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2023年2月2日木曜日

書評『人生力が運を呼ぶ』(木田元/渡部昇一、致知出版社、2004)ー 面白い本が埋もれたままになっているのがもったいない



あのハイデガー哲学研究者の木田元氏と、『知的生活』で有名な英語学者の渡部昇一氏が対談していたのか、それは知らなかった。

というわけで、たまたまその存在を知ったこの本を古本で購入して読んでいたらみたら、予想していた以上に面白かった。 

木田元氏は渡部昇一氏より2歳年上で、ともに山形県の鶴岡市に縁のある人。

この対談の時点では初対面で、それぞれ75歳と73歳。戦中派だが異なる経験をしていながらも、共通点の多いことがわかって意気投合している。渡部氏が終始2歳年上の木田氏を立てながらの対談も、古風な感じがして気持ちよい。 


■語学学習は「丸暗記」に限る

若いときの猛勉強ぶりが共通している二人だが、「第3章 学びの姿」と「第4章 学問する姿」では、ともに語学学習上の「丸暗記」の効用を強調している。

わたしも中学時代と高校時代には英語は「教科書の丸暗記」で習得したので、その言わんとすることにはまったく賛成だ。 とくに前置詞や定冠詞などの用法は丸暗記に限る。

木田氏の3ヶ月での外国語習得方法は、すさまじいまでの集中力と持続力であり、若くないとできない話だが、その通りだなと大いに納得。 木田氏はなんとこれで英語、ドイツ語、ギリシア語、ラテン語、フランス語の順番で独習でマスターしている。

渡部氏の「六十にして立つ」という話も興味深い。課題となっていたラテン語の完全習得のため、ついに60歳で一念発起して、タクシー移動による空き時間を利用して、丸暗記でマスターしたのだという。

両者ともに、けっして人に勧めているわけではないのだが、これを読んでいる自分は、尻を叩かれているような気分になった。これぞただしい意味での叱咤激励というものだろう。


■「寄り道」の効用

人文系の学問をする上での基礎づくりの話だけでなく、「寄り道の効用」も二人に共通している。

エリートコースを一直線というのとはまったく異なる人生行路が、「人間力」というか「人生力」を生むというのも、大いに説得力がある。敗戦後の木田氏の闇屋体験、渡部氏のテキ屋体験など、なかなか読ませるものがある。 

すでに二人とも鬼籍に入って数年たつが、残念ながらタイトルと出版社で損をしているなと思う。「致知出版社」で「人生力」なんてタイトルだと、そういうのが好きな人でないと素通りしてしまうだろう。もったいない話だ。 

出版社を代えて、タイトル変えて文庫化したら、売れる可能性があるのではないかなと愚考する次第。 




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2019年4月9日火曜日

JBPress連載コラム第49回目は、「揺らぐ民主主義、いまこそ読み直したい政治学の古典-いまなお示唆に富む100年前にマックス・ヴェーバーが語ったこと」(2019年4月9日)


JBPress連載コラム第49回目は、「揺らぐ民主主義、いまこそ読み直したい政治学の古典-いまなお示唆に富む100年前にマックス・ヴェーバーが語ったこと」(2019年4月9日)
 ⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56003

現在、全世界的に議会制民主主義が機能不全を来している印象がある。国民投票がもたらした「ブレグジット」(=EU離脱)騒動を巡って迷走を続ける英国や、「ロシアゲート」をからくも回避できたトランプ大統領の米国がその代表だ。

また、ロシアのプーチン大統領やトルコのエルドアン大統領などの強権的政治家も民主的な手続きによって生み出された。米国の民主党内では、トランプ大統領への対抗勢力として「社会主義」を掲げる政治家が若年層の支持を拡大しているという。

選挙制度そのものが機能不全状態なのか、「民意」そのものに問題があるのか、あるいは双方に原因があるのか、なんとも決めがたいものがあるが、世界全体が流動化し、激動の時代を迎えている現在、改めて「政治」について考える必要があるのではないだろうか。

そのためには、回り道ではあるが、今こそ政治学の古典を読んでみることが必要だ。


(真ん中の帽子をかぶった人物がヴェーバー Wikipediaより)

ドイツが生んだ社会科学の巨人マックス・ヴェーバーによる『職業としての政治』(Politik als Beruf)である。ドイツ語原文は ⇒ https://de.wikisource.org/wiki/Politik_als_Beruf

いまからちょうど100年前の1919年に行われた公開講演で発表された内容を書籍にしたものだ。20世紀の古典とされる名著である。

今回は、マックス・ヴェーバーの講演『職業としての政治』がいかなる状況で行われたものであり、彼が何を言いたかったのか、そして1919年時点で予見していたこと、さらには実際に実現してしまったことを振り返り、そのうえで100年後の現在でも読み直す価値があることを確認したいと思う。

つづきは本文にて ⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56003





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JBPress連載コラム第47回目は、「フェイク文書が世界に広めた反ユダヤ主義(前編・後編)」(2019年3月12日・13日)


人生の選択肢を考えるために、マックス・ウェーバーの『職業としての学問』と『職業としての政治』は、できれば社会人になる前に読んでおきたい名著

修道院から始まった「近代化」-ココ・シャネルの「ファッション革命」の原点はシトー会修道院にあった


「意図せざる結果」という認識をつねに考慮に入れておくことが必要だ

マキャヴェッリの『君主論』は「最強の自己啓発書」だ-『マキャベリ兵法-君主は愛されるよりも恐れられよ-』(大橋武夫、PHP文庫、2013 初版 1980)を読む
 





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2019年3月26日火曜日

JBPress連載コラム第48回目は、「20世紀の2人の「天才」は戦場で何を体験したのか-勇敢な志願兵だったヒトラーとウィトゲンシュタイン」(2019年3月26日)


JBPress連載コラム第48回目は、「20世紀の2人の「天才」は戦場で何を体験したのか-勇敢な志願兵だったヒトラーとウィトゲンシュタイン」(2019年3月26日) ⇒ 
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55850

ヒトラーをまったく知らないという人は、さすがにいないでしょう。哲学に関心がなければ、ウィトゲンシュタインについては知らないかもしれません。 


(ヒトラーのカラー化された公式ポートレート(1938年) 左胸に第1次世界大戦で授与された「鉄十字勲章」 Wikipediaより)


ヒトラーを天才というのは躊躇があるかもしれませんが、結果責任という点では情状酌量の余地はないものの、ヒトラーが天才的政治家であったことは否定できないと思います。ウィトゲンシュタインは、文字通りの天才哲学者でした。 



(58歳のウィトゲンシュタイン(1947年) Wikipediaより)


今回は、そんなオーストリアが生んだ「20世紀の2人の天才」を取り上げ、「世代論」という切り口で共通性を考えてみたいと思います。 第1次世界大戦が勃発したとき、2人はともに25歳。まだ何者でもない若者に過ぎなかった・・・ 


小難しい内容ではないので、「読み物」として楽しんでいただきたく。この機会にウィトゲンシュタインについて、知ってもらえれば幸いです。 

本文はこちらから ⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55850



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JBPress連載コラム第47回目は、「フェイク文書が世界に広めた反ユダヤ主義(前編・後編)」(2019年3月12日・13日)

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」

書評 『使える哲学-ビジネスにも人生にも役立つ-』(古田博司、ディスカヴァー・トウェンティワン、2015)-使えなければ哲学じゃない!?



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2014年11月10日月曜日

千葉大学園芸学部にはイタリア式庭園とフランス式庭園がある ー 千葉大松戸キャンパスをはじめて訪問(2014年11月9日)

(フランス式庭園 筆者撮影 以下同様)


千葉大学園芸学部をはじめて訪問した。千葉大学は県庁所在地の千葉市内にキャンパスあるが、園芸学部はJR常磐線沿線の松戸市にある。1909年に設立された千葉県立園芸専門学校がその前身だからだ。

千葉大学園芸学部は、日本で唯一設置された官立高等園芸学校として、すでに通算100年以上の歴史をもつ名門だ。千葉大学は地方大学だが、園芸学部は千葉県外でも有名なのではないだろうか。かつての勤務先の上司も、園芸学部の造園科出身であった。現在は改組されて名称は変更されているようだが。


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(松戸キャンパスの北門)


今回たまたま千葉大学松戸キャンパスにいく用事があったので、ついでに一般人が入ることのできるところだけ歩いてみた。


(手前がイタリア式庭園、左手にフランス式庭園)


植物工場も見てみたいが見学日が限定されているので、無料で開放されているイタリア式庭園とフランス式庭園に立ち寄ってみた。案内板をみてはじめて知ったが、与謝野晶子の歌碑もキャンパス内にあるようだ。




本日(2014年11月9日)は曇り空で時折雨も降っている天気だったのだけでなく、すでに11月に入っており晩秋でもあるので、残念ながらイタリア式庭園にもフランス式庭園にも華やかさが欠けるのが寂しい。花の咲いている時期なら、もっと美しかったことだろう。


(イタリア式庭園 日時計)


西洋式庭園は歴史的発展の順に、イタリア式庭園、フランス式庭園、イギリス式庭園(=いわゆるイングリッシュ・ガーデン)の3つのパターンになる。

ルネサンス期のイタリアで生まれ、バロック時代のフランスを経て完成し、フランスとは対極的な発想の島国イギリスでは個性ある発展をとげる。

幾何学的な設計のフランス式庭園は近代合理主義精神そのものだが、イタリアはかならずしもそうでもない。近代後に生きるわれわれには、むしろイタリアのほうに親しみを感じるのは不思議ではないだろう。

ガーデニングがブームになって以降の日本では、自然をそのまま活かしたイギリス式庭園が人気があり認知度も高いと思うが、ヨーロッパ大陸ではフランス式かイタリア式が圧倒的に多い。Zen Garden (=禅庭)も含めた日本式庭園も、哲学や思想のある庭園として、とくに知識階層のあいだでは根強い人気があるようだ。

千葉大学園芸学部には、もともと西洋式庭園の3パターンすべてが揃っていたようだが、イギリス式庭園は現在では撤去されたため、残念ながら見ることができなかった。


(フランス式庭園 幾何学的設計が特徴)


フランス式庭園は幾何学的設計が特徴。さすがデカルト以来の幾何学と数学の国である。フランス式庭園というコトバを知らなくても、見れば「ああ、これがそうか」とわかるはずだ。


(フランス式庭園を反対側からみる)


ほとんど駆け足で回っただけなので、じっくり鑑賞するヒマがなかったが残念。

フランス式であれ、イタリア式であれ、庭園の基本設計はそのまま導入しても、日本の風土のなかでは土壌も気候も異なり、それにしたがって植生も異なるので、フランスそのものではなく、フランス「式」なのだなあと思ってしまう。失礼を顧みずに正直に感想をいえばそうなる。


千葉大学の園芸学部は、「実学」に重点を置いた応用科学系学部で、園芸学科(・・栽培・育種学プログラム、生物生産環境学プログラム、応用生命化学科(・・応用生命化学プログラム)、緑地環境学科(・・緑地科学プログラム、環境造園学プログラム、環境健康学プログラム)、食料資源経済学科(・・フードシステム学プログラム、資源環境経済学プログラム)の4学科が置かれている。

園芸学部の英語名称は Faculty of horticulture とある。horti-culture(=園芸)には culture(=耕作)が含まれていることからもわかるように、農業と重なる面も多い。前半部の hortus はラテン語で庭という意味である。だから、園芸とは「庭を耕す」ことなのだ。そもそもヨーロッパにおいても、園芸と造園の境界もあいまいなようだ。

ヨーロッパでも日本でも、薬学部は薬草園をもっているが、出自の異なる園芸学部には薬草園はない。ヨーロッパがアジアの植民地につくった植物園(=ボタニカル・ガーデン)は熱帯植物のコレクションと研究が目的であったので、これもまた庭園とはそもそも性格が異なる。

園芸学や西洋式庭園の造園学もまた、明治以降に西欧学問の輸入から始まったため、実学としての造園という観点からキャンパス内にフランス式庭園やイタリア式庭園がキャンパス内につくられたのだろうか? 

西欧文明における植物園や薬草園、庭園の関係について、もっと知りたいという好奇心がかきたてられた一日であった。


 (画像をクリック!)


<参考文献>

●『ヨーロッパ100の庭園』(巖谷國士=文・写真、平凡社コロナブックス、1998)
●『ヨーロッパ庭園物語(知の発見双書)』(ガブリエーレ・ヴァン・ズイレン、小林章夫=監修、渡辺由貴訳、創元社、1999)
●『ヨーロッパの庭園-美の楽園をめぐる旅-』(岩切正介、中公新書、2008)
・・いずれも現在は品切れ状態。


<関連サイト>

千葉大学園芸学部松戸キャンパスの散策
・・個人が解説しているサイト。くわしい説明がある



PS 千葉大学園芸学部に隣接して「戸定邸&公園」がある

千葉大学園芸学部を訪問した際、「戸定邸」(とじょうてい)の意味を知らずに、立ち寄らずにすましてしまった。ちょうど2年後に訪問する機会を得た。

最後の水戸藩主・徳川昭武の屋敷であった戸定邸(とじょうてい)をはじめて訪問(2016年11月4日)-「維新の負け組」は後世に向けて文化遺産を残す

「戸定邸」の庭園は、芝生を張った洋風庭園。しかしお屋敷は和風建築。この異質な要素のコントラストは意外としっくりフィットしている。

(2016年11月7日 記す)


<ブログ内関連記事>

「ふなばしアンデルセン公園」にはじめて行ってみた(2014年4月6日)-デンマーク王国オーデンセ市と千葉県船橋市が姉妹都市となって25年
・・コペンハーゲンのチボリ公園は、イタリアのローマのティヴォリを北方で再現したもの

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・「庭を耕す」には象徴的な意味の他に、園芸という意味もある

「無憂」という事-バンコクの「アソーク」という駅名からインドと仏教を「引き出し」てみる
・・ヨーロッパによるアジア植民地における植物園(ボタニカル・ガーデン)について触れている

「東京大学総合研究博物館小石川分館」と「小石川植物園」を散策(2009年7月12日) ・・薬草園

「植物学者 牧野富太郎の足跡と今(日本の科学者技術者シリーズ第10回)を国立科学博物館」(東京・上野)にいってきた

「世界遺産キュー王立植物園所蔵 イングリッシュ・ガーデン 英国に集う花々展」(パナソニック汐留ミュージアム(2016年1月22日)-現在の英国を英国たらしめている植物愛を体現している植物園とその世界を紹介した展示会

(2016年3月28日 情報追加)


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2014年2月14日金曜日

書評『新・学問のすすめ ― 人と人間の学びかた』(阿部謹也・日高敏隆、青土社、2014)― 自分自身の問題関心から出発した「学び」は「文理融合」になる



まったくの新刊ではなく復刊です。いまから10年前に、『「まなびや」の行方(MOKU選書)』(阿部謹也・日高敏隆、黙出版、2004)として出版された旧版の改題・新装版。

小出版社からの出版ゆえ、残念ながらあまり知られることのなかった良書が、こういう形で再刊されることはまことにもって喜ばしいことです。文庫化でもよかったのですが、青土社のようなメジャーな出版社からソフトカバーの単行本もまたよし、といったところでしょう。

阿部謹也(1935~2006)は、西洋中世史を専門とした歴史家。『ハーメルンの笛吹き男』などヨーロッパの民衆史を中心とした知られざる世界を日本語で語ってくれた人。後年は日本人を支配する見えない存在の「世間」について積極的に発言をつづけていました。

日高敏隆(1930~2009)は、動物行動学を専門とした生物学者。身近な生き物の世界を魅力たっぷりに語ってくれた人。残念ながらお二人とも鬼籍に入られてひさしい。

ともに専門家向けの狭い世界ではなく、一般社会にむけて平易なコトバで研究成果を語るという姿勢を共有していた人たちでありました。

この対談は、ともに学長という激務についていたことで直接知り合い、実現したものです。歴史家と生物学者という異分野の専門家が「対談」という形で共著をつくった背景は、日高氏からのラブコールであったことが「まえがき」に書かれています。




ここまで阿部謹也と敬称抜きで書いてきましたが、自分の大学学部時代の恩師なのでさすがに抵抗があります。以下、阿部謹也先生と書かせていただきたいと思います。

日高敏隆氏は、阿部謹也先生を「送る会」で弔辞を読まれた一人です。日高氏を見たのはその時だけでしたが、なんだかすごく憔悴しておられるような印象を受けました。その後数年を経てお亡くなりになりました。

ご関心のある方は、『阿部謹也 最初の授業・最後の授業 附・追悼の記録』(阿部謹也追悼集刊行の会、日本ネディタースクール出版部、2008)に収録されているのでご覧になるといいでしょう。弔辞そのものではありませんが、「「学問」とは何かを教わる」と題した日高氏の文章(日本経済新聞 2006年9月13日)が転載されています。

さて、『新・学問のすすめ』そのものについて見ておきましょう。面白い箇所はいくつもありますが、そのなかからいくつか抜き書きしておこうと思います。

阿部 いま、中国国内のカトリック教会とローマのカトリック総本山の間で、その叙任権闘争が起こりかけているんで、ぼくは興味深く眺めているんですけどね。叙任権闘争が中国で起こるかもしれない。つまり、中国政府は「大司教・司教の任命権は我にあり」と主張して、勝手に任命してしまったというわけです。ローマすなわちヴァチカン教皇庁はものすごく怒っている。これは、1200年頃にヨーロッパで起こったことと同じなんです。(第1章より)

名著 『自分のなかに歴史を読む』の読者ならご存知だと思いますが、さすが中学時代の一時期を修道院で過ごし、のちに中世史家になった人ならではの着眼点です。叙任権闘争とは、いわゆる「カノッサの屈辱」のことですね。中世史という学問がアクチュアルな問題を見る視点を提供してくれるという好例でしょう。

本には直接言及されていないのでついでに書いておきますが、中国におけるチベット仏教も同様の状況にあるといっていいでしょう。チベット仏教においては精神的指導者のダライラマは活仏とされ、その死後の後継者は輪廻転生によって生まれ変わったとされる子どもが選ばれるのですが、ダライラマにつぐナンバー2のポジションにある活仏のパンチェンラマの後継者については、中国共産党はホンモノを拉致して軟禁状態におき、ニセモノを擁立しているのです。任命権をチベット人から奪っているのです。

つぎの引用は、いわゆる「世間論」にかんするものです。

阿部 自己というものをあまり自覚しないような層は、そんなに苦しまなかったのではないかと思いますよ。内面がはっきりと自覚されるようになったときに、初めて自分というものが出てくるので、そうでないときは集団に埋没しているのですね。日本人は全体的にそうではないかと思います。いまでも集団の一員としての意識が強い。ただ、明治から百年以上たちましたから、エゴはもうできている・・・・(第3章)

「世間」というコトバが古臭いとしてあまりつかわれなくなったので、「空気」ばかりが話題になる現代日本ですが、「世間論」で提起された問題が消え去ったとはわたしは思いません。「隠れた神」は怖ろしいというフレーズがありますが、コトバじたいが語られなくなったことによって、そうでなくても見えない存在の「世間」はさらに日本人を縛り続けているのではないか、と思いますがいかがでしょうか。

最後に、「学び」について重要な指摘を紹介しておきます。

阿部 確かに、大学入試にも問題がありますが、ただ、教科書については、少なくとも一般書として売れるようなものでなければ、本当はいけないと思いますね。つまり、教科書というのはパターンが決まっていて、歴史でいえば古代から始まっているんですよ。ぼくは、現代からさかのぼっていくような、そういう歴史を書くべきだといっているのですが。
日高 「いま現在、こうである」ということから始まって、なんでそうなっているのかというふうにしていけば、みんな興味をもちますよ。(第3章)

「いま、ここ」にあるものに対する関心から出発するのは、『自分のなかに歴史を読む』という名著を中学生にもわかるように書いた阿部謹也という歴史家と、生物学者ユクスキュルの議論を援用しながら身近な「動物の文化」を語りつづけた日高敏隆という生物学者に共通するスタンスといっていいでしょう。英語だと Here Now と発想の順番は逆になりますが、「いま、ここ」と同じ発想です。哲学的にいえば時間論と空間論になります。

拙著 『自分を変えるアタマの引き出しの増やし方』の第1章は「引き出し」の増やし方1-「「好奇心」を最優先し「五感」をつかって「体験」する」、第2章は「「引き出し」の増やし方2-徹底的に「観察」する」というタイトルにしましたが、基本的に阿部先生と日高氏の方法論がベースにあるのです。日高氏の方法論について書かなかったのは、拙著の読者対象を若手ビジネスパーソンとしたためです。

『新・学問のすすめ』という「対談」は、もっぱら年長の日高氏が阿部先生に教えを請うという印象を受けますが、生物の世界に独自の「文化」や「歴史」を読み取ろうとしていた生物学者としての日高氏の知的好奇心のなせるわざだと受け取るべきでしょう。「文理融合」の一つの理想形がここにあります。

「学び」は、学校での勉強に限定されるものではありません。子どものように「なぜ?なぜ?」といった素朴な疑問を出発点にして、掘り下げていくものなのです。自分自身の問題関心を出発点にすべきものなのです。

深く掘ると同時に、幅も広げていく。これこそがほんとうの「教養」というべきものでしょう。自分自身の生き方と関係ない「知識」は、たんなる「知識」に過ぎません。

自分自身の問題関心から出発した「学び」こそ大事なのです。「自分とはなにか」を考えることからすべては始まるのです。


(画像をクリック!)


目 次

まえがき 日高敏隆

第1章 「まなびや」の在るべき姿を求めて
  教会の「藁敷き」が教室だった
 自然科学は「森の開墾」から始まった
 教会の補強機関から「国家エリート養成機関」へ
 「趣味の学問」から脱して「国民を意識した学問」へ
 学問が「政治のしもべ」のままでいいのか
 大学の余剰を「生涯教育」に開放せよ
 「科学的根拠」という誤解
 『万葉集』と天体物理学の融合
 「わかる」こととは「自分が変わる」ことである
 評価する立場で変わる「客観性」の無意味さ
 日本には「集団の中にいる個人」しかない
 「民主主義とはなにか」を議論しない風土
 「地域が必要とする大学」でなければ存続できない
 学問の根本は「人間の研究」にある
 「学生の将来」を教師が共に考えるゼミ

第2章 「自分とはなにか」から始まる学問-歴史学(阿部謹也)
 修道院で芽生えた「ヨーロッパへの憧れ」
 「自分」を知ることは「全世界史」を知ること
 教科書をおもしろくする工夫
 「建て前」に終始してきた日本社会
 日本的「世間」の中の「個人」
 自分にとっての本当の「幸せ」とはなにか

第3章 「学び」の原点はどこにあるのか
 ウグイスは「カー」と鳴けるか
 学習が子どもの発想を阻害している!?
 「自分の目で見る」ことの難しさ
 遺伝子では人間はわからない
 「死後」の話は現世の問題のあらわれ
 「齟齬は消滅するだけ」の考えは個人の確立が前提
 日本で「個」が確立するということ
 「もって生まれた個性」という嘘
 「母親のエゴ」に振り回される子ども
 教科書はおもしろくできるのか

第4章 「数式にならない」からおもしろい-生物学(日高敏隆)
 「学問」は役に立つか?
 「生物」と「無生物」の違い
  「カラスはなぜ攻撃したのか」
 数式にならない学問こそ大切
 遺伝子たちのプログラムを信用せよ
 今後の学問はどこへ向かうのか

あとがき 阿部謹也
新版解説: 亀山郁夫 (東京外国語大学学長)

著者プロフィール 

阿部謹也(あべ・きんや)
1935~2006。専攻はドイツ中世史。1958年一橋大学経済学部卒業後、同大学院社会学研究科博士課程修了。小樽商科大学教授、東京経済大学教授を経て一橋大学教授。1992年からは一橋大学学長を務める。1999年より共立女子大学学長。社会史研究の泰斗として知られる。「世間」をキーワードに独自の日本人論を展開(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

日高敏隆(ひだか・としたか)
1930~2009。専攻は動物行動学。1952年東京大学理学部卒業後、東京農工大農学部教授、京都大学理学部教授を経て、滋賀県立大学初代学長、総合地球環境学研究所初代所長などを歴任。ティンバーゲン、ローレンツ、ドーキンスらの日本への紹介者としても知られている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




PS 『阿部謹也 最初の授業・最後の授業 附・追悼の記録』(阿部謹也追悼集刊行の会、日本ネディタースクール出版部、2008)
・・わたしのゼミ同期である阪西紀子・一橋大学教授による「弔辞」には1983年~1984年当時のゼミナールの様子が書かれているので、ご関心のある人はご参照いただきたい。


なお、阪西紀子教授による「研究室訪問 阿部謹也教授追悼編」(一橋HQ Vol.14 2005年?)でも、当時のゼミナールの様子が回想されている(2021年3月12日 追記) 



<ブログ内関連記事>

「自分のなかに歴史を読む」(阿部謹也)-「自分発見」のために「自分史」に取り組む意味とは
・・わたしがもっとも推奨したい一冊

クレド(Credo)とは
・・後半の「クレド(credo)とは-その原義をさかのぼる」で、『世間を読み、人を読む-私の読書術-』(阿部謹也、日経ビジネス人文庫、2001)から長い引用を行って「信徒信経」としてのクレドについてくわしく解説した

猛暑の夏の自然観察 (3) 身近な生物を観察する動物行動学-ユクスキュルの「環世界」(Umwelt)
・・日高敏隆氏の「動物行動学」について触れている。『生物からみた世界』(ユクスキュル/クリサート、日高敏隆/羽田節子、岩波文庫、2005)は、日高氏のものやコンラート・ローレンツの著作とともに、ぜひ読んでほしい名著

猛暑の夏の自然観察 (2) ノラネコの生態 (2010年8月の記録)
・・「身近な生物」から観察を始める

アリの巣をみる-自然観察がすべての出発点!

Study nature, not books ! (ルイ・アガシー) 

書評 『梅棹忠夫-未知への限りない情熱-』(藍野裕之、山と渓谷社、2011) -登山と探検という軸で描ききった「知の巨人」梅棹忠夫の評伝
・・自然観察から始まるフィールドワーク

書評 『正統と異端-ヨーロッパ精神の底流-』(堀米庸三、中公文庫、2013 初版 1964)-西洋中世史に関心がない人もぜひ読むことをすすめたい現代の古典
・・「叙任権闘争」について。いわゆる「カノッサの屈辱」である

書評 『サウンド・コントロール-「声」の支配を断ち切って-』(伊東乾、角川学芸出版、2011)-幅広く深い教養とフィールドワークによる「声によるマインドコントロール」をめぐる思考
・・物理学と音楽、そして人文的教養という「文理融合」

月刊誌 「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2013年11月号の 「特集 そして、「理系」が世界を支配する。」は必読!-数学を中心とした「文理融合」の時代なのだ

語源を活用してボキャブラリーを増やせ!-『ヰタ・セクスアリス』 (Vita Sexualis)に学ぶ医学博士・森林太郎の外国語学習法
・・医学と文学という「文理融合」

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!

(2014年3月25日 情報追加)


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