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2012年12月30日日曜日

書評『梅棹忠夫 ― 未知への限りない情熱』(藍野裕之、山と渓谷社、2011) ― 登山と探検という軸で描ききった「知の巨人」梅棹忠夫の評伝



2010年に90歳で亡くなった「知の巨人」梅棹忠夫にかんする本格的な評伝である。500ページにもおよぶ大冊であるが、飽きることなく最後まで読みとおすことができる内容だ。

著者は山とアウトドア関係の雑誌記者として梅棹忠夫に接しロングインタビューを何度も行ってきた人だ。みずからを登山家、探検家としていた梅棹忠夫自身も、山と渓谷社から出版される本書の完成を心待ちにしうていたそうだ。だが、残念ながら生前には間に合わなかったのだという。

副題のさらに副題に Desiderium Incognita なるコトバが書かれている。デジデリウム・インコグニタと読むこのラテン語は、本文でも説明があるが「未知への欲望」とでもいうべき内容だろうか。自らの内から湧き上がってくる抑えようのない情動のことであろう。

国立民族学博物館という研究組織の運営上はきわめて合理的に振る舞った梅棹忠夫も、個人レベルにおいては「知りたい」という子どものよう情熱は最後まで失われることはなかったようだ。きわめてつよい内発的動機といってもいいかもしれない。

低山ながらも山に囲まれた京都に生まれ、登山をつうじて昆虫少年から生物学に目覚め、大学では動物生態学を専攻することになった梅棹忠夫は、ラテン語の学名を理解するために、かなり早い時期からラテン語を習得していたらしい。そもそもが文理融合の人だったわけだ。

すでにさまざまな関係者が梅棹忠夫については書いているが、登山と探検という軸で描ききった「知の巨人」梅棹忠夫の評伝は、戦前から戦後を連続して生き抜いた主人公をめぐる大河ドラマのような印象がある。著者の藍野氏は、梅棹忠夫の聞き書きの「声」をそのまま活かしながら、ブレもなく、よくこれだけのボリュームをまとめあげたものだと思う。

そしてまた、あらためて振り返りたいのは、梅棹忠夫をめぐる「知の巨人」たちの群像である。先駆者としての今西錦司、西堀榮三郎といった同じ京都一中の登山家の先輩たちや、「知的生産の方法論」の分野においては戦後のビジネスパーソンに多大な影響を与えたKJ法の川喜田二郎の名も忘れてはなるまい。

とくに忘れてはならないのは、パトロンとしての渋沢敬三の存在である。敗戦後に日銀総裁を務めた渋沢敬三は渋沢栄一の孫であり経済人であったが、私財を投じて民族学と民俗学の発展に尽くしただけでなく本人もまたすぐれた学者であった。渋沢敬三が蒐集した民具のコレクションがみんぱくのコレクションの一部として引き継がれたことは知っておきたいことだ。

弟子筋にあたる人たちはその多くが学者やジャーナリストだが、梅棹忠夫の真骨頂は「知的生産」を一般大衆に開放したことにあることから考えると、本書のように直接の弟子ではない、しかも学者ではない人が書いた評伝もまた意味あるものといっていいだろう。

梅棹忠夫のファンであれば、個々の事実関係についてはすでに知っていることはあっても、大河ドラマとして大いに楽しみながら読むことのできる評伝である。


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目 次

序章 梅棹資料室
第1章 京都-山城三十山
第2章 三高山岳部-雪よ岩よ
第3章 京都探検地理学会-最後の地図の空白部
第4章 西北研究所-モンゴル遊牧民
第5章 ヒマラヤ-マナスル登頂計画
第6章 AACK-文明の生態史観
第7章 東南アジア-カカボ・ラジ登頂計画
第8章 京大人文研究所-アフリカとヨーロッパ
第9章 日本万国博覧会-人類の進歩と調和
第10章 国立民族学博物館-比較文明学
終章 再び梅棹資料室
あとがき

著者プロフィール 

藍野裕之(あいの・ひろゆき) 1962年東京都生まれ。法政大学文学部卒業。広告制作会社、現代美術のギャラリー勤務の後、フリーの雑誌記者に。『サライ』『BE‐PAL』『山と溪谷』などの雑誌で取材と執筆に携わる。自然や民族文化などへの関心が強く、日本各地をはじめ南太平洋の島々など、旺盛に取材を重ねている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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書評 『梅棹忠夫-地球時代の知の巨人-(KAWADE夢ムック 文藝別冊)』(河出書房新社、2011)

書評 『梅棹忠夫-知的先覚者の軌跡-』(特別展「ウメサオタダオ展」実行委員会=編集、小長谷有紀=責任編集、千里文化財団、2011)

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書評『梅棹忠夫 ―「知の探検家」の思想と生涯』(山本紀夫、中公新書、2012)―「最後の弟子」による読みやすい梅棹忠夫入門



2010年に「知の巨人」であった梅棹忠夫が90歳で亡くなってからすでに2年、この間に古巣である大阪・千里の国立民族学博物館では「ウメサオ・タダオ展」が開催され、関連する書籍も多数出版された。

また、この展覧会は東京では科学未来館で開催された。後者の会場も、つねに知のフロンティアを探検しつづけた梅棹忠夫にはふさわしい会場であった。

『梅棹忠夫-「知の探検家」の思想と生涯』(山本紀夫、中公新書、2012)は、梅棹忠夫から「最後の弟子」といわれた、アンデスをフィールドとする民族学者による梅棹忠夫入門である。

「二番せんじは、くそくらえ、だ!」と言い放ち、登山家として、探検家として、民族学者として、つねにみずからが開拓者(パイオニア)であり続けただけでなく、アジテーターとして後進の若者たちを焚きつけつづけた「知の巨人」。

本書は、梅棹自身による文章と、関係者の証言をうまくつかいながら、しかも身近で接触していた期間のみずからの経験もまじえた文章は読みやすい。

著者自身、京大では農学部に籍を置きながらも、梅棹の「私塾」に通ううちにアジテーションに乗せられて民族学の道を歩んだという。アジテートされた側の人なのである。学生時代に山登りに熱中し、理系から民族学に転じた学者という点は梅棹忠夫と共通しており、その意味で適任かもしれない。

とくに面白いのは、著者が国立民族学博物館に就職して以降の経験談だ。「耳どおし」による編集と校正作業など、目が見えなくなって以降の著作集編集のプロセスにかんする述懐はひじょうに興味深い証言である。

梅棹忠夫というとロングセラー『知的生産の技術』(岩波新書、1967)しか知らないという人にとっては、ぜひ『梅棹忠夫 語る』(聞き手 小山修一、日経プレミアムシリーズ、2011)とあわせて読んでほしい入門書である。

学問だけでなく、強靭な精神力によって大きな影響を与え続けて続けた梅棹忠夫は、まだまだ過去の人になったとはいいにくい。これからも影響を与え続けることであろう。


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目 次

はじめに
第1章 昆虫少年から探検家へ
第2章 モンゴルの草原にて
第3章 ふたたびフィールドへ
第4章 東南アジアからアフリカへ
第5章 アジテーター
第6章 研究経営者
終章 未知の領域に挑んで
あとがき

著者プロフィール

山本紀夫(やまもと・のりお)
1943年、大阪府生まれ。京都大学農学部農林生物学科卒業、同大学大学院博士課程修了。1976年、国立民族学博物館助手、助教授、教授を経て、国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。農学博士。専攻・民族学、民族植物学、環境人類学、第19回大同生命地域研究奨励賞、第13回松下幸之助花の万博記念奨励賞、第8回秩父宮記念山岳賞受賞。著書は『ジャガイモとインカ帝国』(東京大学出版局、2004)他多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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2012年8月14日火曜日

ひさびさに大阪・千里の「みんぱく」(国立民族学博物館)に行ってきた(2012年8月2日)



先日(2012年8月2日)、じつにひさびさに「みんぱく」(=国立民族学博物館・大阪千里)に行ってきた

書店フィールドワークを関西でも行うために大阪にいくついでに立ち寄ることにしたのである。フィールドワークといったら、なんといっても人類学であり、なんといっても梅棹忠夫である。

しかも、「みんぱく」(民博)は、「ばんぱく」(万博)の跡地である。大阪万博のランドマークであった「太陽の塔」をみるのも楽しみの一つだ。日本人にもっとも愛された、岡本太郎の代表作である。


(大阪モノレール、万博記念公園駅ホームから)

じつは、昨年(2011年)に開催された「梅棹忠夫展」は、ほんとうは「みんぱく」にまで見に行きたかったのであるが、大阪で見れずに東京の科学未来館で見ることができた。

夏の大阪は暑い。毎年のことだが、「みんぱく」に立ち寄った8月2日もまたものすごく暑かった。

そういえば、「ばんぱく」に行ったのは、1970年(昭和45年)の8月のことだったが、子どもにとっては特別に暑いとは思わなかった8月も、両親にとってはそうとう暑かったのではないかと、いまにして思うのである。

現在は、万博公園には「ばんぱく」をしのぶような建築物は「太陽の塔」以外にはない。であるがために、なおさら木陰がすくないので暑いのである。

伊丹空港から大阪モノレールで万博記念公園駅へ、そこで乗り換えて一駅、公園東口駅で下車してからかなりの距離を歩くことになる。



暑いなかを歩きとおして、やっと「みんぱく」にたどりついた。「ばんぱく」の跡地のなかにあるだけに、なんといっても広い公園なのだ。

なんとうれしいことに、「本日は無料観覧日です」という立て看板が。夏休み期間中は「毎日無料」なのだそうだが、うれしいことである。大阪近辺のみなさんは、ぜひこの機会に子どもを連れて、あるいは子どもに戻った気持ちで訪れていただきたいと思う。

みんぱくの趣旨は、モノをつうじて民族と文化を知るということにある。

まず目に入るのがオセアニアの展示。これらは、アーチストで民族学者であった土方久功(ひじかた・ひさかつ)の旧コレクションである(写真下)。

(アーチストで民族学者であった土方久功の旧コレクション)

このように、「みんぱく」のコレクションには、土方久功や、実業家で民俗学者であった渋沢敬三などの個人が収集したコレクションを土台に、大阪万博の際に太陽の塔のなかで展示するために世界各地から収集したコレクションが展示されている。

つまり、「ばんぱく」と「みんぱく」は、跡地利用ということだけでなく、「みんぱく」の誕生は「ばんぱく」とは密接な関係があるいというわけなのだ。

今回はほんとうの駆け足なので、ゆっくり見ることなど望むことさえできなかったが、チベット仏教関連の展示が目をひいた。

(チベット仏教の立体マンダラと各種仏具)

(チベット仏教の観音菩薩像)

(歩きながら回していくと功徳が積める固定式マニ車)


また、近代の東南アジアの展示物では、フィリピンが濃厚にアメリカ文明を体現しているので興味深い。

下の写真には、改造ジープのミニバスであるジプニーと、経済学の世界でよく引き合いにだされる「ゴルディロック」(Goldierock)のホーロー看板が展示されている。

(改造車ジプニーはフィリピンの大衆向けのの乗り合いバス)

というわけで、ものすごい駆け足だったので、展示物をじっくり見れなかっただけでなく、ミュージアムショップに立ち寄るヒマもなかったのが、かえすがえずも残念であったが、「太陽の塔」にも再会できて幸いであった。

(背中で語る太陽の塔)

みなさん、「太陽の塔」の背面にも太陽があることをしってましたか?

どうやらオモテが陽の太陽であれば、ウラは陰の太陽のようですね。みずからもフランスで民俗学を勉強した岡本太郎は、たんなるアーチストではなく、梅棹忠夫とも協働することのできる知性人であったことがよくわかると思います。

大阪モノレール公園東口駅に戻ると目につくのが巨大オブジェ。
仏頭のような頭部の像はいったい何を意味しているのか?

行きは万博中央駅から歩いたので知らなかったが、つくづく奇妙な存在である。

(このオブジェはアートか!?)

大阪の国立民族学博物館(みんぱく)は、千葉県佐倉市の国立歴史民俗学博物館とは対(つい)になった施設である。民族学と民俗学の違いを知る意味でも、ぜひ両方とも訪れてほしい施設である。

先にも書いたように、「みんぱく」は夏休み中は「入場無料」ですよ!



PS 写真を一枚追加した(チベット仏教の観音菩薩像) (2014年2月17日 記す)。

<関連サイト>

大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国立民族学博物館(みんぱく)

大阪モノレール



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国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)

「生誕100年 人間・岡本太郎 展・前期」(川崎市岡本太郎美術館) にいってきた


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2012年5月5日土曜日

国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ①


昨日(2012年5月4日)、国立歴史民俗博物館にひさびさに行ってきた。じつに8年ぶりである。

前回は2004年、「明治維新と平田国学」という、きわめつきに興味深く重要なテーマの特別企画があったので訪れたのだが、それからすでに8年もたってしまった。

今回は、「洛中洛外図屏風と風俗画」というテーマを目的に訪れた。国立歴史民俗博物館は、千葉県佐倉市にある。漁師町で宿場町の船橋と門前町である成田を結ぶ街道筋の中間に位置する城下町が佐倉である。

国立歴史民俗博物館は、かつての佐倉城の城址にある。明治になってから、陸軍の佐倉連隊が駐屯するために城郭は撤去されたのdさという。その陸軍駐屯地の跡に国立歴史民俗博物館が建設された。それじたいが歴史の変遷を物語っているわけだ。、





「洛中洛外図屏風と風俗画」展

「洛中洛外図」とは、戦国時代末期の16世紀から江戸時代にかけて、洛中(京都市街)と洛外(京都郊外)を描いた俯瞰図である。ほとんどは屏風絵であるが、初期のものには掛け軸を並べる形のものもある。

初期のものは、上杉本歴博所蔵の甲本と乙本を含めた4作、江戸時代には舟木本をはじめとして100作程度あるそうだ。それだけ人気のあるテーマだったということだろう。

戦国時代末期の戦国大名のテーマは、いかに京都を押さえ天下をとるかということにあったから、洛中洛外図も、最初は京都を支配することになった権力者が書かせたものが中心であったが、そのうち町衆の視点から、権力者には批判的なものもでてくるようになる。

京都という都市の性格がひじょうによくでているというべきだろう。支配者がめまぐるしく変わろうが、一般人の生活は続いていくわけである。応仁の乱からはじまった戦国時代が収束に近づいてきた頃から、活気ある都市が復活してきたわけである。その情景が断面図としてスナップショットのように切り取られた屏風絵が洛中洛外図なのである。

今回の特別展の展示は、歴博所蔵の洛中洛外図が中心なので、一般によく知られた上杉本や舟木本でないのが残念だ。

浮世絵の祖といわれる岩佐又兵衛と推測されている舟木本は、限りなく風俗画に近いので、洛中洛外図から近世風俗画、そして浮世絵へという日本美術史の流れがスムーズに理解できるはずなので、そういう展示であると、さらに理解が深まったであろうと思われるのだが・・・。まあ、美術展ではないので、しかも所蔵本の公開ということでもあるので、よしとすべきであろう。

だが、『洛中洛外図 舟木本-町のにぎわいが聞こえる-』(奥平俊六、小学館、2001)で親しんでいるわたしには、ちょっと物足りない展示であった。舟木本は、細部があまりにも面白いのである。風俗画の領域にかなりの程度まで足を突っ込んでおり、浮世絵風俗画まではあと一歩のところにきている。

舟木本の作者が岩佐又兵衛であることは、美術史の重鎮である辻惟雄氏も最終的に認めるにいたっていることは、『岩佐又兵衛-浮世絵をつくった男の謎-』(辻 惟雄、文春新書、2008)を参照。

*********


国立歴史民俗博物館(れきはく)は常設展示が面白い

特別展はさておき、むしろ、常設展があまりにも面白いので、あっという間に2時間以上も過ごしてしまった。大人も子どもも楽しめる、知的好奇心をかきたてらるミュージアムである。

「大学共同利用機関法人 人間文化研究機構」である国立歴史民俗博物館は、研究機関であり教育施設でもあるミュージアムの機能が、ひじょうによく発揮されているのが国立歴史民俗博物館(れきはく)であるといっていいだろう。博物館なのである。

今回はじめて気がついたのだが、英文名称は National Museum of Japanese History となっている。直訳すれば「日本史博物館」。日本語の名称に「民俗」が入っているのは、具体的なモノをつうじて、日本人の生活史をフォローすることに重点があるためだ。

同じく具体的なモノをつうじて世界の民族についての理解を深めることを目的とした国立民族学博物館(みんぱく 大阪・千里)と対(つい)になっていると捉えてもいいのではないかと思う。実物教育である。

(江戸橋広小路のジオラマ)

特別展に関連した展示が「近世」の展示室であるので立ち寄ってみた。これがものすごく面白い。とくに江戸中期以降、世の中が安定し都市化が進むと江戸から、産業振興が活発化してくると地方都市や農村から、さまざまな知的な動きが活発になってくる。博物学の誕生である。

知識と技術の急速な発展である。これがあってこそ、第二次グローバリゼーションにおける「開国」後に急速に近代化が進んだ理由がおのずから理解できる仕組みの展示になっている。

日本人の旺盛な好奇心! これはまさにDNAのなかに刻み込まれているものなのだ。

「日本人はすごい!」とおもわずうなってしまうような展示内容である。じっさい、その他の来場者からも同じような感想が耳に入ってきた。

(特別展でも取り上げられた平田国学と平田篤胤の遺品)


あまりにも面白いので、「中世」にさかのぼり、ふたたび「近世」に戻り、「近代」、「現代」と見てしまった。前回も、前々回も見ているはずなのに、はじめて見たような新鮮な驚きを感じたのであった。

しかも、重要なことに「世界のなかの日本」という視点は一貫している。たいへん評価できることだ。欲をいえば、なぜ日本と西欧がお互い無関係でありながら、パラレルに発展してきたのかという視点が欲しいところだ。

「近代」の文明開化、自由民権・・・、「現代」の戦争、戦後大衆社会・・・などじつに見るものが多い。近世の宿屋だけでなく、現代の団地まで再現されているのは楽しい。

現在は「民俗」の展示室が2013年春にむけてリニューアル準備中で閉鎖されているが、再オープンが楽しみである。

また、ミュージアムショップでは、日本全国のミュージアムの図録のバックナンバーが入手できるのも魅力の一つである。今回も、国立民族学博物館の企画展の図録と天理大学付属参考館の図録を一冊ずつ購入した。






<関連サイト>

国立歴史民俗博物館


<ブログ内関連記事>

城下町・佐倉

国立歴史民俗博物館は常設展示が面白い!-城下町佐倉を歩き回る ① ・・本編

城下町・佐倉をしのぶには武家屋敷を訪れるべし-城下町佐倉を歩き回る ②

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③ 


国立歴史民俗博物館の常設展示

リニューアルオープンした国立歴史民俗博物館の第4展示室 「列島の民俗と文化」を見てきた(2013年5月3日)-面白い展示もあるがややインパクトに欠ける


ミュージアム(博物館)

ひさびさに大阪・千里の「みんぱく」(国立民族学博物館)に行ってきた(2012年8月2日)

企画展「ウメサオタダオ展-未来を探検する知の道具-」(東京会場)にいってきた-日本科学未来館で 「地球時代の知の巨人」を身近に感じてみよう!
・・国立民族学博物館の生みの親であった、京都人・梅棹忠夫

「今和次郎 採集講義展」(パナソニック電工 汐留ミュージアム)にいってきた-「路上観察」の原型としての「考現学」誕生プロセスを知る
・・具体的なモノにこだわる生活史の視点、考古学ではなく考現学

「幕末の探検家 松浦武四郎と一畳敷 展」(INAXギャラリー)に立ち寄ってきた
・・具体的なモノにこだわる、好奇心旺盛な観察者の視点

(2015年1月22日 情報追加)



(2012年7月3日発売の拙著です)





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