。


(盆栽園の前にて筆者撮影)

来客には外国人が少なくないが、盆栽園には外国人の盆栽職人も修行している。盆栽は、いや bonsai は、まさにグローバルなのだなとあらためて実感。

いまから30年ほど前のことだが、イタリアのシチリア島を旅したことがある。アグリジェントだったと思うが、古代ギリシアの遺蹟の近くで、強風のため曲がったオリーブの木をさしながら、イタリア人たちから「bonsai!」と声をかけられたことがある。

そのときは、「イタリア人がなぜ bonsai を知ってるのか?」と不思議な感じがしたのだが、考えてみれば、その当時から bonsai はヨーロッパで普及していたというわけなのだ。

マンガ(manga)にアニメ(anime)だけではない。盆栽(bonsai)もまた、世界中の人びとを魅了し、「日本ファン」に変身させる重要なアイテムの一つなのである。

ところが、盆栽は日本固有のものではない。ベトナムもまた同様だ。ベトナムには独特の「盆栽文化」があるのだ。


■「盆栽」といえば、中華文明の影響下にあるベトナムもまた

ベトナムのハノイにいくと、やたら目に付くのが盆栽だ。いたるところに盆栽があるのだが、もちろん東南アジアのベトナムは日本より樹木の生長が早いので、日本よりも比較的大鉢ものが中心だ。

だが、日本との大きな違いはそこにはない。ベトナムでは、盆栽の鉢にミニチュアの人形が複数配置されていることだ。道教風というのか、昔の中国風の衣装を着た仙人のようなミニチュアの数々。ストーリーのあるジオラマ風の展開だ。


(酒席を囲むミニチュア人形たち ハノイにて筆者撮影)

よく目にするだけでなく、あまりにも興味深いので、ハノイには仕事の関係で数回行っているが、目に付いた限りのベトナム盆栽の写真を撮っておいた。日本人の同行者がいても、ベトナム盆栽にはあまり関心がないようで、そのこともまた私には不思議でしょうがない。私には、面白くてしょうがないのだが。

また、正確にいうと盆栽ではないのだが、奇岩にミニチュア人形をあしらったものもある。下の写真では、笠をかぶった太公望が奇岩に腰掛けている。中国の奇岩趣味を発展させたのだろうか。


(奇岩にミニチュア人形を配したもの 筆者撮影)

ミニチュア人形つき盆栽は北部ではひじょうに盛んだが、南部ではかならずしもそうではないような印象を受けた。中国に近い北部のほうが盆栽は盛んなのだろうか? 


(南部のホ-チミン市内の植木屋・盆栽屋にて筆者撮影)

ベトナム盆栽は、「ホンノンボ」というらしい。そのことは、はじめてベトナムで盆栽を見たあとのことになるが、『ふしぎ盆栽ホンノンボ』(宮田珠己、ポプラ社、2007)という本で知った。

自分とおなじようなものに興味をもつノンフィクションライターが存在することに驚くとともに、うれしい思いをしたことを覚えている。ベトナム盆栽も、ベトナムでの名称ががわかると、なんだか安心もし、親しみも感じてくる。



フランス東洋学を代表するロルフ・ロスタンに『盆栽の宇宙』(せりか書房、1985)という本があるが、フランスの東洋学研究所が、当時はフランスの植民地であったベトナムのハノイにあったため、日常的に観察できることができたことも大きいのではないかと推察する。植民地時代に書かれたこの本では、ベトナム盆栽は「ヌイ・ノン・ボ」とある。



そもそも、盆栽のルーツは中国にあることは言うまでもない。奇岩を愛し、奇樹を愛する中国人の心性

これが、かつて中国文明の圧倒的影響下にあった日本で花開き独自の展開をとげ、おなじくベトナムでも同様に花開いて独自の展開をとげたという次第。ベトナム北部のハロン湾は、世界的に有名な奇岩が多数そそり立っている。

朝鮮半島にも盆栽はあるのだろうが、なぜか見たことはない。あったとしても、ごくマニア的な人にしか知られていない世界かもしれない。朝鮮半島は、公式な式典には盆栽が飾られる日本やベトナムとは、状況が異なるのだろうか? 

かつて1980年代初頭に、李御寧(イ・オリョン)氏が名著『「縮み志向」の日本人』で日韓の比較文化論を展開していたが、盆栽に代表されるミニチュアは、一般的な韓国人の趣味ではないのだろう。

いずれにせよ、くれぐれも、盆栽は韓国がルーツなどという「妄言」が吐かれることがないことを願うばかりだ。

また、おなじ東南アジアでありながら、中華文明の影響が濃厚なベトナムと、インド文明が基本のタイとの違いも、盆栽の存在の有無にあるといえるだろう。タイには盆栽はない。すくなくとも、私は見たことがない。

このように盆栽は、日本固有のものではないが、それでも日本の盆栽とベトナムの盆栽は、それぞれ個性的で、おなじものではない。シックな日本の盆栽は、ヨーロッパ人好みなのだろうな、と思う。






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2012年1月20日金曜日

『東南アジアを学ぼう ―「メコン圏」入門』(柿崎一郎、ちくまプリマー新書、2011)で、メコン川流域5カ国のいまを陸路と水路を使って「虫の眼」でたどってみよう!

大河メコン川流域の5カ国のいまを描いた入門書

本書は、陸路と水路で知る「メコン圏」、すなわち大河メコン川流域の5カ国のいまを描いた入門書である。

「メコン圏」に属するのは、メコン下流からさかのぼれば、ベトナム、カンボジア、タイ、ラオス、ミャンマー、そして中国である。つまるところ東南アジアの大陸部のことだ。

ちょっと古い表現をつかえば、インドシナ半島よりやや広い地域をさしている。いわゆるインドシナ諸国にタイとミャンマーと中国を加えた地域になる。

『東南アジアを学ぼう ―「メコン圏」入門』(柿崎一郎、ちくまプリマー新書、2011)は、おそらく出版社の意向で「東南アジア」がタイトルとしては全面にでたのだろうが、実際は「メコン圏」のみを扱ったものだ。

地続きではあるが、マレー半島のマレーシアとシンガポール、それに地域大国であるイノドンシアはいっさい登場しないので注意していただきたい。

タイが専門で鉄道ファンでもある著者は、鉄道が走っている場所は鉄道で、鉄道がない場所は高速バスで、メコン側は水路でと、さまざまな交通手段をつかって陸路を案内してくれる。

この地域の基本は、東西南北に走る縦貫道の存在。「東西回廊」と「南北回廊」が、メコン圏を貫く交通路である(・・下図を参照)。

「南北回廊」は、南はバンコクから北は中国の昆明(クンミン)にさかのぼって、東はベトナムのハイフォン(海防)にいたるルート。タイ、ラオス、中国、ベトナムの四カ国を横切るルートである。

「東西回廊」は、東はベトナムのダナンから、西はミャンマーのモーラミャインまで東西を貫くルート。ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマーの四カ国を横切るルートである。

本書で「南回廊」となっているのは、下図では「第二東西回廊」とされているもの。ベトナムのヴンタウ(・・ホーチミンのさらに下流河口)から、カンボジアをへてバンコクまで至るルートである。




わたしも、鉄道や高速バス、あるいは空路や経済ミッションなどの機会をつうじて走ったことがあるが、日本で想像するような快適なハイウェイとはほど遠いのが実態だ。

しかし、道がつながったということはきわめて大きな意味をもつ。とくに大河メコン川を、はしけではなく、そのままクルマで走って通過できるということは、まさに革命であろう。

メコン川は南北で人々を結びつけると同時に、東西では分断していたからだ。



「戦場から市場へ」と提唱されてから20年

帯には、「戦場から市場へ-「変化」と「活気」にあふれるメコン圏を見にいこう」ともある。

「戦場から市場へ」というのは、フランスの植民地であったインドシナを舞台にした二次にわたるベトナム戦争が終結し、「戦場」となったインドシナを「市場」に変えようと提唱した、1991年当時のタイの首相チャートチャーイのフレーズである。

このフレーズが提唱されてからすでに20年、当時はタイの通貨であるバーツが支配する「タイ・バーツ圏」が「メコン圏」を支配するのではと予想されていたが、現在では中国の人民元が着実に支配力を強めている。地続きのラオスだけでなく、3年前にはカンボジアの市場でも人民元をみた。

このように、ベトナム戦争が終結し、カンボジア紛争も終結して20年以上たつこの地域は、開発経済学の観点から GMS(=Greater Mekong Region:メコン圏)という概念がつくられ、「東西回廊」と「南北回廊」の構想とその実現によって、地域市場としての成長が期待されつつつつある。


中国(シナ)でもインドでもないインドシナ!

「中国、インドの次はココ!」と帯のキャッチコピーにはあるが、わたしとしては「中国、インドじゃなくてココ!」と言っておきたいものだ(笑)。

インドシナという表現でわかるように、この地域はインドとシナ(=中国)の二代文明が出会い、浸透している地域である。

基本は、タイ、ミャンマー、ラオス、カンボジアで支配的な上座仏教。すなわちインド文明の延長線上にある。これにヒンドゥー教の王権概念が支配原理となった地域だ。現在では、王制が残っているのはタイとカンボジアだけだが。

日本、朝鮮とならぶ中華文明の一つであるベトナムは、儒教・道教、それに大乗仏教という、わたしの表現では「中華文明の三点セット」が支配する地域である。現在では地理的概念としての東南アジアの一国と認識され、ASEANにも加盟している。「メコン圏」としての認識が高まれば、ベトナムはさらに中国からの遠心力が働くこととなるだろう。

地域大国としてのタイ、それに対抗すべく着々とチカラをつけつつあるベトナム。この二国が「メコン圏」のメジャープレイヤーだが、ますますプレゼンスを強めているのが中国である。中国との関係を抜きに「メコン圏」について語ることはできない。ここはまた、日本と中国の影響力行使競争の場でもある。

本をだしにして「メコン圏」について書いてみたが、ビジネスだけでなく、地域全体を知るという観点からの入門書として、大学生以上が読むと思い白い本になっているというべきだろう。

ぜひみなさんも機会があれば、空路でメガ都市とメガ都市のあいだ、メガ都市とリゾート地のあいだを跳ぶだけでなく、地を這うような旅も経験していただきたいものだと思う。タイはもう面白くなくなってきたので、ラオスあたりが面白いでしょう。

若ければバックパッカーの旅もまたよし、ということで。


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目 次        
序章 メコン圏とは?  
第1章 南北回廊(ハイフォン〜昆明〜バンコク)  
1. 紅河沿いの鉄道(ハイフォン〜昆明)
2. 山峡を貫く高速道路(昆明〜景洪)
3. メコンの川下りと新たな陸路(景洪〜チエンセーン・チエンコーン)
4. タイ族の南下ルート(チュエンセーン・チェンコーン〜バンコク)
第2章 東西回廊(モーラミャイン〜ダナン)   
1. タイを横切る道(モーラミャイン〜コーンケン)
2. 分断の川メコン(コーンケン〜サワンナケート)
3. アンナン山脈越えのルート(サワンナケート〜ドンハ) 
4. ハイヴァン峠を越えて(ドンハ〜ダナン)
第3章 南回廊(ヴンタウ〜バンコク)           
1. メコン・デルタをさかのぼって(ヴンタウ〜プノンペン)
2. 疲弊した鉄路(プノンペン〜バッドムボーン)
3. かつての国際鉄道(バッドムボーン〜バンコク)
4. 新たな海岸沿いのルート(プノンペン〜バンコク)
終章 メコン圏から見えること   
あとがき
参考にした主な本など

著者プロフィール   
柿崎一郎(かきざき・いちろう)         

1971年静岡県生まれ。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。横浜市立大学国際総合科学部准教授。タイを中心とするメコン川流域の交通網の発展や、バンコクの都市交通の整備に関する研究を進める。著書に、『タイ経済と鉄道-1885~1935年』(日本経済評論社、大平正芳記念賞受賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。





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・・ゴールデン・トライアングルの秘史

ベトナムのカトリック教会

書評 『地雷処理という仕事-カンボジアの村の復興記-』(高山良二、ちくまプリマー新書、2010)

カンボジアのかぼちゃ

『龍と蛇<ナーガ>-権威の象徴と豊かな水の神-』(那谷敏郎、大村次郷=写真、集英社、2000)-龍も蛇もじつは同じナーガである


P.S. ちなみにこの投稿で850本目の記事となりました。今年2012年内に1,000本目指します。なお、姉妹編の佐藤けんいち公式ブログとあわせると、1,055本書いたことになります。


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2009年11月23日月曜日

タイのあれこれ(17) ヒンドゥー教の神々とタイのインド系市民



(効験あらたかなエラワンプーム 筆者撮影)

 バンコクではヒンドゥー教の神々が非常に人気がある。

 ビルの敷地内に鎮座する万物の主である、四面をもった黄金のブラフマー像は、市内の至る所で目にすることになる。ブラフマー神像の前をとおるとき、たいていのタイ人は手を合わせていく。ブラフマー(=梵天)とは、ヒンドゥー教世界では最高神の一人で、世界の創造とその次の破壊の後の再創造を司る。

 ところで、バンコクはタイ語ではクルンテープ(Krunthep)という。

 実は正式名称はもっと長い。世界でもっとも正式名称が長い都市ということを聞いたことのある人も多いと思う。

 現王朝チャクリ(またはラタナコーシン)朝の初代国王であるラーマ1世が1782年にバンコク(クルンテープ)に遷都する際に名付けたものである。古都アユタヤがビルマ軍によって壊滅した後、紆余曲折をへて首都はチャオプラヤー川下流のバンコクに移されることとなった。

 その正式名称を、タイ語をカタカナ表記すると以下のようになる、とのことだ。Wikipedia の記載に少し手を加えて引用しておく。
(タイ語) クルンテープマハーナコーン ボーウォーンラッタナコーシン マヒンタラーユッタヤーマハーディロック ポップノッパラット ラーチャターニーブリーロム ウドムラーチャニウェート マハーサターン アモーンピマーン アワターンサティット サッカタッティヤウィッサヌカムプラシット

(日本語訳) インドラ神(≒帝釈天)がヴィシュヌカルマ神に命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、インドラ神の戦争のない平和な、インドラ神の卓越した宝石のような、偉大な天使の都

 日本語訳の最後にでてきた、"偉大なる天使の都"が、タイ語の"クルンテープ・マハナコーン"にあたる。通常はクルンテープ、またはクルンテープ・マハナコーンといっている。

 英語でいうと、City of Angels となる。カリフォルニア州の州都ロサンゼルス(Los Angels:LA エルエー)と同じ意味になる。LA は、もともとスペイン語の Los Angelos のことであり、BKK(=Bangkok の英語略称)と LA はもともと同じ意味になるわけだ。

 この引用でもうひとつ注目してもらいたいのが、バンコクはインドラ神が命じて作らせた、という記述である。インドラ神のヒンドゥー教では雷をあやつる神とされており、きわめて重要なポジションを占めている。バンコクでもっとも重要なヒンドゥー教の神がインドラ神である理由がここにある。

 タイは世界でも有数の仏教国じゃなかったの、と思われるだろうが、現在でも王室関係の重要な行事はすべてヒンドゥー教の司祭であるバラモンが主催するのである。

 政治の支配原理はクメール由来のヒンドゥー教の"王権神授説"であり、これはダンマラジャ(Dhammaraja)、すなわち王の法とよばれるものだ。王室と政府のシンボルである聖なる神鳥ガルーダは、ヒンドゥー神話に由来する。

 タイの国王は立憲君主であるが、憲法において絶対不可侵の存在と規定されている。これは何度クーデターが起こって憲法が新しく発布されても、いっさい変更のない事項であり、国王自身もいっさい否定していない。ここにいわゆる"不敬罪"が成立する法的根拠がある。

 国家支配原理としてのヒンドゥー教が一方にあるのだ。


 そしてまた一方には、一般民衆が現世利益(げんぜりやく)を求めて信仰する対象として、ヒンドゥー教の神々がある、という実態がある。

(参詣者の絶えないエラワン・プーム 筆者撮影)

 なんといってもバンコク市内ではエラワン(Erawan)がもっとも有名で、黄金のブラフマー神像を祀った祠の周りには、ひっきりなしに参拝客が訪れ、満願成就の感謝として踊り子による踊りが奉納されている。

 エラワンのブラフマー神像建立縁起には、1956年のエラワン・ホテル建設にまつわる悪霊退散伝説があり、都市伝説の類のようではあるが、効験あらたかな点にかんしては右に並ぶものがないとされている。タイ人がピー(霊)の存在を信じているためで、建設労働者ももちろん例外ではないのである。


 私もバンコクでの事業が成功したら、エラワン・プームで踊りを奉納するつもりだたのだが、残念ながらこの夢は幻と消えた。

(踊子の舞が奉納される 筆者撮影)

 ちなみに料金表によれば、踊り子2人の場合260バーツ、4人で360バーツ、6人で610バーツ、8人で710バーツである(2008年現在)。バーツ換算は1バーツ≒3円で計算すると相場がわかるだろう。

 華人や、関西人ならずとも験(げん)を担いでみてはいかがかな。

(ISETAN前の広場に鎮座する巨大なガネーシャ 筆者撮影)


 バンコク中心部にある ISETAN(伊勢丹)前の広場には、黄金の巨大なガネーシャの祠があり、ここにも参拝客が引きも切らず訪れ、思い思いに祈っている。象の姿をしたガネーシャはヒンドゥー教では商売繁盛の神様である。


(ヴィシュヌ神 筆者撮影)

また、バンコクの中心を東西に走るスクムヴィット通りには、極彩色に塗られた若きヴィシュヌ神の祠があり、ひときわ人目をひく。正直いってギョっとする印象を受けるのは私だけではあるまい。この像にも多くの人が前をとおるときに手を合わせている。

(ラチャダー交差点のヒンドゥー寺院 手前に「黄金の牛」 筆者撮影)

 ここで知られざるヒンドゥー神像の礼拝堂が、バンコク北部のラチャダにあるのを写真で紹介しておこう。 おそらくこの礼拝堂をみた日本人はあまりいないと思う。そもそもあまり関心ないだろうし、ラチャダに来る目的は男性の場合、非常に限定されているからだ。

 キンキラキンに輝くヒンドゥーの神々が、ブラフマーからヴィシュヌ、ガネーシャ、黄金の牛・・・と天こ盛りになったこの礼拝堂は、タイ人のものであってインド人のものではない。バンコクとインド人との関係はどうなっているのだろうか?

 バンコクには、インド人コミュニティがある。ただし、バンコクに居住するインド人は、ヒンドゥー教徒ではなく、ターバンを巻いたシク教徒が大半を占める。タイのインド人』(佐藤 宏、アジア経済研究所、1995)という本によれば、タイのインド人は大半がバンコクに住み、パンジャーブ地方出身者が中心であるという。ビジネスとしては繊維とアパレル産業が中心で、バンコクのテーラーにはシク教徒のインド系住民か、パキスタン人などが多い。私も過去何回かシク教徒の店でスーツやワイシャツを作ったことがある。

 シク教徒は、現在のインドの首相マンモハン・シンにあるとおり、すべて名字がシン(Singh)となる。シンとはシンガポールのシンガであり、ライオンの意味である。

(バンコクの巨大なシク教寺院)

 シク教は、ヒンドゥー教とイスラームの教義をあわせて15世紀にできた比較的新しい宗教である。

 バンコク旧市街にあるタラート・パフラート(Talat Phahurat)は、パフラーート市場とも呼ばれており、バンコクにおけるインド人の一大コミュニティとなっている。中華街であるヤワラートにも近接している。

 そこには、巨大で壮麗なシーク教寺院シュリ・グル・シン・サバー(Sri Guru Singh Sabha)があり、非常に驚かされる。神戸にあるシク教寺院は比較的こじんまりとしたものなので、それとは比べものにならないほど大きい、これほどの寺院を建設維持できるだけの財力が、インド人コミュニティにはあるということでもある。

(シク教寺院の正面入り口)


 結論としては、バンコクにあるヒンドゥー教がらみの祠や礼拝堂は、タイ人によるタイ人のためのものがほとんどであって、インド人のものはきわめて少ないと考えていいようだ。

 面白いことに、仏教も、ヒンドゥー教も含め、これだけインド文明の影響をうけ、インド系の神々も拝むタイ人であるが、実際のインド人は好きではないということだ。

 バンコクのナーナー地区にはアラブ系の人間が集まっているが、インド系も集まっているが、アラブ系に類する存在としてタイ人から認識されているような印象を受ける。タイから見ると西方にある南アジアと西アジアは同じカテゴリーなのかもしれない。

 儒教・道教・大乗仏教の"中華文明三点セット"を受容しながら、遊牧民の文化である去勢をともなった宦官という制度を導入しなかった日本とも共通するマインドセットがあるのかもしれない。
 インド文明という高度文明の上澄みだけを取り入れても、自分たちの肝心な基層部分は何も変化させず、しかもカースト制を導入しなかったタイ。


 基本的にタイには、ピーとよばれる精霊信仰があり、ピーを祀った祠がいたるところにある。また樹木信仰もあり、色とりどりのカラフルなリボンをまいた古木におかれた祠には、人々が寄進したミニチュア人形が無数に置かれている。ミニチュア人形を寄進して祈願するのである。

(タイ人民間信仰である精霊信仰と樹木信仰)

 近代化の進んだ大都市バンコクでは、より新しい、ヒンドゥ教の神々が流行しているとみることもできよう。一般大衆は、つねにより効験あらたかな神々を求めるものである。
 
 人が何を信じているかを知ることはきわめて重要である。何を信じるかによって思考のフレーム(枠組み)が決定され、ある程度まで外部から思考行動パターンを読むことが可能となるためだ。たとえば、キリスト教と、イスラームと仏教では自ずから思考の枠組みが異なる。

 その意味で、人が何を信じているかを知ることは、その人のアタマの中身を知る上できわめて有用な"実学"である、と私は考えている。

 このため、タイでタイ人と仕事をするにあたって、タイ人が何を信じて日々生きているかに多大な興味をもって自分なりに研究してきた。

 もちろん、『タイ人と働く-ヒエラルキー的社会と気配りの世界-』(ヘンリー・ホームズ/スチャーダー・タントンタウィー、末廣 昭訳・解説、めこん、2000)のようなすぐれた名著もあるが、タイ人の行動パターンの背景にある思考パターンを知るためには、彼らが信じる宗教についてある一定以上知っておく必要がある。

 ノウハウ本も重要だが、その背景にあるものを知りたいためである。これはタイ人には限らない。異文化経営のために必要な作業である。


 私自身はその分野の専門研究者ではないので知識と理解度には限界はあるが、タイ人の信仰のカタチを見るのは実に興味深い。

 機会があれば、もう少し突っ込んで研究してみたいテーマではある。



 

             


<関連サイト>

首都バンコクにおけるヒンドゥー教の舞台: 都市部タイ仏教徒空間の儀礼的スペクタクルと宗教多元主義(Erick White (Cornell University), Issue 19, Kyoto Review of Southeast Asia, March 2016)
・・おもしろい記事を見つけた。同じような観点から関心をもっている研究者が米国に入るようだ。

(2017年10月25日 項目新設)


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「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)                   
     
「ナマステ・インディア2010」(代々木公園)にいってきた & 東京ジャーミイ(="代々木上原のモスク")見学記

「無憂」という事-バンコクの「アソーク」という駅名からインドと仏教を「引き出し」てみる

(2014年2月17日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)








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