いきなりイコノクラスト(=偶像破壊)的発言をするが、M.B.A.(経営学修士)は「打ち出の小槌」でも、「魔法の杖」でもない。
わかっている人にはわかっている話であって、とくに目新しい話でもなんでもないが、あえてこのテーマを取り上げてみた。
では、M.B.A. とはいったい何なんだといわれれば、日本の大学法学部のようなものだ、と答えておこう。法科大学院のロースクールではなく、あくまでも大学学部の法学部。
そのココロは?
ずばり、つぶしが効く。その一点のみである。
■米国のプロフェッショナルスクール(専門大学院)とビジネススクール(経営大学院)
M.B.A.は Master of Business Administration の略、日本語でいえば経営管理学修士号である。この学位を授与する高等教育機関のことをビジネススクール(Business School)と米国でいっている。
日本ではビジネススクールといえば専門学校のネーミングに多いが間違わないように(笑)。経営大学院とするのが日本語訳としては適当だろう。
ビジネススクール(経営大学院)やロースクール(法科大学院)、メディカルスクール(医療大学院)といった大学院レベルの実務教育のことを、米国ではプロフェッショナルスクール(professional school)という。日本では文部科学省による専門大学院という名称が定着した。ほんとうは特化型大学院のほうが実態にあっているのではという声があったが、すでに定着した訳語なので不問にする。
米国では、学部まではリベラルアーツ教育に徹し、マネジメントや法律や医療などの専門的職業の教育は、専門大学院において専門教育を行うことが一般化している。
リベラル・アーツは日本では教養教育と訳されているが、もともとは西欧中世の「七自由学芸」のことだ。神学を勉強するための前提とされたものである。
専門大学院の起源がキリスト教の牧師養成を目的にしたディヴィニティスクール(Divinity School: 神学大学院)が出発点にあるのが、米国らしい。この件については、ハーバード・ディヴィニティ・スクールって?-Ari L. Goldman, The Search for God at Harvard, Ballantine Books, 1992 という文章をこのブログに書いているので参照されたい。
米国でも、ロースクールを卒業したら自動的に弁護士資格を取得できるわけではなく、メディカルスクールを卒業したら自動的に医師免許が取得できるわけではない。別途に資格試験を受験する必要がある。だが、これらの専門大学院を卒業する程度の勉強をしていないと試験には合格しない。専門教育がこれら専門大学院でないと受講できないからだ。
これは牧師も同様である。
■米国のビジネス教育とリベラルアーツ
これに対してビジネスの世界は、公認会計士などの資格はあるが、資格ができないと仕事ができないのは、弁護士や会計士などの資格取得が前提とされるだけで、ビジネスパーソンがマネージャーとして活躍したり、経営者として活躍したり、起業家として活躍するのに、資格はまったく不要である。
ここが、その他の専門大学院での教育との違いにも反映している。ビジネススクールを卒業したからといってマネージャーになれるわけではないし(・・ただし米国の場合は早道ではある)、経営者になれるわけでもない。
このため、ビジネススクール(経営大学院)は、「ビジネスのリベラル・アーツ」ともいわれている。
ビジネススクールでは、たとえ主専攻がファイナンスであろうが、マーケティングであろうが、まずまんべんなく全ての科目を履修することが求められる。全体を視野に入れたうえで、個別の専門を研究すべしという姿勢が一貫している。ビジネススクールも例外ではない。
これは米国のリベラルアーツ教育の根本姿勢である。
しかし M.B.A.を取得するのは思うよりもたいへんだ。間違いなく意思と忍耐のチカラが必要である。これは私の実感である。
ハーバード・ビジネススクール(HBS)など、米国ではビジネス界のウェストポイントとさえ言われることがある。陸軍士官学校のことだ。
ハーバード・ビジネススクールが米国社会における位置は、あえて言えば東大法学部が日本社会にもつ者に近いといっていいだろう。
HBS の場合は官僚になる者はきわめて少ないので単純比較はできないが、HBS の卒業生がすべてビジネス社会にいくわけでなく、ソーシャルビジネスや NPO の世界に進んだりもしている。ビジネス界にかんしても、投資銀行やコンサルティングの世界だけではなく、製造業も含めて、まんべんなくすべての業種業界に進んでいる。
HBS の卒業生は引く手あまたであり、その意味では「つぶしがきく」のである。その点は、東大法学部と同じである。
■「日本の常識は世界の非常識」(竹村健一)
「M.B.A.を持っていても、実際の経営はできない」。
このようにクチにする経営者、とくに中小企業の経営者は少なくないが、まったくそのとおりである。M.B.A.が「打ち出の小槌」でも、「魔法の杖」でもないことには、まったく異議なしである。
M.B.A. はそもそも学位であって資格ではないし、経営には資格はおろか学位も必要不可欠ではない。必要条件ですらない。
だが、私としては、米国であれ、日本であれ、また中国や東南アジアであれ、フルタイムでもパートタイムでもいいから、ビジネススクール(経営大学院)を卒業して M.B.A.を取得することはぜひ推奨したい。
例外は日本だけなのである。ビジネススクール(経営大学院)は日本の法学部のようなものだといえるのは。
かつて評論家の竹村健一は「日本の常識は世界の非常識」と断言していたが、学位のもつ社会的な意味については、現在でもまだまだこの発言は死んでいない。
日本社会もビジネス界も変化の最中にあるが、日本を出れば M.B.A.の威力はきわめて大きいことはすぐにわかるはずだ。アジアではどの国でもリスペクトされることは間違いない。いやもっていて当然の学位なのだ。
国連などの国際機関でも、M.B.A.を含めたマスター(修士号)以上の学歴が資格要件のなかに入っている。
日本の外で仕事する必要のあるビジネスパーソンは、ダマされたと思って絶対に M.B.A.取得を目指してほしいと思う。
M.B.A.こそが、国際社会では「つぶしがきく」のである。モノを言うのである。
なぜなら、ビジネススクール(経営大学院)で学ぶ「共通言語」は、世界中で通用するからだ。
その「共通言語」とは、英語と数字、この2つである。
<ブログ内関連記事>
アジアでは MBA がモノを言う!-これもまた「日本の常識は世界の非常識」
書評 『私が「白熱教室」で学んだこと-ボーディングスクールからハーバード・ビジネススクールまで-』(石角友愛、阪急コミュニケーションズ、2012)-「ハウツー」よりも「自分で考えるチカラ」こそ重要だ!
書評 『ハーバードの「世界を動かす授業」-ビジネスエリートが学ぶグローバル経済の読み解き方-』(リチャード・ヴィートー / 仲條亮子=共著、 徳間書店、2010)・・ハーバードビジネススクール(HBS)の エグゼクティブ向けの AMP (上級マネジメントプログラム)について
ハーバード・ディヴィニティ・スクールって?-Ari L. Goldman, The Search for God at Harvard, Ballantine Books, 1992
・・わたしはこの大学のMBAコース(MOT)を卒業しました
『レッド・オクトーバーを追え!』のトム・クランシーが死去(2013年10月2日)-いまから21年前にMBAを取得したRPIの卒業スピーチはトム・クランシーだった
書評 『この国を出よ』(大前研一/柳井 正、小学館、2010)
書評 『海外ビジネスを変える英文会計-経営の判断力が身につく!-』(木幡 幸弘、インテック・ジャパン監修、エヌ・エヌ・エー、2010)
・・英語と数字はビジネスの「共通言語」
(2012年7月3日発売の拙著です)
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