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2023年2月7日火曜日

書評『だまって座れば ― 観相師・水野南北一代』(神坂次郎、新潮社、1988)― 膨大なデータをもとに人相と運勢の相関関係を発見した「観相師」の生涯

 

『だまって座れば ―  観相師・水野南北一代』(神坂次郎、新潮社、1988)という歴史小説を読んだ。これはじつに面白い作品だった。最後まで楽しんで読むことができた。  

作家の神坂次郎(こうさか・じろう)は、かつて『元禄御畳奉行の日記 ー 尾張藩士の見た浮世』(中公新書、1984)がベストセラーとなって、わたしもその昔読んでいる。このほか、『今日われ生きてありー知覧特別攻撃隊員たちの軌跡』(新潮社、1985)はかなり以前に文庫版で読んだ。

昨年2022年9月16日に95歳で亡くなっている。じつに多作の作家であった。

 『だまって座れば ー 観相師・水野南北一代』は、人相判断を科学の域まで高めた「観相師」の一代記である。 

南北というと『東海道四谷怪談』の鶴屋南北を想起するが、こちらは水野南北である。江戸時代後期に生きた同時代人だが、まったくの別人である。鶴屋南北は江戸の人、水野南北は大坂の人であった。 


■人相判断を科学の域まで高めた「観相師」

水野南北(1760~1834)という人物のことは、『江戸時代の小食主義 ー 水野南北『修身録』を読み解く』(若井朝彦、花伝社、2018)という本で、はじめてその存在を知った。

運を呼び寄せ、長生きしたけりゃ、小食に徹すべしという内容だ。その通りに実行はできない内容ではあるが、その趣旨には大いに賛同している。




その水野南北は「観相師」であった。人相判断である。人相を見て運勢を判断するのが観相師。易者ではない。

学問を積んだ学者ではない。もともと極道として入牢経験もある人物であり、ストリート・スマートというべき人物であった。 

死相が見えると指摘されたことにショックを受け、その指摘を行った乞食僧のもとで、人相判断の原理を3日かけて学んだあと、「万人観相」せよという師のアドバイスに従って人間観察の旅に出る。 過去の中国で書かれた専門書の知識ではなく、生きた現実世界のなかで直接自分の目で徹底的に観察せよ、ということだ。

大坂から江戸に出て、さらに石巻沖の金華山で仙人修行もしている。日々の生活は、南蛮渡来と称する秘薬の販売で立てていたという。 



■フィールドワークで膨大なデータを収集し脳内データベース化

人相と運勢の関係について、問題意識をもって仮説検証するには、一定以上のデータを集める必要がある。水野南北は、どうやってそれを実行したのか、それが大いに興味をそそられるのである。

「万人観相」を肝に銘じて、10年近いフィールドワークにおいて膨大な数の男女の顔と人体をサンプルとして観察している。「万人」というが、おそらくサンプル数は1万人ではきかなかったのではないか?

本人はそんな概念など知りもしないだろうが、「帰納法」で人相と運勢の「相関関係」を発見、脳内データベースを瞬時に駆使して、限りなく100%に近い精度で運勢を言い当てることが可能になった人物である。 

そのフィールドワークの内容がまたすごいのだ。まずは「髪結い」で3年過ごして人相と運勢の関係を徹底的に観察している。髪結いとは、現代でいえばヘアサロンのことである。お客との会話で情報を聞き出すのである。 

人相が重要で、とくに眼が最重要だが、つねに見えている顔以外の要素も重要だと悟って、湯屋(=風呂屋)で三助となって、男女の人体と人相の関係をくまなく観察すること3年(ただし、女性については別途の手段も併用しているという)。さらに、死因と運勢の関係を研究するために葬儀場で3年過ごしているのだ。 

その徹底ぶりには驚くばかりである。現代風にいえば、文化人類学で使用される「参与観察法」の手法そのものである。 

とはいえ、メモなんて取らないのである。いや取れる現場環境ではなかろう。だから、すべてを脳内で反芻し、相関関係を見いだして脳内でデータベース化して記憶していくのだ。下手に学問なんかないから可能だったのかもしれない。 

まさに経験科学であり、統計学の知識をもたない統計学者であったというべきだろう。裏世界にも熟知した、人間観察を極め尽くした人でもある。観相師として大成功し、全国各地から弟子が集まってきたという。 


(『江戸時代の小食主義』より。神坂次郎の本によれば、本人もあまり人相がよくないことは自覚していたという)


もてる知識を弟子たちに直接教えただけでなく、出版によって惜しむことなく広く世間に公開している。素晴らしいではないか。 それだけ自信があったのだろうし、また世の中に広めたいという意識も強かったのだろう。



■水野南北の説いた「小食主義」

そんな水野南北が最終的にたどりついた極意が「食の一条」である。運勢を変えるためには、小食に徹すべしと思想のことだ。運勢とは、その人が生きてきた軌跡そのものであり、それは何を食べてきたかでもある。

その思想は、19世紀後半から20世紀初頭に活躍したルドルフ・シュタイナー(1861~1925)の思想を想起させるものがある。唯物論者フォイエルバッハの「人間は、食べるところのものである」を援用して、人間は肉体だけでなく、その精神も、その人がなにを食べてきたかで決まってくると説いている。

水野南北に戻れば、太陽の気の「天の相法」と「食の相法」が密接に関係していることに開眼したのが、伊勢における21日間の断食行の最終日であったという。 

太陽神である内宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)と食物の神である外宮の豊受大神(とようけおおかみ)。伊勢神宮ならではの開眼である。 

話としてちょっと出来過ぎのような気がしなくもないが、水野南北本人がそう書いているのだから、そうなのだろう。 

水野南北の観相は、運命をいい当たるだけでなく、凶相を逆転させ良い方向に転換させるアドバイスを行うものであったらしい。これまた素晴らしいではないか。人を脅かして弱みにつけ込むような輩とは、まったく違うのである。苦労人だけに、人情味のある人だったらしい。 

そんな水野南北は、弟子たちには「水野」も名乗らせず、「南北」の文字を使うことも禁止していたという。「一代限り」としていたからだ。これまた素晴らしい。 

ところが、女性を見る目がぜんぜんなっていなかったらしい。観相師で人相判断ができるのに、女性関係にはことごとく失敗している。これまた天の配剤というべきか、人間というのは面白い。 

江戸時代の時代小説というと、「江戸」を舞台にしたものばっかりだが、この作品は主要な舞台が徳川幕府の直轄地であった「大坂」であり、セリフも大阪弁であるのがたいへん良い。もっとも、聞くのと違って、目で読む大阪弁はややわずらわしいのだが・・。 

時代考証もかなりしっかりなされており、なによりも作家自身がこの水野南北という人物を好きであることが、じかに伝わってくる。もちろん、わたしもさらに水野南北に対する関心が深まることになった。 


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<ブログ内関連記事>

■参与観察法








■大坂で活躍した人びと



■「人間は、食べるところのものである」



・・二宮尊徳も成田山で21日間の断食修行を行っている


■ひらめき



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2019年7月28日日曜日

書評『評伝 小室直樹 上・下』(村上篤直、ミネルヴァ書房、2018)― かつて小室直樹という桁外れの知的巨人がいた



小室直樹という桁外れのスケールの学者の「評伝」を読了した。『評伝 小室直樹 上-学問と酒と猫を愛した過激な天才』と『評伝 小室直樹 下-現実はやがて私に追いつくであろう』の2巻本である。

著者は村上篤直氏。出版社は京都のミネルヴァ書房。 活字は大きく、文体も行替えの多い小室直樹の一般向け書籍風であるとはいえ、注を除いた総ページ数が上下2巻で1200ページ超という大著である。これまた桁外れだ。よくこんな本が出版できたものだ。 

小室直樹氏は、2010年に78歳で亡くなっている。それからすでに9年たつ。真っ当だが、やや過激な内容であった一般向け書籍の多くが絶版となっているが、晩年に出版された「原論もの」の単行本は、現在でもロングセラーであり続けている。 

高校時代に『ソビエト帝国の崩壊』(カッパビジネス、1980)を読んで以来、数学を基礎にして社会科学の全分野を網羅した、小室直樹という桁外れの学者の大きな影響を受けてきた。社会科学のすべての分野を自家薬籠中のもとして、快刀乱麻の如く現実を斬ってみせる、その鮮やかさはわかりやすく、しかもきわめて痛快だ。 

そして小室直樹氏自身、この1冊で運命が大転換してしまったようだ。学問と酒とネコ以外関心がないという奇人変人が、48歳を期にマスコミの寵児となってしまったからだ。それについては、本書の下巻の内容となる。 

『危機の構造』(ダイヤモンド社、1976)こそ、「アノミー論」に代表される、小室直樹氏の方法論について書かれた代表作ともいうべき本(*)なのだが、学者や研究者に注目されたこの本は、その世界を超えて一般に受け入れられることはなかった。

(*注:この投稿の<付録> これこそ名著! ぜひ復刊を望みたい を参照)

とはいえ、大学でのポストを獲得することはできなかった。規格外の怪物は、制度のなかに安住する大学人からは嫌われていたからだ。 

だが、ベストセラー作家となったことで、社会科学の分野でノーベル賞をとる!という誇大妄想気味な最初の志は全うできなかった。 

悔いなき人生だったのかどうかは、外部からは伺い知るよしもない。内面の葛藤が、心身をむしばんでいったのかもしれない。

貧乏だが意気軒昂の上巻とくらべて、下巻の内容は、なんだか痛々しいという印象を感ぜざるを得ない。『ソビエト帝国の崩壊』以降の一般読者にとっては、知りたい内容が満載で、その点では大いに満足することになる内容ではあるのだが。 

上下2巻のこの大著は労作である。よくぞここまで資料を収集し、関係をたずね回って調べ上げたものだなあ、と。その成果が惜しみなく投入されている大著。著者自身の人生にとって、一度も直接会ったことのない小室直樹という存在が、いかに大きなものになっていたのである。 


■小室直樹の方法論は「帰納法」ではなく徹底した「演繹法」

だが、ふつうこれくらいボリュームのある本を読了したときは、読みごたえありという感想をもつのだが、どうもそういう感じがわいてこない。それはなぜかについて考えていた。 

結論というわけではないが、一つは小室直樹氏の弟子筋にあたる人たちとは、自分があまりにもテイストが違いすぎるということにある。正直いって生理的に合わないということである。この人たちが祭り上げる存在としての小室直樹には距離を取りたくなる。 

もっと本質的なことは、小室直樹という大学者が、理論にしか関心をもっておらず、実証にはまったく関心がなかったという点が確認できたことにある。事実から出発する方法論ではないのだ。 

比較するのもおこがましいが、私自身とはまったく資質が違う。高校時代に「演繹法」と「帰納法」の違いについて知ったが、森羅万象すべてに関心のあった自分は、「帰納法」だなと確信した。現実から理論を引き出す方向性。 

ビジネスパーソンには人気のあった小室直樹氏だが、現実世界そのものであるビジネスの世界に、どっぷりと浸かっていた私のような人間とは資質が違いすぎることを感じてしまう。 小室直樹氏の業績が独創的かと言われれば、かならずしもそうでないと言わざるを得ないのは、方法論の性格に起因している。

小室直樹氏の方法論とは、理論を徹底的に鍛え上げて、その理論によるフレームワークで現実を解析するという絵に描いたような演繹法だ。 だから、「原論」的な書籍での切れ味はきわめて良い。スパっと切れるのは、雑多な現実を捨象してしまうからである。

社会変動の理論を打ち出そうと奮闘した小室直樹氏の生涯だが、演繹法には限界があることが明らかになっているのが、21世紀の現在の状況である。前提そのものが崩れつつある現状では、小室直樹氏の方法論にはムリがあると、感じないわけないわけにはいかないのである。合理的思考法の限界か。小室直樹の「亜流」が精彩を欠くのはそのためだ。

だが、繰り返しになるが、憲法や宗教、数学など『日本人のための●●』がタイトルがついた「原論もの」は、まだしばらくは生命を保ち続けるだろう。これほど明解に「原理」そのものを説明してくれる解説書は、ほかに例がないからだ。演繹法の強みである。

フレームワークで理解することの意味がそこにある。こういった形の書籍を残せた理由は下巻で語られている。配偶者となった元編集者の貢献は大きい。


■合理主義を支えた非合理な熱情

個人的には、本書の最大の貢献は、京大から阪大にかけての学問形成期の小室直樹氏の、学問とは別の天皇主義者としての側面についての解明だと思う。敗戦後にいっさい転向しなかった人生である。生き方である。 

それは、数理経済学者の市村真一氏の門下として、経済学という学問だけでなく、皇国史観の平泉澄(ひらいずみ・きよし)が主催する寮生として過ごした年月のことだ。この側面を理解することによって、合理を貫いた姿勢の背後にある非合理な熱情がなにであったかを知ることができるのである。 

『日本教の社会学』(1981年)の共著者となったのは山本七平だが、2人のあいだで共通の認識の核となっている、江戸時代の儒者で思想家の山崎闇斎(やまざき・あんさい)に始まる「崎門(きもん)の学」、その系譜にある浅見絅斎(あさみ・けいさい)という存在。 

「日本こそ中華(=世界の中心)である」という天皇中心の神国思想が生まれ、下級武士を中心とした倒幕勢力の原動力の核心となったこと、しかし明治維新後はほとんど顧みられなくなったという事実。なぜ、崎門の学であり、浅見絅斎なのか、これは、小室直樹氏の前半生について知らなければわからないことなのである。 

合理を貫き、理論を徹底的に鍛え上げることを基本方針とした小室直樹氏だが、数日にわたる断食によってアタマをクリアにし、直観が降りてくるのを待つという方法論もまた、エピソードとして本書の随所にでてくる。過度の断食と過度の飲酒が、命を縮めたことは否定しようない。 

書き出していくときりがないが、この大著は、資料集として大いに価値がある。充実した索引、年譜と著作目録、これが本書のキモだ。 小室直樹に惚れ込んで、小室直樹にかんするものすべてを収集してしまいたいという情熱とライフワークの一里塚である。

著者のような人がいたことは、故人にとっては幸せなことであったと言うべきであろう。



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上巻 目次 

はしがき 
第1章 柳津国民学校-征夷大将軍になりたい 
第2章 会津中学校-敗戦、ケンカ三昧の日々 
第3章 会津高校-俺はノーベル賞をとる 
第4章 京都大学 -燃える“ファシスト "小室と“反戦・平和"弁論部 
第5章 軍事科学研究会と平泉学派-烈々たる憂国の真情 
第6章 大阪大学大学院経済学研究科-日本伏龍 小室直樹 
第7章 米国留学、栄光と挫折-サムエルソンを成敗する!  
第8章 東京大学大学院法学政治学研究科-社会科学の方法論的統合をめざして 
第9章 田無寮-学問と酒と猫と 
第10章 社会指標の研究-福祉水準をどう測定するか 
第11章 小室ゼミの誕生と発展-君は頭がいいなぁ、素晴らしい! 
第12章 一般評論へ-日本一の頭脳、44歳、独身、6畳1間暮らし 
第13章 小室ゼミの拡大-橋爪大三郎の奮闘 
第14章 瀕死の小室-すべては良い論文を書くために 
第15章 出生の謎-父はマルクス、母はフロイト 
注 
あとがき 
小室直樹試論-なぜ小室直樹はソ連崩壊を預言できたか 
小室直樹著作目録 
人名・事項・猫名索引 

下巻 目次  
はしがき 
第16章 おそるべし,カッパ・ビジネス-俺はマスコミに殺される 
第17章 ‟旧約" の時代と ‟新約" の時代-奔走する担当編集者たち 
第18章 田中角栄-検事を殺せッ!  
第19章 対話-危惧、矜持、疑問、痴態、怒号、憧れ、感動 
第20章 小室ゼミの終焉-最高のティーチャー 
第21章 スナック・ドン-野良でも、血統書つきでも、猫は猫 
第22章 日本近代化と天皇-方法論学者(メソドロジスト)の本領発揮 
第23章 誰も書けなかった韓国-‟新約" 編集者たちの活躍 
第24章 昭和天皇-神であり、英雄である 
第25章 結婚-おれの嫁、覚えててくれ 
第26章 死、訣別、そして再会-寄る年波に抗えず 
第27章 『原論』の時代-いい本は、最低限10回は読みなさい 
第28章 晩年-人生は短い 
第29章 会津彷徨-ある会津藩士の記録 
第30章 没後-学恩に報いる道 
注 
あとがきにかえて-私にとっての小室直樹とは 
小室直樹略年譜 
人名・事項・猫名索引




<付録> これこそ名著! ぜひ復刊を望みたい

 『危機の構造ー日本社会崩壊のモデル-』(小室直樹、ダイヤモンド社、1976)が、取り上げられている。このたび上下2巻の評伝を出版した村上篤直氏へのインタビュー記事。 この記事を読んでFBに投稿した内容(2018年11月3日)を、ブログに転載する。

(以下引用) 

坪井賢一(以下、坪井) 
 村上さんが小室先生の著作や理論のなかで最も重要だと思うものは何ですか? 
村上篤直(以下、村上) 
 著書としては、ダイヤモンド社から1976年に出た初の単著『危機の構造』ですね。これはダイヤモンド社に気を遣って言っているわけではなく(笑)、日本の名著100冊に必ず入れるべき作品だと本当に思っています。その後の小室先生の著作は、ある意味では『危機の構造』で語ったことの繰り返しとさえ言えると思います。日本の社会というのは戦前と戦後で変わっていない。機能集団である会社が共同体化してしまい、その矛盾が日本社会の危機の構造である、と実に見事に納得のいく説明をされている。そこで用いられ、日本の構造的無規範、無連帯を分析した「アノミー」の理論は今でも十分に通用するものです。 




まさに村上氏が言うように、『危機の構造』は小室直樹の原点でありエッセンスである。私が読み込んだのは1982年の「増補」版だが(写真)、本当に何度も何度も繰り返し読み込んだ本だ。「増補」されたのは「第8章 私の新戦争論ー合理的、論理的側面」。 

小室直樹自身は、「増補 あとがき」(1982年)でこう述べている。「私が力説したかったのは、日本人の社会科学的な思考の致命的な欠落である」。これが、小室直樹が一生かけて主張し続けたことであったのだが、はたして日本人は社会科学的思考が身についたといえるのだろうか??? 

内容的にはやや難しい点もあるが(・・なんといっても、数学から経済学、法学、社会学までずべて制覇した天才学者だ)、ダイヤモンド社には、ぜひ新装復刊を望みたい(*)。


*2022年8月に「新装版」として復刊されたことを記しておく。 (2024年4月22日 記す)


(画像をクリック!)


目  次 
第1章 戦後デモクラシーの認識 
第2章 日本型行動原理の系譜 
第3章 歴史と日本人思考―ジャーナリズム批判 
第4章 「経済」と「経済学」 
第5章 危機の構造 
第6章 ツケを回す思想 
第7章 社会科学の解体 
第8章 私の新戦争論





<ブログ内関連記事>

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む

書評 『日本教の社会学』(山本七平/小室直樹、ビジネス社、2016 単行本初版 1981)-「日本教」というキーワードで日本社会をあざやかに分析した濃密かつ濃厚で骨太な議論

最近ふたたび復活した世界的大数学者・岡潔(おか・きよし)を文庫本で読んで、数学について考えてみる

書評 『異端力のススメ-破天荒でセクシーな凄いこいつら-』(島地勝彦、光文社文庫、2012)-「常識に染まらず、己の道を行く」怪物たちの生き様

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-

『生誕150年企画展 南方熊楠 100年早かった智の人』(国立科学博物館 東京・上野)に行ってきた(2017年12月22日)-「グローカル」で「智の巨人」であった南方熊楠の全体像を知る企画展


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2014年12月6日土曜日

書評『渋沢栄一 上・下』(鹿島茂、文春文庫、2013 初版単行本 2010)― 19世紀フランスというキーワードで "日本資本主義の父" 渋沢栄一を読み解いた評伝



「日本資本主義の父」というフレーズがつねについて回る渋沢栄一。だが、渋沢栄一については、わたし自身その決まり文句以上のことは、じつはよく知らなかった。最後まで通読して、つよくそう感じさせてくれた長編評伝だ。

もし渋沢栄一が日本にいなかったら、近代日本は現在のロシアや中国のような略奪資本主義となって、結局は「近代化」に失敗していた可能性がきわめて高い。その意味でも、日本の近代化と資本主義経済の導入の出発点に渋沢栄一という希有な人物をもったことは、日本にとってはきわめて幸運なことであった。

時代が人をつくるという。だが、そうはいっても、すぐれた人物の多くが非業の死を遂げるのが変革期である。幕末から維新にかけてもそうであった。明治に入ってからの「近代化」のステージにおいて、きわめて重要な活躍をした渋沢栄一が92歳という長寿を全うし、最期まで精力的に社会に貢献したことは、日本の経済界のみならず、近代日本にとっては幸いなことであった。

『渋沢栄一 上下』(鹿島茂、文春文庫、2013)は、文庫本で上下あわせて1,000ページ以上もあるだが、最初から最後までまったく飽きさせることがない充実した内容である。「発見」のよろこびを感じながら最後まで読み進めると、上記のような感想を抱く人も少なくないと思う。


■ナポレオン三世のフランスの第二帝政期の空気を吸った渋沢栄一

なによりも視点の面白さはバツグンだ。その視点とは、渋沢栄一の20歳代後半におけるフランスにおける体験の重要性に正面から取り組んだことである。

近代資本主義を日本に定着させた渋沢栄一だが、若い頃に決定的に影響を受けたのは近代資本主義の牙城であった英国でも米国でもない。晩年は米国との関係を最重要視したが、若き日に大きな影響を受けたのは幕府崩壊前の一年半を過ごしたフランスであった。

倒幕と攘夷に血をたぎらせていた若き渋沢栄一は、心ならずも一橋家の家来となり、主君の一橋慶喜が徳川慶喜として将軍となったことで自動的に幕臣となる。それゆえに実現したフランス行きであった。幕府にはフランス、薩長には英国がバックについていたからである。渋沢栄一は、慶喜の実弟の徳川昭武の随行者としてフランスに渡航する。


(カバー写真はパリの渋沢栄一)


渋沢栄一を語ることのできる人はたくさんいるが、19世紀フランスとのからみで生き生きと描くことできるのは、本書の著者の鹿島茂氏をおいてほかにいないだろう。バルザックの翻訳や19世紀フランスを題材にしたエッセイ多数で知られる多作の人である。『子供より古書が大事と思いたい』というエッセイ集をもつ古書の収集家でもある。

19世紀フランスはナポレオン三世の第二帝政時代。パリ万国博覧会という「博覧会的」なるものが、産業資本主義へと発展し、パリ改造が美しき都を生み出したフランス近代の分水嶺の時期にあたる。現在のパリは、ナポレオン三世時代の大改造後のものである。

フランス革命以後、狭義の「近代」がはじまるわけだが、基本的に国家中心の中央集権で反資本主義的傾向の濃厚なフランスにおいて、ナポレオン三世の時代は例外的に資本主義との親和性の高い時代であった。

その時代に開催されたパリ万国博覧会への出展を兼ねて、徳川昭武一行がフランスに渡航したわけである。そして会計担当として随行した渋沢栄一は、その時代のパリの空気を存分に吸ったというわけなのだ。

本書の最大の特色は、渋沢栄一が意図せずしてサン=シモン主義の影響を受けているという指摘である。サン=シモン主義とは、社会思想家のサン=シモン(1760~1825)が主張した産業主義のことであるが、この思想はフランスでは例外的な発想であり、ナポレオン三世時代のフランスを支えた思想でもある。

幕末から明治時代初期にかけてのフランスの影響というと、中江兆民に代表されるルソーの「天賦人権論」を想起するが、渋沢栄一のサン=シモン主義の場合は思想から入ったのではなく、実務をつうじて交際のあったフランス人からの影響のようだ。


(サン=シモン 『産業者のカテキスム(教理問答)』 岩波文庫より)


■サン=シモン主義と19世紀フランスの「圧縮した産業発展」

著者によれば、資本主義とはあまり「親和性が高くないフランスだが、例外的に近代資本主義への道を準備したのがサン=シモン主義であるという。フランスでは異端の産業思想なのである。

近代資本主義の発祥の地はいうまでもなく英国だが、英国に比べて資本主義の点でははるかに遅れていたフランスは、サン=シモン主義をベースにした第二帝政期の産業資本主義によって、遅れを取り戻したのである。つまり超高速度でキャッチアップを行った「圧縮した産業発展」を遂げたということだ。

だからこそ、日本をはじめとする当時の「新興国」は、フランスをお手本にして演繹的に学ぶことができたというのが著者の見方である。この見方はじつに興味深い。

渋沢栄一自身は、著者によれば子どもの頃から帰納法的な発想にすぐれ、システム思考の持ち主であった人でった。その意味ではむしろアングロサクソン的知性の持ち主であったが、フランスにおいて「圧縮した発展」を実務をつうじて学ぶことができたことで、資本主義の「ゲームのルール」を体得したわけである。

フランス語を学び、フランスで西欧近代を体感した渋沢栄一は、「個」のチカラを束ねる株式会社の重要性を知る。株式によって小さなカネを集めて大きな資本とし事業を推進する。経済という側面だけでなく、社会全体にもあてはまる話である。


■株式会社制度による近代ビジネスによって日本近代化を推進

豪農の家に生まれたが農民出身で武士になり、倒幕を志していた渋沢栄一であったからこそ、つねにお上(=官)が民のうえに幅をきかす身分制度の問題点に敏感であった。

渋沢栄一が目指したのは、ビジネスをつうじた日本近代化といっていいだろう。商慣習の近代化をテコに意識改革を行い、近代市民意識を育成し、近代的な市民社会の創造するという理想。それは、株式会社による「社会革命」でもある。倒幕という熱い思いから出発した渋沢栄一は、根本において「革命家」であったわけだ。

「官尊民卑」打破という強い思いは、福澤諭吉と共通するものがある。「近代化」に邁進していた明治日本において、渋沢栄一は福澤諭吉と同様に大きな意味をもった人なのだ。ともに「一身にして二生を経る」ことになった人である。福澤諭吉が蘭学を経て英学に進んだ学問の人であるのに対し、渋沢栄一は本格的な学問はやっていないが漢籍の教養をもつ実践知の人であった。

福澤諭吉が言論と教育という間接的な形でそれを行ったにの対し、渋沢栄一はビジネスという実践という直接的な形と、それをサポートする教育をはじめとする社会事業によってそれを行ったのである。

資本主義のプロモーター、資本と経営の分離の推進者、商業教育と女子教育を全面的にバックアップ、労使協調を重視、日米関係を最重要視した晩年の民間外交。

こういった渋沢栄一の「事業」は、ただたんに「日本資本主義の父」というフレーズからだけは見えてこないものだ。全体像として把握しないと、渋沢栄一が目指していたものが見えてこないのである。

文庫本の上巻は「算盤篇」、下巻は「論語篇」となっているのは、渋沢栄一のもうひとつの有名なフレーズである『論語と算盤』から取られたものだが、「算盤篇」と「論語篇」は便宜的にわけたものである。両者あいまって「渋沢栄一的なるもの」を形成しているのである。




■「君子の交はりは 淡きこと水の如し」(荘子)

渋沢栄一は、商業教育においても大いなる推進者であった。日本近代化を「民」の立場から、経済の面から支えるビジネスマンの人材養成を担った「実学」である。

その代表的なものが現在の一橋大学である。初代文部大臣となった森有礼(もり・ありのり)がポケットマネーで開設した商法講習所という「私塾」から出発した一橋大学だが、明治7年に「商学校ヲ建ルノ主意」という設立趣意書を執筆したのは福澤諭吉であり、財政面でのバックアップに手腕を発揮したのが渋沢栄一である。東京高商の大学昇格も、渋沢栄一が全面的にバックアップしている。

官尊民卑の風潮のなか、その歴史においては何度も存続の危機に見舞われた一橋大学であるが、危機に見舞われる度ごとに渋沢栄一が学校と政府との仲裁役として登場し、事態の収拾に大きなチカラを発揮している。それほど商業教育という「実学」に、理想実現のための大きな意義を感じていたということだ。渋沢栄一は戦前の一橋大学の守護神でありつづけたのである。

時代の激動期に武士になり、一橋家に仕えた政治志向のきわめて強かった渋沢栄一は、一橋大学の卒業生の同窓会組織である「如水会」の命名者でもある。如水会の如水は黒田如水(=黒田官兵衛)からではない。中国の古典である『荘子』からとられたものだ。

君子の交はりは 淡きこと水の如し  
小人の交はりは 甘きこと醴(あまざけ)の如し
(君子之交淡如水 小人之交甘若醴)
(出典: 「荘子」 山木篇第二十)


「君子の交はりは 淡きこと水の如し」とは、正しい交際のあり方についての格言である。君子と対語(ついご)の関係にある小人(しょうじん)ではじまるフレーズと対比させれば、おのずから意味が明らかになるだろう。

それはベタベタとしたなれ合いの甘ったるい関係ではなく、自立して自律できる「個」をベースにした近代的な人間関係を示唆したものだといってよいだろう。それは砂糖水のような混ぜものではなく、ときには厳しささえも感じる清冽な真水のような関係である。

このフレーズを中国の古典から引いてきて、「近代」という新たな生命を吹き込んだことにも、渋沢栄一の思想が反映しているといっていい。もちろん、ビジネスエリートどうしの交際は「かくあるべし」という理念にかかわるものなので、実現は容易ではないのではあるが。

キャプテン・オブ・インダストリーを標榜してきた一橋大学は、渋沢栄一の思想だけでできあがったものではないが、渋沢栄一の思想を体現していることはいうまでもない。理想実現のための仕組みの一つでもあった。

一橋大学の卒業生組織である如水会は、ことし(2014年)設立100周年を迎えた。神田一橋の地にキャンパスのあった一橋大学は、当時の名称は東京商科大学であったが、戦後の大学改革のなか一橋大学と校名変更が行われた。

「日本資本主義の父」が同窓会の名称の命名者でもあるということで、わたし自身は渋沢栄一には「大いなる親近感を抱いてきた。「君子の交はりは 淡きこと水の如し」というフレーズの意味も30年以上にわたって幾万回となく反芻(はんすう)し、その意味を考えてきた。

渋沢栄一と一橋大学との関係は、「第5章 すべては「民」の発展のために」の「第43回 東京高商の設立」に書かれているが、このフレーズへの言及はない。あえて取り上げて解説しておいた次第だ。

一橋大学以外にも東京商工会議所をはじめ、渋沢栄一の息がかかった会社や組織はじつに多い。みずからの司令塔であった」第一国立銀行を中心に500社(!)の創立・発展に関与しているからだ。近代ビジネスに不可欠のビジネスインフラつくりに邁進した成果である。

日本のエスタブリッシュメントといわれる大企業の多くが、渋沢栄一が関与した基幹産業分野のものである。それぞれの立場で、渋沢栄一の存在を身近に感じてきた人は多いことだろう。

(如水会にある渋沢栄一の胸像 筆者撮影)


■「渋沢栄一なるもの」の要約

繰り返すが、日本の近代化と資本主義経済の導入の出発点に渋沢栄一という希有な人物をもったことは、日本にとってはきわめて幸運なことであった。これが本書のテーマである。

本書の内容を、さらにわたしなりに「渋沢栄一なるもの」として以下の三項目に要約しておこう。

●実利志向の現実主義者であるが、もともと政治志向の強い血気盛んな理想主義者であった
●20歳代後半に、19世紀フランスで最先端の「近代西欧文明」の本質をつかんだ
●西欧の制度と習慣を身につけた「欧化主義者」だが、キリスト教の影響をほとんど受けていない。教養の基本は漢籍であった

それぞれの項目について説明すると長くなるのでここでは省略するが、意味するところは本書を通読して感じ取っていただきたいと思う。

本書は、渋沢栄一の生涯を全体像として描いたものだ。著者は、企画から単行本の出版にこぎつけるため、18年も要したライフワークの一つであると「あとがき」に書いている。

それだけの価値ある大著である。ぜひ時間をつくって読むことを薦めたい。


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目 次 

上 算盤篇

まえがき-渋沢栄一とドラッカーとサン=シモン主義と
第1章 渋沢なくして日本の奇跡はなかった
第2章 パリで西洋文明の本質を見抜く
第3章 大蔵官僚として「円」を造る
第4章 日本の資本主義を興す

下 論語篇

第5章 すべては「民」の発展のために
第6章 民間外交でみせた手腕
第7章 「論語」を規範とした倫理観
第8章 近代性に貫かれた家庭人としての渋沢
あとがき 
渋沢家略系図
渋沢栄一年表
渋沢栄一関連事業一覧
索引


著者プロフィール

鹿島茂(かしま・しげる)
1949(昭和24)年横浜市生まれ。東京大学大学院修了。共立女子大学教授を経て、明治大学教授。専門は19世紀のフランス文学。1991年『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞、96年『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、1999年『職業別パリ風俗』で読売文学賞、2004年『成功する読書日記』で毎日書評賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連サイト>

鹿島茂「損をして得を取った渋沢栄一に学ぶ」-インタビュー(本の話WEB)

公益財団法人 渋沢栄一記念財団 (公式サイト)

渋沢栄一ミュージアム (深谷市 公式サイト)


<ブログ内関連記事>

■渋沢栄一関連

書評 『渋沢栄一-日本を創った実業人-』 (東京商工会議所=編、講談社+α文庫、2008)-日本の「近代化」をビジネス面で支えた財界リーダーとしての渋沢栄一と東京商工会議所について知る

日印交流事業:公開シンポジウム(1)「アジア・ルネサンス-渋沢栄一、J.N. タタ、岡倉天心、タゴールに学ぶ」 に参加してきた

書評 『渋沢栄一-社会企業家の先駆者-』(島田昌和、岩波新書、2011)-事業創出のメカニズムとサステイナブルな社会事業への取り組みから "日本資本主義の父"・渋沢栄一の全体像を描く

『雨夜譚(あまよがたり)-渋沢栄一自伝-』(長幸男校注、岩波文庫、1984)を購入してから30年目に読んでみた-"日本資本主義の父" ・渋沢栄一は現実主義者でありながら本質的に「革命家」であった

『論語と算盤』(渋沢栄一、角川ソフィア文庫、2008 初版単行本 1916)は、タイトルに引きずられずに虚心坦懐に読んでみよう!

書評 『渋沢家三代』(佐野眞一、文春新書、1998)-始まりから完成までの「日本近代化」の歴史を渋沢栄一に始まる三代で描く


■「官尊民卑」打破!

Captain of industry (キャプテン・オブ・インダストリー)、どんな業界であってもそうありたいもの!

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!

『自助論』(Self Help)の著者サミュエル・スマイルズ生誕200年!(2012年12月23日)-いまから140年前の明治4年(1872年)に『西国立志編』として出版された自己啓発書の大ベストセラー

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと

書評 『鉄道王たちの近現代史』(小川裕夫、イースト新書、2014)-「社会インフラ」としての鉄道は日本近代化」の主導役を担ってきた
・・最初は民間実業家たちが担った鉄道事業も、社会主義国ではないのにかかわらず、日露戦争を境に「国有化」されていった

■幕末の動乱期

書評 『龍馬史』(磯田道史、文春文庫、2013 単行本初版 2010)-この本は文句なしに面白い!
・・龍馬の坂本家は、商人からカネで武士の身分を買った一族。武士であったが商人の血が流れていた。江戸時代は意外と身分は流動的であった。幕臣の渋沢栄一は京都で新撰組の面々とも面識があっただけでなく協力関係にあったので、坂本龍馬とは対極の立ち位置だったことになる


■明治維新

書評 『明治維新 1858 - 1881』(坂野潤治/大野健一、講談社現代新書、2010)-近代日本史だけでなく、発展途上国問題に関心のある人もぜひ何度も読み返したい本
・・大名と下級武士の結合、すなわち中抜きであった維新革命

書評 『西郷隆盛と明治維新』(坂野潤治、講談社現代新書、2013)-「革命家」西郷隆盛の「実像」を求めて描いたオマージュ
・・廃藩置県という封建制度700年の歴史に終止符を打った革命家・西郷隆盛だが、残念ながら経済や財政にはかならずしも明るくなかった


■財政史の観点から明治維新前後を考える

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・「第二部 軍部が理解しなかった金本位制」の「第1章 江戸の通貨制度」「第2章 江戸の金銀複本位制から明治の金本位制へ」は渋沢栄一も関与した大蔵省初期の近代化の意味を知る参考になる


■資本主義にかかわる思想を異にしたライバル


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