先日のことだが、東京都内で行われた「シンプルプレゼンのテクニックセミナー」の公開収録に参加した。これから出版予定の本の付録となるの DVD の収録を兼ねたものである。
セミナーは、ガー・レイノルズ氏による、アップル社のスティーブ・ジョブズ流のプレゼンテーションのテクニックと禅のシンプルさを癒合したということがウリである。レイノルズ氏は日本で日本企業に勤務した経験ももち、日本語も堪能であるが、この日はほぼすべて英語で行われた。
プレゼンというよりも、ほとんどワンマンショーといってもいいような、構成がしっかりとした、よく練れたセミナーで、よく準備もされていた2時間のセミナーであった。セミナーもエンターテインメントの一種だなと感じさせるものであった。
早口でよどみのない英語で終始していたが、プレゼン資料とのフィットも問題ない。途中何回か隣に座っているひととワークショップらしきものもセッションとして行う。2時間の長丁場とはいえ、最初から最後まで眠っているヒマはない。
セミナーのなかでレイノズルズ氏が触れていたが、プレゼンにおいて次の 6つの法則が重要だという。
1. 単純明快である (Simple)
2. 意外性がある (Unexpected)
3. 具体的である (Concrete)
4. 信頼性がある (Credible)
5. 感情に訴える (Emotional)
6. 物語性 (Story)
頭文字をつなげて 「SUCCESs(サクセス)の法則」というのだが、まあ、うまくできているといえばそのとおりだ。まったく異議はない。
『アイデアのちから』(チップ・ハース/ ダン・ハース、飯岡美紀訳、日経BP社、2008)に紹介されているものだ。
私はこの「法則」の存在そのものは知らなかったが、この「法則」を踏まえてプレゼンを行ってきた。今後はより意識してプレゼンを行いたいと思う。
アップル社の創業者スティーブ・ジョブズ流のプレゼンは、まさにこの法則にあてはまるものだ。真の意味でカリスマ的なジョブズのプレゼンは、ほとんど神業(かみわざ)に近い。
■スゴすぎるプレゼンも問題があるのではないか?
だがちょっと待てよ、ふと冷静になって考えてみる。
誰もがこんなすばらしいプレゼンができるわけないし、その場では興奮の渦に巻き込まれてしまうが、時間がたつとそのときの興奮は冷めてくるものだ。そのとき、立ち止まって考えてみることが必要だろう。
何ごとも「過ぎたるは及ばざるがごとし」という孔子のコトバが想起されてくる。
「過ぎたるプレゼンは及ばざるがごとし」???
テレビショッピングではなぜ「ジャパネットたかた」が売れるのかも同時に考えてみたい。
高田(たかた)氏のしゃべりは、正直いって流暢とはほど遠い、むしろ訥弁に近い長崎弁まじりのしゃべりは、一見したところなぜこの人のしゃべりで人はものを買うのか、と思ってしまう。
だが、見るからに誠実そうな印象を与えていることもまた確かである。
テレビショピングがたかた氏とは反対に、情熱的に、饒舌にしゃべりすぎるものが多くて、ウサン臭いと本能的に感じてしまう視聴者が少なくないことを示しているのではないか?
雄弁必ずしも金(キン)ならず、である。
たかた氏の事例が示しているものは、セオリーに従うよりも、「自分」の個性をそのまま出したほうが訴求力があるということではなかろうか。
よく言うじゃないですか、ほんとうにクルマを売っているセールスマンは、自分は饒舌(じょうぜつ)にしゃべることなく、ひたすらお客さんの言うことに耳を傾け、頷いている時間のほうが長い、と。
全ての人がスティーブ・ジョブズになれるわけではない。また、なる必要もない。あなたは、あなたのままでいいのだ。ただし、最低限のルールを守る必要があるのことは言うまでもない。
■どんな話であれ「自分」を全面的に出したほうが、人はその話に耳を傾けるものだ
「自分」を全面的に出す。
「自分」の体験をからめて話をする。
これはけっして自慢話ではない。
あくまでも「自分」というフィルターをつうじた話のほうが、相手につたわりやすいからだ。わたしといいう「自分」のフィルターを通過した話が、あなたという「自分」のフィルターを通過する。
そこに「共感」があれば、話は伝わるし、「共感」がなければ、その話はスルー(=素通り)してしまうだけだ。
「自分」を出す際には、自分のプロフィールもできるだけ公開したほうがいい。人前で話すときには当然おことながら「匿名」ということはないだろうが、ツイッターやブログでも「実名」を出して、簡単なプロフィールを明らかにしたほうが、文章を読む側の信用度は高い。
また、「自分」が何者であるかを示すことによって、自分の話の「限界」も示すことができる。どんな話であれ、「自分」の話は主観的なものであり、同じ現象を見て叙述しても、ものの見方や表現力の違いによって、話す内容や書いた内容には当然のことながらバイアスが存在するからだ。
すべてのケースにあてはまるかどうかは、話し手ではなく聞き手の側が、自分に照らし会わせて判断すべきことだからだ。聞き手の側に受け入れる素地があれば共感するし、そうでなかったら居眠りしてしまうかもしれない・・(ほんとうに眠いときもある)。
ここに書いたことは、ブランド力のある有名人の発言にもあてはまる。すべては受け取り側の、話し手に対する「共感の度合い」で決まってくる。全面的に信用する人、発言ごとに共感する人、やや懐疑的に受け取る人、全面否定する人、無関心な人。受取側で反応はさまざまだ。
またいわゆる「ポジショントーク」についても言えることだ。ポジショントークとは、ある特定の銘柄を推奨する投資評論家によく観察されるもので、自分の有利な方向に導こうとする姿勢があまりにもチラつく話のことである。
だが、この場合も、誰の発言であるかは「実名」でわかるので、投資の判断はあくまでも、受け手がその発言をどう使うことにかかっている。よほど酷い内容でない限り、受け手の自己責任の要素は大きい。
「自分」を出し過ぎると、聞く側が引いてしまったり、ウンザリしてしまうことは多々ある。ついついしゃべりすぎてしまいがちな人にありがちなミステークだ。 だが、どんな発言であれバイアスから逃れることはできないとはいえ、これまた「過ぎたるは及ばざるがごとし」である。
要は、なにごともバランスであろう。
■「実名」 か 「匿名」か、それが問題だ!
「実名」 か 「匿名」か、それが問題だ。これはネット世界ではきわめて重要な問題である。米国とくらべて匿名での書き込みの多い日本の状況について、よく言及されることである。
しかし、答えはすでに出ている。
「匿名」よりも「実名」のほうがいいのは、ここまで説明してきたことで明らかだろう。どんな話であれ「自分」を全面的に出したほうが、人はその話に耳を傾けるからだ。
ペンネームで活動している人は、ペンネーム自体がアイデンティティになっているので、ベストではないがセカンドベストとは言えるだろう。ここでいうペンネネームとは、ネット上のハンドルネームのことではない。
もちろん「匿名」のメリットは大きいことは否定しない。この頃、日本全国で流行るタイガーマスクの贈り物ではないが、どうしても覆面(マスク)でなければでいない行為もある。
売名行為と受け取られないためには「匿名」は必要だ。また、最近世の中をゆるがせているウィキリークスなども、情報提供者の安全が守られなければならないので、「匿名」は不可欠であろう。
ただ、この国では、ネット世界での「匿名」による、やや責任を欠いた放言が多いような気がしなくもない。
この点、最近日本でも参加者が増え始めた世界最大の SNS「フェイスブック」においては、「実名」が原則であり、プロフィールと顔写真の公開も強く推奨されている。
日本語に直訳すれば「顔本」となるフェイスブックは、あくまでも「実名」によるコミュニケーションを推奨するものだ。「実名」で「自分」を出しているからこそ、社交(ソーシャル)においては、信頼度が増すわけだ。
フェイスブックの発展は、「実名」公表をためらうマインドブロックをいかに破るかにある。期待しているのは就活の大学生、それに独立予備軍だ。日本が個人中心の社会になるためには「実名」化が大きなカギになる。
日本も早く「実名」社会になることを望みたいものだ。自立して、自律した個人を基礎とする社会の実現には、「実名」化が不可欠だと思うからだ。ただし、プライバシー情報のセキュリティには十分工夫することが必要である。
フェイスブックの創始者マーク・ザッカーバーグは I'm trying to make the world a more open place. と言っている。日本が「より開かれた世界」になるためには「実名」化が不可欠だ。
どんな話であれ「自分」を全面的に出したほうが、人はその話に耳を傾けるものだ。話が面白いかつまらないかは相手が決めるものだし、その相手との関係性で決まってくることでもある。自分が面白いと思ってもウケないこともあるし、その逆もまたある。
だからこそ、できるだけ「実名」も「顔写真」も「プロフィール」も公開して、「自分」を全面に出したほうが、人と人との「つながり」も信頼性をもとにした実り多きものとなるだろう。さらに多くの人が発言に耳を傾けるようになるだろう。
すべての人が、スティーブ・ジョブズやマーク・ザッカーバーグのような超有名人ではないし、目指す必要もない。等身大の、身の丈にあった「自分」に「自信」をもって生きていけばよいのである。
「自分」は「自信」と裏腹の関係にある。「自信」とは「自分」が「自分」を「信じる」ということだ。「自分」が「自分」を「信頼する」ということだ。英語でいうとセルフ・コンフィデンス。
少しの「勇気」をもって「自分」を出すことで、同時に「自信」も深めていってほしいと思う。
最初の一歩を踏み出すかどうかは、あなたという「自分」の「意識」次第である。
<関連サイト>
【セミナー維新 志縁塾】(1)研修はエンターテインメントだ・・志縁塾の大谷由里子氏の特集。吉本興業の大卒女子入社一期生。「研修には笑いが重要、講師は個性を消すなが持論」というのには「共感」する。
<ブログ内関連記事>
■「地頭の良さ」は「自分」を知って深掘りすることから始まる(シリーズ)
「地頭」(ぢあたま)について考える (1) 「地頭が良い」とはどういうことか?
「地頭」(ぢあたま)について考える (2) 「地頭の良さ」は勉強では鍛えられない
書評 『ヒクソン・グレイシー 無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー、ダイヤモンド社、2010)-「地頭」(ぢあたま)の良さは「自分」を強く意識することから生まれてくる
「修身斉家治国平天下」(礼記) と 「知彼知己者百戦不殆」(孫子)-「自分」を軸に据えて思考し行動するということ
「地頭」(ぢあたま)を鍛えるには、まず「自分」を発見すること。そのためには「履歴書」の更新が役に立つ
思考と行動の主体はあくまでも「自分」である。そして「自分」はつねに変化の相のもとにある
「自分のなかに歴史を読む」(阿部謹也)-「自分発見」のために「自分史」に取り組む意味とは
『サリンとおはぎ-扉は開くまで叩き続けろ-』(さかはら あつし、講談社、2010)-「自分史」で自分を発見するということ
I am part of all that I have met (Lord Tennyson) と 「われ以外みな師なり」(吉川英治)
自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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