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2024年1月20日土曜日

書評『福田村事件 ― 関東大震災・知られざる悲劇』(辻野弥生、五月書房新社、2023)― 集団内部での「同調圧力」が「集団狂気」に変わったときに起こること

 


「福田村事件」とは、千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)でいまから100年前の1923年9月6日に起こった事件のことだ。

福田村は鬼怒川が利根川に合流するあたりで、利根川左岸に位置している。千葉県と茨城県の県境に近い。

震災後の流言飛語から生まれた自警団が暴走し、不安心理と興奮状態にある集団内で発生した同調圧力が集団狂気に変わり、日本人の集団が有無を言わさず虐殺された事件である。

関東大震災(1923年9月1日)は、大規模自然災害にとどまらない。官憲が無責任にも公表した虚偽情報が核となり、それが流言飛語となってあっという間にクチコミで民間に拡散したことで悲劇が生まれたのである。 

悲劇の中心はいうまでもなく「朝鮮人虐殺」である。だが、虐殺されたのは朝鮮人だけではない。中国人もそうであり、また大杉栄など日本人の無政府主義者も含まれていた。 

忘れてはならないのは、というよりも忘れられてきたのは、いやそれもまた正確ではない、意図的に隠蔽されてきたのは、それ以外の日本人も虐殺の被害にあっていたという知られざる事実だ。そのひとつが「福田村事件」である。 

先にもみたように、香川県の被差別部落からきた薬売りの行商人グループが朝鮮人と誤認され虐殺された事件である。殺気だった自警団によって、15人のうち10人が無残にも殺害され、死体は利根川に投棄されたという。 

恐るべき事件である。おぞましい事件である。無実の人たちが、有無を言わさず惨殺され、しかも死体が遺棄されたのである。遺骨収集もかなわなかったのである。 

恐るべき事件であったことは、被害者たちにとっては言うまでもない。だが、加害者の側にとっても、その後は思い出したくもない、考えたくもない事件であったのだ。

だからこそ、長年にわたって語られることもなく、当事者の世代が消えたあともなお、知られることもなかった事件なのである。 


■『福田村事件 ー 関東大震災・知られざる悲劇』は読み継がれるべき本

本書『福田村事件 ー 関東大震災・知られざる悲劇』は、昨年から千葉県内のリアル書店では平積みにされていたが、関心外のこととして無視してきた。

だが、これはそういうことではいけないと気づいたのは、たまたまWikipediaなどで関連情報を読み込んで驚愕の事実を知った昨日のことだ。さっそくリアル書店で購入して通読したのである。

関東大震災100年を前にした昨年2023年7月の初版だが、わたしが購入した時点ですでに5刷(2023年10月)となっている。かなり読まれているようだ。amazonのレビューも多数にぼっている。(*なお、第3刷で本文の一部が書き直されたようだ)。

事実を事実として語らせるという抑えた筆致が、かえって事件の恐ろしさを浮かび上がらせる。 そんな本である。

流言飛語の核となったのは官憲による虚偽情報である。フェイク情報である。これがあっという間に流言飛語として口伝えに拡散し、個々人が抱える不安心理が集団のなかで増幅し、同調圧力が常軌を逸した集団狂気となって虐殺を引き起こしたのである。恐るべきメカニズムである。 

まさにSNSで現に起こっている事態であり、独りよがりな「正義感」にもとづく批判中傷の発言がネット上の集団リンチ状態を引き起こし、バッシングの対象となった被害者が精神的に追い込まれて自殺するなどの悲劇が後を絶たない。

だが、はたして21世紀の現在、このメカニズムはネット上だけにとどまらないのではないか?

事件の舞台となったのは100年前の日本の一農村だが、つい3年前の2021年にはトランプ主義者たちによる「米国議会議事堂襲撃事件」などが起きていることを考えれば、けっして過ぎ去った過去の話だとは思えない。この事件では死者もでている。いつどこで起こっても不思議ではないのだ。 


(映画『福田村事件』予告編)



■「福田村事件」を知るためには「朝鮮人虐殺」についてしらなくてはならない

本書『福田村事件』は、「福田村事件」だけを取り上げたものではない。

この事件を考えるための前提としての「朝鮮人虐殺」について、千葉県流山市在住の著者はとくに千葉県北西部の状況について取り上げている。もともと本書は、千葉県の地方出版社である崙書房から2013年に初版が出版されている。崙書房は廃業していまはない。

「朝鮮人虐殺」が集中的に発生したのが東京の下町に該当する地域だが、首都圏全体で虐殺が行われていた。本書では、江戸川をはさんで対岸にある千葉県北西部の事例が重点的に取り上げられている。利根運河の改修工事や、北総鉄道(現在の東武野田線)の建設現場に朝鮮人労働者が多数働いていたことも本書ではじめて知った。

「朝鮮人虐殺」という事実そのものは知っていても、その詳細までは知らなかっただけでなく、ふだん身近に接してきた土地でそんな蛮行が行われていたことを、いまのいままでまったく聞いたこともなかったこと、文字で読んだことすらなかったことに、おおきな衝撃を受けている。無知を恥じるばかりである。

「福田村事件」は長年にわたって「隠蔽」されてきた。著者自身もまったく知らなかった事件だという。ぜひ活字にしてほしいと頼まれて調査を行い、この事件を掘り起こして書籍化までもっていったのが、10年前にでた『福田村事件』の初版である。

関係者の証言を取ろうにも、ことごとく拒否されたり、取材そのものがたいへん困難なものだったようだ。その事実じたいが、この事件について考える材料になる。そのため、著者は当時の新聞記事を丹念に調べ、すでにおこなわれているさまざまな調査を重ね合わせて、慎重に事実の検証を行っている。

事件からまだ100年しかたっていないのである。100年もたっているのではない。100年しかたっていないのである。100年は3世代でしかないのである。加害者たちとその子孫たちも内心で思うこともあるのだろう。だから、事実を見つめてことばにすることを心理的に拒否する理由はわからなくもない。

被害者を追悼し、被害者のプライバシーを守るのは当然だ。それとは意味が違うが、加害者たちやその子孫たちを非難したところで意味はない。恩讐の彼方で、ノーサイドの立ち位置から、虐殺が行われたという「事実」そのものをしっかりと見つめることが重要なのだ。

事件から 100年たった現在、いま生きているわれわれにとって重要なことは、この事件について知り「教訓」を今後に活かしていくことである。 まずはこの「黒歴史」を知ることがなによりも大事なことだ。

それは戒厳令下で治安出動を行い、朝鮮人虐殺を先導した帝国陸軍の習志野騎兵隊もまた例外ではない。日露戦争における栄光だけが、その歴史ではない。 光と影の両面を見なくてはならないのだ。

習志野騎兵隊の治安出動については、吉村昭氏の『関東大震災』でも取り上げられていたので知っているが、治安出動に参加を命じられた騎兵の立場から書かれた、プロレタリア作家・越中谷利一(1901~1970)による「戒厳令と兵卒」(1928年)のことは、本書ではじめて知った。亀戸駅付近の状況が、検閲による「×」の伏せ字だらけのまま本書に引用されている。(・・ただし、復元された文章も併記されている)。

「シベリア出兵」の出征体験をもつプロレタリア作家・黒島伝治(1898~1943)は、兵士の視点からみた「渦巻ける烏の群れ」などのシベリア戦記が岩波文庫に収録されているので比較的知られている。

シベリア出兵(1918~1925)は、ちょうど関東大震災をはさんだ同時期にあたる。越中谷利一のことはまったく知らなかった。埋もれているのはまったくもって残念なことだ。ぜひ岩波文庫などで復刻してほしいものだ。


とはいえ、「福田村事件」について考える際に重要なことは、けっして日本社会特有の事象と捉えるだけにとどまってはいけないことだ。集団となったときの人間心理と人間行動について、厳しく見つめることが必要である。

同調圧力が生じやすい集団のなかで、いかに個としての正気を保つか。冷静さを維持できるか。きわめて困難な課題であるが、避けてとおるわけにはいかないのである。 つねに意識しなくてはいけないのである。


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目 次 
はじめに ー 増補改訂版刊行にあたって 
第1章 マグニチュード7.9の大地震 
第2章 天災につけこんだ人災 
第3章 福田村の惨劇 
第4章 追悼に向けて 
おわりに ー 旧版出版から映画化まで 
特別寄稿 『A』『A2』から『福田村事件』へ(森達也) 
福田村事件関連資料 
主な参考文献


著者プロフィール
辻野 弥生(つじの・やよい) 
1941年、福岡県生まれ。香蘭女子短期大学卒業。流山市立博物館友の会会員。福田村事件の論考を発表。北野道彦賞受賞。


<関連記事>

◆著者インタビュー記事






◆関連記事

・・「大震災による混乱の中、流言飛語により県内でも八千代市や船橋市、習志野市、市川市など各地で住民や自警団、軍人が朝鮮人を殺傷。合わせて三百数十人が殺害されたといわれる。」

・・「大震災から101年目となった1日、船橋市営馬込霊園であった追悼式。実行委員会が主催し、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)県西部支部常任委員会が主管した。霊園内の一角には、一枚岩の「関東大震災犠牲同胞慰霊碑」(台座を含め高さ約4メートル)などが建立されている。
当時は船橋市から北の鎌ケ谷市にかけて鉄道敷設工事が行われ、多くの朝鮮人労働者が働いていた。大震災発生後、朝鮮人にまつわるデマが飛び交い、船橋、市川市などで自警団や住民らによる虐殺が相次いで発生。
同支部の資料によると、遺体は船橋市内の墓地に埋めたとされ、慰霊碑が建てられたものの、墓と慰霊碑を現在地に移すことになった63年、碑近くを掘り起こしても遺骨はなかった。行方を探すうちに火葬場近くの田んぼに埋められたことが分かり、掘り出した遺骨は約100体に達したという。
遺骨は現在の慰霊碑区画内に埋葬した。碑の裏面には、虐殺の経緯とともに「犠牲同胞の怨恨(えんこん)は実に千秋不滅」などと刻まれている。」

・・「市川さんは「100年の節目の昨年、映画の公開もあり多くの人が関心を持った」と振り返る。 一方、事件の周知は進んだが、真相を知る「認知」までは途上と課題も指摘する。 昨年公開された事件と同名タイトルの劇映画「福田村事件」について、市川さんは企画段階で製作側に協力した。しかし完成した内容は「行商の人などの描き方がひどい」と憤慨する。 具体的には、行商人らしくない服装や、効果のない薬を売りつける場面、自ら被差別部落出身であることを語る場面などが史実と異なるという。 行商団は香川県が交付した証明書を所持して薬を販売していたほか、当時は現在よりも被差別部落への差別が厳しかったと指摘。 「犠牲者、被害者の名誉を傷つけ、差別が広まってしまう描き方だ」


・・船橋での死者が多いのは、当時は北総鉄道(現在の東武野田線)の建設が行われていたために作業員として働いていた朝鮮人がいたこと、海軍の無線基地があったこと、流言飛語の拡散で拘束された朝鮮人が騎兵隊のある習志野基地に集められ、一部は営倉内で虐殺されたが、その他多数は民間に引き渡されたことがあるようだ


・・9月7日には緊急勅令「治安維持の為にする罰則に関する件」(勅令403号)が出された






(2024年9月14日 情報追加)


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<ブログ内関連記事>

・・「本書の最大の山場は、関東大震災(1923年9月1日)であろう。 著者の山川菊栄にとっても、戦前日本の社会主義運動にとっても、大きな分水嶺となった出来事だからだ。 きわめて個人的な回想が語られるが、流言飛語が飛び交うなか、「朝鮮人」だけでなく「主義者(=社会主義者)」も虐殺の対象になったことが、手に取るようにナマナマしく描写されている。大杉栄夫妻とその子どもが虐殺されたが、山川夫妻と子どもは危うく難を逃れることができたのであった。」

・・関東大震災の際の甘粕憲兵大尉による大杉栄一家虐殺事件も

・・吉村昭氏の『関東大震災』についても言及。同書には戒厳令下に帝国陸軍の習志野騎兵隊が緊急に治安出動したことも記されている


・・プレートには関東大震災に際して虚偽情報を放送したという「黒歴史」にかんする記述はいっさいない



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2023年10月7日土曜日

書評『諜報国家ロシア ― ソ連 KGB からプーチンの FSB 体制まで』(保坂三四郎、中公新書、2023)― ソ連時代から始まる「諜報機関」の本質を知らずに現在のロシアの体制を理解することはできない

 

ロシアを知るための「必読書」である。この本を抜きにロシアについて語ることは、もはや不可能だろう。

いや、ロシアの影響が及んでいるのは、情報工作の対象としてトランプ大統領を生み出し米国や、極右政党への資金援助が行われてきた欧州など先進国すべてである。もちろん、この日本も含めてだ。

だからこそ、いまこの現在の状況を理解するための、まととない解説書といっていい。まさに渾身の労作である。



■ロシアという「防諜国家」がこの100年にやってきたこと

とはいえ、読んでいるとウンザリしてくる。ロシアがこの100年間にやってきたことが、あまりにもえげつないからだ。

「ロシア革命」後にボリシェヴィキがやったことは、厳しい弾圧が行われたとされる帝政ロシア時代の比ではないことが、読んでいるとわかってくる。

革命指導者レーニンの「非情さ」が発揮されたのは、ニコライ2世一家の惨殺だけではない。みずからが信じる主義の貫徹のため、その障害となるものは誰であろうと虐殺しまくったのだ。

レーニンの意を体して実行役を担った存在が、情報機関トップとなったジェルジンスキーであり、その在任中に「諜報国家ロシア」の原型ができあがった。 

KGBは、もともと組織名として「チェーカー」(Cheka)とよばれていた。だから、その職員は「チェキスト」(Chekist)とよばれ、現在でも「チェキスト・プーチン」のようにつかわれることもある。著者もまた旧KGB や現在の FSB の総称して、「チェキストの世界観」のようなつかいかたをしている。

権威主義国家における、体制を守る「盾と剣」としての「保安機関」である。「盾と剣」とは、KGBを象徴的に表現したものだ。

本書のタイトルである「諜報国家ロシア」は、その意味では、適格なネーミングである。だが著者、より厳密にいうなら「防諜国家ロシア」だという。「諜報」とは「カウンター・インテリジェンス」(counter-intelligence)のことだ。外国からの侵略や浸透を防ぐための情報工作のことである。

副題にあるように、「ソ連 KGB からプーチンの FSB 体制まで」は、この100年のロシアの一貫した流れである。いやむしろ、KGBのもっていた醜悪な側面が、より増幅され、ソフィストケートされたのが FSBだといっていいかもしれない。

現在のロシアを動かしているのは、プーチンに代表されるFSB関係者、つまり旧KGBの関係者たちである。プーチンは独裁者として見なされているが、かれ一人がすべてを取り仕切っているわけではない。

プーチンは「FSBが仕切るシとしてステムと一体化」した存在だと理解したほうが正確なのだ。FSB関係者は、ロシアの全人口の0.1~0.2%に過ぎない、一握りの存在である。



■むき出しの暴力から知能犯罪へ

ロシアは「マフィア国家」だという人がいる。ことし8月に「反乱」をおこしたプリゴジンがちょうど2ヶ月後に「裏切り者」として抹殺されたことに対して、そんな感想が聞かれた。

だが、正確にいえばロシアを支配しているのは「システマ」である。つまり「FSB = マフィア = 行政の三位一体」というシステム(=体制)である。

情報工作を企画し監督するのがFSBである。そして、行政はその手足として動く。さまざまな工作を行うための裏仕事を行うのがマフィアである。先に名前を出したプリゴジンも裏工作の担い手であった。

オモテ世界では三権分立が形骸化している。司法も立法も裁判もすべて一握りのFSBの下にあり、恣意的な運用が行われている。だが、それだけではないのだ。

旧KGBより醜悪で悪質なのは、「ソ連崩壊」の前後に組織犯罪のマフィアと結託したことにある。マフィアは文字通りの組織犯罪であるが、暗殺などむき出しの暴力だけでない。国境を越えた金融犯罪など知能犯罪も、マフィアによって裏工作として行われてきた。

FSB が行っているのは「アクティブ・メジャーズ」(active measures)である。近年の民主主義体制における「パブリック・ディプロマシー」などの間接的な影響力行使とはまったく異なり、直接的に手が下される工作活動のことだ。「積極工作」と訳されることもある。

「アクティブ・メジャーズ」は KGB の「心と魂」であり、それが FSB に引き継がれていると著者はいう。

その内容は、「偽情報」(disinformation)の拡散、「インフルエンス・エージェント」(agent of influence)をつかった工作、「フロント組織」をつくってのプロパガンダ、メディアコントロールによる「政治技術」の展開、「陰謀論」の流布や、認知領域における「ナラティブ操作」など、である。

これらの戦術や手法が、ロシアによって日々行われているのである。


■プーチンとFSBの思考回路は「旧KGB文書」に現れている

「あとがき」で著者が書いているが、ロシア研究が専門だが、もともと情報分野の専門家ではなかったらしい。

ロシア研究者だからこそ、現代ロシア体制のワナにかかる危険にさらされていることを深く痛感し、研究に取り込んだのだという。とくに35歳以下の若者は、その危険なワナに気がつかないことが多いのだ。

主たる情報ソースは、ウクライナで全面公開された旧KGBアーカイブの極秘文書である。ロシアでは、情報工作の対象者であるロシア内外の研究者に一部が公開されているだけだが、旧ソ連圏のウクライナではそうではないのだ。

このほか、反体制派やハッカーによるリーク情報や、膨大な最新のインテリジェンス研究を読み込んだうえで、「ファクトベース」で記述し、しかも情報ソースを明記している。もっぱら英語で専門論文を発表してきた人だけに、文章はロジカルで論旨はきわめて明解だ。

ただし、事実関係を明らかにしても、その評価や判断はあくまでも読者にゆだねている。読者自身の「情報感度」を高めるためにも、こういう記述方法は重要だろう。なぜなら、当然のことながら、本書も含めて(!)クリティカルに読むことが不可欠だからだ。


■権威主義体制の「手口」を知ることはセキュリティそのものだ

読んでいて思ったのは、中国共産党はソ連に始まるこの「防諜国家」の手法をかなり忠実になぞっているな、といういことだ。

おそらく旧共産圏だけでなく、権威主義体制をとる国々もまた、KGB/FSBの「情報工作」の「手口」を学習しているはずである。

現代ロシアの「アクティブ・メジャーズ」の「手口」を知ることは、ロシアに限らず、中国をはじめちする権威主義体制の国家の「情報工作」を知る上で必要不可欠なのである。

その意味でも、本書は「実用書」としての性格も備えている。欲をいえば、「用語集」や「よくつかわれるフレーズ集」などの付録や索引がほしかったところだ。

とはいえ、最低限知っておくべき項目は、「目次」に記載されているので、本文を読んでから目次を読み、ふたたび必要な部分を読み返す。そんな読み方が必要だろう。

本書に登場する具体的な人物や組織については、あの人物もまた「インフルエンス・エージェント」として動いているのか、あの組織もまた「フロント組織」として情宣活動しているのか、みなロシアによって「汚染」されてしまっているのだな、と知ることになる。

それは残念なことであるかもしれないが、自分の身を守るため、民主主義体制を守るため、必要なことなのだと思わなくてはならないのである。本書が必読書であるとは、そういうことだ。

ものすごく濃厚な1冊である。単行本3冊分くらいの情報が詰まっている本だ。ギッシリ詰まった内容に、膨大な量のカタカナの固有名詞。

斜め読みで読み飛ばすのがむずかしいが、ぜひ最後まで読み通してほしい。


   (画像をクリック!)



目 次 
まえがき
第1章 歴史・組織・要員 ー KGB とはいったい何か
 1 チェキストの系譜 ー どこにでもスパイを見る 
 2 巨大な機構 ー KGB の主要部局と役割
 3 エージェント ー チェキストの「見えない相棒」
第2章 体制転換 ー なぜ KGB は生き残ったか
 1 KGB のペレストロイカ ー ソ連崩壊後の KGB の疑似「改革」
 2 KGB 改革の失敗
 3 プーチンの「システマ」ー FSB=マフィア=行政の三位一体
第3章 戦術・手法 ー 変わらない伝統
 1 アクティブメジャーズ ー KGB の「心と魂」
 2 偽情報 ー 正確な情報ほど効果がある
 3 インフルエンス・エージェント ー 「スパイ」とは異なる
 4 フロント組織
第4章 メディアと政治技術 ー 絶え間ない改善
 1 政治技術
 2 サイバースペースでの展開
 3 ナラティブの操作
第5章 共産主義に代わるチェキストの世界観
 1 ゲオポリティカ ー 地政思想と「影響圏」
 2 大祖国戦争の神話 ー 全ての敵は「ファシスト」
 3 「ロシア世界」ー プーシキン、ドストエフスキーを隠れ蓑にして
 4 ロシア正教会 ー KGB エージェントが牛耳る世界
 5 子どもからスポーツまで ー 全てを動員する
第6章 ロシア・ウクライナ戦争 ー チェキストの戦争
 1 ウクライナ侵攻 ー 作り出された「内戦」
 2 「ウクライナ危機」を見る眼 ー 学術界とロシア
終章 全面侵攻後のロシア 
あとがき
主要参考文献
関連人物一覧
関連年表


著者プロフィール
保坂三四郎(ほさか・さんしろう)
1979年秋田県生まれ。上智大学外国語学部卒業。2002年在タジキスタン日本国大使館、2004年旧ソ連非核化協力技術事務局、2018年在ウクライナ日本国大使館などの勤務を経て、2021年より国際防衛安全保障センター(エストニア)研究員、タルトゥ大学ヨハン・シュッテ政治研究所在籍。専門はソ連・ロシアのインテリジェンス活動、戦略ナラティブ、歴史的記憶、バルト地域安全保障。2017年ロシア・東欧学会研究奨励賞、2022年ウクライナ研究会研究奨励賞受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<参考 著者インタビューより抜粋>

ロシア研究者は、軍、警察、FSBをまとめて「シロビキ(武力省庁)」と括りますが、これによって少し誤解されているようにも感じます。ソ連やロシアでは、軍と情報機関は明確に異なる存在です。体制が最も信用を置くのは、軍や警察ではなく、伝統的に情報機関なのです。
 
「ここだけでしか聞けない話」、「あなただけに特別に提供する資料」には関心がありません。なぜなら、これこそKGBやFSBが外国人研究者の取り込みに使う典型的手法だからです。
 
アーカイブから分かるのは、KGBの「非公然」の協力者であるエージェントはソ連時代でも人口のわずか0.1~0.2%程度でした。別の言い方をすれば、これだけの浸透で全体主義が成立したのです。
 
全体主義国家の情報機関は、同時に、体制を守る「盾と剣」としての「保安機関」。
防諜国家のインテリジェンスの活動は、現状を正確に把握する情報収集活動よりも、体制の思想に合うように現実や認識を作り変える非公然の政治・世論工作が主体となります。これはソ連やロシアで「アクティブメジャーズ」と呼ばれています。
 
外国人が、ソ連やロシアの「周縁」を語る際に、いかにモスクワのメディアや専門家に依存しているかを、また、ロシアがそれを利用して自国を宣伝し、偽情報を流している構造が見えてきました。これは、ソ連研究からロシア研究へと引き継がれた問題点。
 
ソ連・ロシアのプロパガンダには、重要な事実から相手の注意を逸らす「ワタバウティズム」(whataboutism)や、西側諸国による正当な批判を回避する「ロシア嫌悪症」(Russiaphobia)などの政治レトリックがあります。
 
ロシアの情報機関は、ロシアに関心を持つ外国の研究者や学生の傾向を深く研究しています。既存の価値観への反抗心が強く、「オルタナティブ」を求める35歳以下の若者は格好の標的になっているのです。
 
最近いろんな方に言っているのですが、プーチンやロシアのエリートたちの思考回路を知りたければ、プーチンの演説や欧米の専門書を読むよりも、KGB内部で使われていた教科書や教本を読むのが一番です。これらはソ連崩壊後のロシアでも改訂を経て引き続き使われていますが、極秘指定なのでロシアでこれを読むことはできません。しかし、ソ連のKGB支部が置かれたウクライナやバルト三国では、KGB資料が公開されているので、読むことができるのです。
 
本書でも解説した通り、脱スターリン化には成功しましたが、脱KGB化には失敗したのです。同じ失敗が、1920年代の「赤色テロ」後の改革、ゴルバチョフのペレストロイカでのKGB改革、エリツィン政権下の保安機関改革でも繰り返されています。
 
民主的統制のない情報機関は、再生産される独自の組織文化を持ち、我々が想像するよりもはるかに、体制の変化やリーダーの交代に対する適応能力が高いのです。100年以上続く体制の「盾と剣」の情報機関が廃止されない限り、ロシアが本質的に変わることはないでしょう。


<関連サイト>


・・本書が第32回山本七平賞を受賞したのを機会に一時帰国した際、「日本記者クラブ」で行った講演記録。とくに54分40秒前後に注目。FSBの息のかかったロシア側の人物と密接な交友関係のある、佐藤優なる人物の著作やメディアをつうじた「情報垂れ流し」について指摘。



(2023年12月3日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

   
   




・・騙されやすい人びと

・・とち狂っているとしか思えない「知の虚人」トッド氏は、ロシアの情報操作の対象となって簡単にころがされていることにすら気づかない、絵に描いたような典型的な「知識人」の事例として考えるべきであろう。自覚症状ないだけに有害きわまりない

(2024年1月20日 情報追加)


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2019年3月13日水曜日

JBPress連載コラム第47回目は、「フェイク文書が世界に広めた反ユダヤ主義(前編・後編)」(2019年3月12日・13日)


JBPress連載コラム第47回目は、「計り知れない罪、ロシアで生まれた史上最悪の陰謀論-フェイク文書が世界に広めた反ユダヤ主義(前編)」(2019年3月12日) ⇒ 

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55703

ソ連が自壊してからすでに四半世紀以上も経っているが、かつての「冷戦時代」を思わせる事態が進行している。


冷戦時代に米ソ間で激しいプロパガンダ合戦が行われていたことは、当時のことを知る人にとっては常識だといっていいだろう。デマや偽情報、プロパガンダや陰謀論の拡散はネット時代以前から行われていたのだ。

情報操作の体質が、ネット時代に新たな展開を見せているのである。それがフェイクニュースの背景にある。

今回は、ソ連誕生以前にロシアで作成され、全世界に拡散された「史上最悪の偽造文書」について語ってみたい。 その偽造文書の名前とは「シオン長老の議定書」・・・ (つづきは本文で) ⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55703


(英語版『シオン長老の議定書』 Wikipediaより)

今回は、長いので二分割されてます。「後編」はここから

「世界を地獄に、荒唐無稽なデマはこうして広がった-フェイク文書が世界に広めた反ユダヤ主義(後編)」(2019年3月12日) ⇒
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55704

意外なストーリーが展開します。











<ブログ内関連記事>

JBPress連載コラム第22回目は、「日本は専制国家に戻るロシアを追い詰めてはいけない-「東洋的専制国家」の中国とロシア、その共通点と相違点」(2018年3月27日)

書評 『ロシア革命で活躍したユダヤ人たち-帝政転覆の主役を演じた背景を探る-』(中澤孝之、角川学芸出版、2011)-ユダヤ人と社会変革は古くて新しいテーマである


高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3)

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・
・・強制収容所のテレージエンシュタットを生きのびたユダヤ思想家の著者でユダヤ教の本質を知る

マンガ 『レッド 1969~1972』(山本直樹、講談社、2007~2014年現在継続中)で読む、挫折期の「運動体組織」における「個と組織」のコンフリクト
・・新左翼という「ビリーバー」の末路

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002) 
・・「ホッファーの The True Believer: Thoughts on the Nature of Mass Movements (1951)であった。『大衆行動』というタイトルで翻訳されている」 「ビリーバー」(believer)の本質について

(2019年3月1日・14日 情報追加)






(2017年5月18日発売の拙著です)


   

(2012年7月3日発売の拙著です)








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