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2020年4月7日火曜日

JBPressの連載コラム第75回は、「命日に考える、特攻で散った大和が日本に残したもの-「散華の世代」からの問いかけに私たちはどう答えるのか」(2020年4月7日)


JBPressの連載コラム第75回は、命日に考える、特攻で散った大和が日本に残したもの-「散華の世代」からの問いかけに私たちはどう答えるのか(2020年4月7日) 
⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59998

戦艦大和は、いまから75年前の1945年4月6日に「沖縄特攻作戦」に出撃、その翌日の4月7日14時23分、沖縄に到着することなく米軍の総攻撃によって鹿児島の坊ノ岬沖で轟沈、その5年に満たない短い一生を終えたのである。

戦艦大和については、それこそ撃沈から現在に至る75年間に膨大な量の書籍や論文や記事が書かれ、ありとあらゆる角度から論じ尽くされてきた。それは現在もなお続いている。それだけ日本人の関心が高いのである。

私が読んだのは、そのごく一部にしか過ぎないが、そのなかからあえて1冊だけ選べということになったら、間違いなく『戦艦大和ノ最期』を選ぶだろう。

今回は、戦艦大和が「特攻」によって花と散っていったことを、後世に生きるわれわれがどう受け取めるべきなのか、『戦艦大和ノ最期』の著者で「散華の世代」の代表でもある吉田満氏の文章をつうじて、さまざまな面から考えてみたいと思う。

つづきは本文にて ⇒ https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59998





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戦艦大和が「沖縄特攻作戦」に出撃してから70年(2015年4月6日)-桜の季節に散っていった戦艦大和への鎮魂

鎮魂!戦艦大和- 65年前のきょう4月7日。前野孝則の 『戦艦大和の遺産』 と 『戦艦大和誕生』 を読む

「特攻」について書いているうちに、話はフランスの otaku へと流れゆく・・・

書評 『極限の特攻機 桜花』(内藤初穂、中公文庫、1999)-人間爆弾の開発にかかわった海軍技術者たちと散っていった搭乗者たち、そして送り出した人たち

「散る桜 残る桜も 散る桜」 (良寛)

「男の修行」(山本五十六)

「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」 には続きがあった!-山本五十六 その2

祝! 海上自衛隊創設60周年-2012年10月14日の第27回海上自衛隊観艦式ポスターに書かれている「五省」(ごせい)とは?

マンガ 『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ、講談社漫画文庫、1998) 全16巻 を一気読み



 
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2015年4月6日月曜日

戦艦大和が「沖縄特攻作戦」に出撃してから70年(2015年4月6日)ー 桜の季節に散っていった戦艦大和への鎮魂



70年前のきょう、すなわち1945年(昭和20年)4月6日、戦艦大和が「沖縄特攻作戦」に出撃した。そしてその翌日の4月7日、戦艦大和は撃沈され海の藻屑と消えた。

つい先日、戦艦武蔵が沈没したフィリピン沖の海底で「発見」されたというニュースが話題となった。戦艦武蔵は戦艦大和の姉妹艦である。武蔵発見のプロジェクトはアメリカ人資産家によるものであった。

戦艦大和はすでに、いまから30年前の1985年7月31日に「発見」されている。水深350メートルの海底に沈む戦艦大和が確認されたのである。それは海に散った英霊たちの鎮魂を目的としたものであった。

(『戦艦大和発見』口絵カラー写真より This is YAMATO !)

「戦艦大和発見」プロジェクトの中心に行ったのは、かつて角川グループの総帥であった角川春樹氏とその姉の辺見じゅん氏であった。プロジェクトは事務局長を引き受けた角川春樹氏によって「海の墓標委員会」と命名され、英国から空輸された潜水艇を使用して、戦艦大和が沈没した海域の調査を行った。

そして、1985年7月31日に「発見」されたのである。いまからすでに30年前のことになる。

その経緯を中心にまとめられたのが『戦艦大和発見』(辺見じゅん・原勝洋編、ハルキ文庫、2004)である。角川春樹事務所の製作による映画『男たちの大和』の封切りにあわせて、2004年に文庫化されている。

世界最大の戦艦である戦艦大和。建造当時からすでに大艦巨砲主義は終わっていると批判されていたのであり、それ以後、大和クラスの巨大戦艦が建造されることはない、だから、戦艦大和は永遠に世界最大の戦艦でありつづけているし、今後もありつづけるであろう。

戦艦大和は、日本人の誇りであり、日本人の魂そのものである。戦艦大和が日本人の記憶から消えることはないだろう。映画『男たちの大和』やアニメ『宇宙戦艦やマト』はいうまでもなく、これまで何度も蘇ってきたし、今後も何度も甦ることだろう。戦艦大和は日本人のアイデンティティでありシンボルである。

だからこそ、戦艦大和がもうひとつの日本人のシンボルである桜の花が満開になる4月6日に特攻作戦に出発し、その翌日に沖縄に到達することなく散っていったことを記憶のなかにとどめておきたいのである。

本居宣長の歌にあるように、「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山櫻花」にも反映されているように、「大和」と「桜花」は結びつきは強いのである

『戦艦大和発見』の「This is YAMATO!」を執筆した辺見じゅん氏は、こんなエピソードを紹介している(P. 35)。

「大和」の3,333名の乗組員が、沖縄特攻を徳山沖で告げられたとき、瀬戸内海の島々には七分咲きの桜が咲いていた。そして、翌4月8日、わずかに生き残ったもの立ちが、九州の佐世保港に帰還したときは、満開の桜に変わっていた。
「桜が・・・・桜なんかが咲いてやがる」
突然、兵士の一人が気がふれたように、救助された駆逐艦の甲板をころげまわったという。 

このエピソードには「花狂い」という表現を想起する。桜と死者、桜と狂気は、なぜか日本的文脈のなかで結びつきやすい。ちなみに現在の日本で主流となったソメイヨシノが「発見」されたのは、東京・巣鴨の染井墓地である。

特攻作戦もまた、なぜか桜の季節と重なっている。「散る桜 残る桜も 散る桜」(良寛)。桜は咲くだけではない。散るのもまた桜である。

戦艦大和が撃沈した4月7日には鈴木貫太郎内閣が成立し、昭和天皇の意を受けて「終戦」に向けての隠密行動が進められていくことになる。これは、はたして偶然といっていいのだろうか・・・。






PS 「戦艦大和ミュージアム」

広島県呉市の「戦艦大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)には、実物の1/10スケールの戦艦大和の模型がある。写真を紹介しておこう。日本人なら一度は訪れたいミュージアムである。


(戦艦大和 10分の1スケール模型 筆者撮影)



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「散る桜 残る桜も 散る桜」 (良寛)

マンガ 『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ、講談社漫画文庫、1998) 全16巻 を一気読み
・・「日本初の原子力潜水艦「シーバット」の艦長に任命された海上自衛隊一の切れ者・海江田四郎が、試験航海中に反乱逃亡して、独立国「やまと」を宣言、その後の約2ヶ月間の軌跡が文庫本16巻にわたって語られる」

(2015年8月2日 情報追加)


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2015年4月5日日曜日

書評『極限の特攻機 桜花』(内藤初穂、中公文庫、1999)ー 人間爆弾の開発にかかわった海軍技術者たちと散っていった搭乗者たち、そして送り出した人たち


ことしもまた日本全国は桜の季節である。現在の日本で主流となっているソメイヨシノの花は、あっという間に満開になり、そしてその瞬間から散ってゆく。「散る桜 残る桜も 散る桜」という良寛の辞世の句を想起する人も少なくないだろう。

特攻作戦に出撃する者、そしてそれを見送る者。ともに、「散る桜 残る桜も 散る桜」の感懐を抱いて死んでいった。死ぬ順番に違いがあるだけで、死ぬことには違いはない。これが大東亜戦争の末期の日本であった。軍人だけでなく、非戦闘員である多くの国民も無差別殺戮の犠牲となった。

特攻作戦、なんという非人間的な作戦であったことか! 太平洋の島々では、日本陸軍がつぎつぎと「玉砕」していったが、「特攻」は「玉砕」とは性格が異なる。あくまでも「死中に活」を見いだそうとした悲壮な突撃であった。玉砕はあくまでも結果である。奇跡的に生き残って捕虜となった将兵もいる。

特攻作戦は、死ぬことを覚悟した作戦であっても、死の意味が違う。そのことを気づかせてくれたのが、本書 『極限の特攻機 桜花』(内藤初穂、中公文庫、1999だ。決死と必死の違いである。

決死と必死。よく似たコトバだが意味合いは大いに異なる。決死は覚悟しても、その本人は生き残る可能性はゼロではない。可能であれば敵を倒して自分も生き残るという気持ちがある。

「必死」とは必ず死ぬという意味だ。死ぬ以外の可能性はゼロなのである。「必死になる」という表現はあくまでも比喩的なものである。特攻作戦においては、「必死」は文字通りの意味しかもっていなかった。必ず死ぬ、という意味において。

「桜花」(おうか)とは、大日本帝国海軍が開発し、戦争末期にじっさいに使用されたロケット推進式小型高速機による人間爆弾のことである。操縦士が操縦して突っ込む戦闘機による特攻とは異なり、自走式ではない「桜花」は、母機から切り離されたらひたすら落下していくしかない。母機から切り離されたら生還の可能性はゼロなのである。これが「必死」ということの意味なのだ。

人間爆弾のアイデアが生まれたのは、ロケットの誘導技術が1944年当時の日本では未完成であったためであったことが、『極限の特攻機 桜花』を読むとわかる。無線や熱線での誘導は実験室では成功していても、実用化はまだまだだったのだ。だから、爆弾に人間が搭乗して誘導するというアイデアが生まれたのである。

このアイデアが海軍内部で提案されたとき、技術将校たちは最初は大いに拒否反応を示したという。それは当然といえば当然だ。本文から会話部分だけ抜き出してみよう。会話内容は事実に基づいたものを構成したと著者は書いている。

「それで誘導装置は?」
「人間が乗ります」
「なんだって?」
・・(中略)・・
「なにが一発必中だ。そんなものが造れるか。冗談じゃない」
「このままでは、日本はじり貧です。今や航空機の主導権は敵ににぎられ、まともな戦法では、敵機動部隊の侵攻を抑えきれません。この体当たり機で敵空母を粉砕して、戦局を挽回するのです。どうか力を貸してください」

誘導に無線が使用できないのであれば人力に頼る。ある意味では合理的な発想である。だが、それは人の道をはずれたものだ。まさに外道(げどう)としかいいようがない。

(母機から切り離された人間爆弾「桜花」 wikipediaより)

だが、悲しいかな、一度はじまった戦争は自動機械のように自ら止めることがでず、「持たざる国」日本にとっては、たとえ外道の作戦であれ局面打開しかないという発想に軍指導部が陥っていたのであった。有利な条件で停戦に持ち込むという考えに、最後の最期まで囚われていたのである。

海軍技術将校たちは、技術者ではあっても軍に所属している以上、上からの命令を拒否することはできない。設計者やエンジニアたちは、猛スピードで設計し、試作機を完成し、テスト飛行もそこそこに突貫作業で量産化に入ってゆく。秘密兵器である以上、生産を民間にゆだねるのは限界があった。

「桜花」の搭乗員も最初は「志願制」であった。自発的な意志を利用したわけだが、その後は「志願」ではなくなってゆく。「桜花」がじっさいに使用されるにあたっては、送り出される側の「桜花」の搭乗員だけでなく、送り出す側にも心理的な葛藤がついてまわった。覚悟を決めても作戦が実施されないと搭乗員の気持ちは弛緩する。自分は特攻せずに送り出す側には、後ろめたい気持ちがぬぐいきれない。そもそも「決死」ではなく、「必死」の命令を下すことは人の道に反しているのである。

本書の著者は元海軍技術将校。「桜花」の開発に携わったわけではないが、海軍という組織と、海軍における技術開発については肌感覚でわかっている人である。しかも、『星の王子さま』の翻訳で名高いフランス文学者・内藤濯(ないとう・あろう)のご子息だけあって、全編が読ませる文章である。

特攻というと、最近は若い人たちのあいだでも鹿児島南端の知覧(ちらん)の特攻祈念会館までいってくる人が増えているのは、たいへんすばらしい。展示品の特攻隊員たちの遺書や遺品をみて涙が流れるのを止めることができなかったという素直な感想を聞くのも、日本人としてはうれしい。

だが、特攻作戦には知覧基地から自走式で飛び立っていった戦闘機によるものだけでなく、鹿屋(かのや)基地から出発した「桜花」(おうか)のような、母機に連結された人間爆弾として使用された、非人間性の極限としかいいようのない特攻もあったことを忘れるべきではない。

自走式ではないがゆえに敵国の米軍からは BAKA(バカ)と呼ばれ、日本人の記憶から消えがちな人間爆弾「桜花」。かつての日本と日本人が、道を外してしまったという大きな反省とともに、「桜花」とともに散っていった死者の尊厳さにも思いを馳せなければならないのである。

著者は、文庫版の「あとがき」の文章を以下のように始めている。

特攻そのものについては、救いがたい愚挙だった、と、私は思う。かかる愚挙を組織的な作戦とした用兵首脳や、それに用いる専用兵器を開発した軍事技術者、永久に呪詛されても致しかたない、と、私は思う。しかし、特攻にすすんで身を託した死者たちは、本質的に違う次元にいる。

同感である。特攻作戦を立案し推進した者たちと、特攻作戦で死んでいった搭乗者たちは異なる次元の存在だ。前者に批判は絶対に必要だが、後者には崇高の念さえ感じるのである。

特攻の死者たちの存在なくして、いまの日本も日本人もない。尊い死者たちの冥福を祈る。


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目 次


第1章 試作番号MXY7
第2章 神雷(じんらい)誕生
第3章 この槍、使い難し
第4章 非理法権天
第5章 沖縄決戦
第6章 死なばや死なん
第7章 本土決戦
第8章 とよはたぐもに いりひさし
あとがき
解説 (ジョン・ブリーン ロンドン大学助教授)


著者プロフィール

内藤初穂(ないとう・はつほ)
1921年(大正10年)東京生まれ。1942年、東京帝国大学工学部船舶工学科卒、海軍技術科士官として海軍航空技術廠科学部勤務。敗戦時、海軍技術大尉。戦後、岩波書店編集部、PR会社自営を経て、1975年より著述業。2005年、「優れたノンフィクション作品を通じ、海や船についての歴史的史実を一般国民に知らしめた功績」により第9回海洋文学大賞特別賞を受賞。また、2006年には、父・内藤濯の生涯を描いた『星の王子の影とかたちと』により、第14回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞(本データは2008年に出版された著書に掲載されていたもの)。


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・・知覧の特攻平和記念館から書き始めたもの

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・・陸軍の「玉砕」、海軍の「特攻」。合理主義思考の行き着いた究極

書評 『無人暗殺機ドローンの誕生』(リチャード・ウィッテル、赤根洋子訳、文藝春秋、2015)-無人機ドローンもまた米軍の軍事技術の民間転用である
・・いま軍事技術はここまで来ている


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2009年8月23日日曜日

書評『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)―「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない




「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない

 「太平洋戦争」ではない! 「大東亜戦争」である!

 すべては、名を正すことから出発しなくてはならない。

 米国を中心とした連合国による占領軍が、敗戦国日本の国民に対して、厳しい検閲をとおして徹底させた「太平洋戦争」というネーミング、ここに戦後日本人の精神を歪めた最大の問題点、そしてその出発点がある。

 「太平洋戦争」とは、米国による太平洋支配という世界観からでてきた概念であり、米国による占領政策を象徴的に表現したものでもあった。戦後の日本人は占領軍による洗脳、呪縛のもとに六十数年を過ごしてきたことになる。

 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)の著者は、「大東亜戦争」が何のために戦われた戦いなのか、講和条約が成立し独立を回復して以降も、日本人はこの問いを自ら封印し、隠蔽してきたことに、戦後日本人の精神的退廃の原因、そして何度謝罪してもアジア諸国で受け入れられてこなかったことの原因があると見る。

 私はビジネスをつうじて東南アジア、とくにタイにかかわってきたが、現地にいてどうもしっくりこなかったのが「太平洋戦争」というネーミングなのである。

 もちろん私の世代は、歴史教育をつうじて「太平洋戦争」と教え込まれてきたのであり、これまで何の疑問もなくこの表現を使用してきた。

 しかしあるとき気がついたのは、当時は南方とよばれた東南アジアで日本が戦ったのは米国ではなく、主に大英帝国だったという事実である。ミャンマー(ビルマ)は当時は英領ビルマ、マレーシアとシンガポールは英領マラヤ、ベトナムは仏領インドシナ、インドネシアは蘭領東インド、であった。すべてが太平洋に面した地域ではない。

 そんなときに読んだのが、インドネシア現代史研究家・倉沢愛子の『「大東亜」戦争を知っていますか』(講談社現代新書、2002)である。倉沢氏は「大東亜」戦争と、大東亜をカッコつきで記述しているが、日本軍のマレー半島上陸のほうが、米国の真珠湾攻撃よりも早かったのである、という事実を教えてくれた。戦場となった東南アジアからみた「大東亜」戦争を語った本である。

 近年、日本の現代史研究家のあいだで「アジア太平洋戦争」というネーミングが使用されているのを時々目にすることがある。学術的なネーミングとしては、「太平洋戦争」というネーミングの問題点を修正しようとする意図が感じられるので、一見すると一歩前進したようにもみえるが、しかしながらとってつけたような印象はぬぐえない。

 それならいっそのこと、開戦時使用された歴史的名称である「大東亜戦争」でいいではないか

 本書の著者は、むしろ積極的な意味で「大東亜戦争」といっている。

 これは本書のタイトルが、林房雄の『大東亜戦争肯定論』(1964・1965)を踏まえたものであることからもそれがわかる。林房雄は、大東亜戦争は明治維新の以前、幕末の西洋列強の軍艦の出現に始まる「東亜百年戦争」であった、と書いているという。アジアのなかではいち早く西洋近代化した日本が、自存自衛のために西洋列強と戦った戦いなのであると。

 日本は、アジア解放をスローガンとして戦ったが、死力を尽くした末、戦争には敗れ去った。しかし、「大東亜戦争」がきっかけとなり、結果としてアジア諸国の独立が達成されることとなる。

 本書は、1957年生まれの戦後世代の文芸評論家による、本質に迫った議論の書である。著者は、戦後日本に対して、読者に対して、真っ向から直球で勝負してくる。

 引用された数々の日本人の声、この多数の引用文は厳選されたものであろう。著名人だけではない、特攻作戦で散華していった若者の声も引用されている。これら引用文を読むと、日本人がその時、いかなる考えをもって事に臨んだのか、手に取るように伝わってくる。

 たしかに日本は無謀な戦いを戦い、日本人の多くが死んだだけでなく、近隣諸国にも多くの死傷者を出したことはまぎれもない事実である。

 しかし、何のための戦いだったのか、なぜ日本は戦わねばならなかったのか。この歴史的事実をきちんと見直さなくては、戦後日本のゆがみを正すことはできない、近隣諸国との真の意味での正常化は困難であり、ましてやアジアでも世界でも尊敬を受けることなどほど遠い。

 現在に生きるわれわれは、当然のことながら戦後日本の経済復興と経済成長を十二分に享受してきたのであり、戦後そのものを全否定するのはナンセンスである。

 しかし、経済的な達成の果てに得たものはいったい何だったのか、何かが精神的に欠けているのではないか、何かがおかしいのではないか・・・という感覚はつねに感じてきたはずである。そしていまやこの国は問題が噴出し、手のつけられない状況になりつつある。大東亜戦争ときちんと向き合ってこなかったつけが回ってきているのではないか。

 本書は、こういった疑問をもっている人にとって、間違いなく考えるヒントを与えてくれる本である。

 本書は、何か特定の主義にのっとって、その主張を煽るといったたぐいの本ではない。また戦前・戦中を絶対視する議論でもない。

 著者の姿勢は終始一貫して冷静である。それだけに数多くの引用文が訴えかけてくる声に、読者は耳を澄ますことになるのだ。

 われわれは、何か本当に重要なことを見ないふりをしてきたのではないか、と。



■bk1書評「「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない」投稿掲載(2009年8月19日)



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<書評への付記> 

名を正すということ

 書評のタイトルに、「名を正す」という表現を使用した。これは、論語でいう「正名」(せいめい)のことである。

 出典は、論語巻第七 子路第十三、引用は岩波文庫版(金谷治校注)による。
子曰 (中略) (子のたまわく)
名不正則言不順 (名正からざれば則ち言順わず)
言不順則事不成 (言順わざれば則ち事成らず)
 (中略)
故君子名之必可言也 (故に君子はこれに名づくれば必ず言うべきなり)
言之必可行也 (これを言えば必ず行うべきなり)
 (後略)

 つまり、ひらたくいえば「名は体を表す」ということで、このケースでいえば、「太平洋戦争」という名を使う限り、アメリカ占領軍による洗脳の呪縛が解けぬまま、米国支配層のお先棒担ぎを続けることになることを意味する。

 「大東亜戦争」という名に変えることで、本来あるべき姿に戻すことになる。たとえこの戦争の結果敗れさり、多大な損害がもたらされたとしても、日本人として歴史に対して責任をもつという倫理的な姿勢を内外に示すことになるわけである。決して右翼的な発言ではない。

 私自身は特に儒教が好きだというわけではないが(・・統治者の側の論理が中心の儒教は、むしろうっとおしいと思っている)、この「正名」という考えは、基本的な倫理としてきわめて重要であると考えている。

 名、あるいは名前というものは、実はそんなに簡単なものではない。近代言語学生みの親であるソシュールに従えば、名前(フランス語でシニフィアン:signifiant、英語なら signifying)と名前がさしている内容(シニフィエ:signifié、英語なら signified)との関係は、本来は必ずしも必然的ではない、恣意的な関係である。

 たとえば、四つ足動物で人間が家畜化し、ペットとしてかわいがっていて飼い主に忠実な動物のことを日本語ではイヌとよんでいるが、それをイヌとよぶのは慣習からであって、そもそもなぜ日本ではそれがイヌという二音節の音声でよばれるようになったかについては不明だし、しかも必然性はない。

 しかし名付けという能動的な行為によって、その名前によって意味される内容が形成されていくことは、ペットの名付けを考えてみればすぐに了解されるだろう。

 たとえば、自分の犬にポチ(・・小さいを意味するフランス語プチから)と名付けるのか、HACHI(・・忠犬ハチ公)と名付けるのか、ビンゴ(・・シートン動物記の名犬ビンゴ)と名付けるのか、名付け自体は恣意的なものだが、名付けの行為以後は、その子犬はHACHIとして生きることになり、犬と家族との物語が形成され、それは蓄積されていくのである。不可逆で重層的な厚みをもった時間の集積、これが歴史というものの本質だ。

 以前、ブランドについて経営学の観点から研究を行った際に、固有名詞とは何か、名前とは何か、命名とは何か、名前が資産として価値を持つとはどういうことか、ということについて徹底的に検討を加えたことがある(・・2002年に執筆したが論文は未刊行)。ブランドとは、つまるところ固有名詞だからだ。

 煩瑣になるのでここでは書かないが、名と命名について、ひとつだけ引用を行っておく。イスラーム哲学の世界的権威で言語哲学者であった筒俊彦博士の遺著 『意識の形而上学-『大乗起信論』の哲学』(中央公論社、1993)からの引用である。
「・・あるものに何々という名をつけることは、たんに何々という名をつけるだけのことではない。命名は意味分節行為である。あるものが何々と命名されたとたんに、そのものは意味分節的に特殊化され、特定化される」(P.27 引用は単行本 太字ゴチックはは引用者=さとう)

 ここでいう「意味分節」とは、意味による存在の切り分けを意味するコトバで、言語のもつ本源的な機能そのものである。

 「大東亜戦争」は、そもそもの時点において「大東亜戦争」と命名され、戦いが開始されたのである。戦争責任者である政治家、軍人だけでなく、一般国民も賛成するにせよ反対するにせよ、それとして受け取り、ある者は従軍し、ある者は銃後を守り、ある者は投獄され、ある者は・・・・、すべて日本国民はこの歴史創造行為に直接的であれ、間接的であれ関与したのである。これは紛れもない事実であって、この事実を否定することが、精神の歪み、自己欺瞞を生み出してきたことは否定できないであろう。

 「大東亜戦争」は「太平洋戦争」と改竄されることによって、日本人は歴史形成の主体を奪われたままになっているのである。だから名は正さなくてはならないのである。「大東亜戦争」とよぶことによって、日本人は再び歴史形成の主体として復帰することとなる。これは正常化プロセスの一環として捉えるべきであろう。
 
 正直いって、私も「大東亜戦争」という名称は、使用するのは抵抗感があった。何か右翼的な、リビジョニスト的な響きがあったためだ。それだけ、知らず知らずのうちに「太平洋戦争」という刷り込みをされ、洗脳されていたことになる。

 いまから5~6年前だったろうか、前職で会社の顧問をお願いしていた方から、こういうことをいわれたのである。「もしあなたが将来、若者の教育に従事する気持ちがあるのなら、大学の先生になるなどとは考えず、私塾を開きなさい。そしてまず何よりも大東亜戦争についてキチンと教える必要がある」、と。

 「大東亜戦争ねえ・・・」と内心では思ったが、そのときは私は何も答えなかった。

 その方はある商社出身で、機械部品の分野では生き字引のような人であり、現在でも何社もハイテク関係の会社の社長もやっている方である。長年海外取引に従事してきた国際ビジネスマンで英語は完璧、なんと第一回のダヴォス会議に出たことがあるという人なのだが、そのような経歴をもった方からそういうことをいわれたので、ずっと気になっていたのである。いや、そういう人であるからこそ、健全な意味でのナショナリストであり、またそういう姿勢が根本にないと、国際的な場面ではプレイヤーとして尊敬もされないのだろうな、と。

 また、書評のなかでも触れているが、インドネシア現代史研究家・倉沢愛子の『「大東亜」戦争を知っていますか』(講談社現代新書、2002)などをよむうちに、自分のなかでも、「太平洋戦争」という名称はおかしいのではないか、と段々思うようになってきたというわけである。

 私があえて「大東亜戦争」という名称を使う理由は以上のとおりだ。

 けっして何か特定の政治的立場に基づいた見解ではない。私は右であれ、左であれ、安直なレッテル張りには嫌悪感以外のなにものも感じない。レッテル張りとは、思考力の欠如、知性の欠如以外のなにものでもない。

 富岡幸一郎氏は本書中でいくつも引用をしているが、ひとつだけ「お粗末な発言」を引用している。評論家で作家・立花隆の発言である(p.80)。「9-11」直後の状況において、立花隆は特攻隊と自爆テロを同じものとみなし、きわめて粗雑な言説をまき散らした

 自爆テロが非戦闘員である一般市民を巻き込む無差別攻撃であるのに対し、特攻はあくまでも交戦国の戦闘員に対してのみ行われた攻撃であること、また特攻隊員の多くが出撃にあたって、祖国のために死ぬことの意味を真剣に考え抜き、残していく家族への思いを遺書や手紙に残していること、これらの事実を読み取ることもできず、十把一絡げに軍国主義と総括する粗雑な議論なのだ。

 立花隆は、ありとあらゆる分野につうじているということで、かつては「知の巨人」などともてはやされたことがある。しかし、とんだ「痴の虚人」ぶりではないか。トンデモ発言のオンパレードである。

 かなり以前から立花隆はなんかヘンだぞ、といわれてきており、何冊も本がでている。たとえば、『立花隆「嘘八百」の研究-ジャーナリズム界の田中角栄、その最終真実。(別冊宝島Real)』(宝島社、2002)、『立花隆の無知蒙昧を衝く-遺伝子問題から宇宙論まで-』(佐藤進、社会評論社、2001)、『立花隆先生、かなりヘンですよ-「教養のない東大生」からの挑戦状!-』(谷田和一郎、宝島社文庫、2002)などなど。

 風呂敷を広げすぎて、無責任な放言が増えたようだ。かつては『日本共産党の研究』(講談社、1978)や『中核vs革マル』(講談社、1975)など、緻密な取材に基づいた、すごくいい仕事をしてたのに・・・。他山の石としなくてはならない(・・な~んていう私は「知の巨人」からはほど遠い存在ではありますが・・しかし、哲学者ヴィトゲンシュタインではないですが、知らないことは知らないとして安易に発言はしないようにはしております、はい)。

 歴史と倫理の問題、これは今後も深く考えていかねばならない。「歴史の審判」は必ず下されるからだ。これはまさに倫理にかかわるものだ。

 誰もが歴史から逃れることなどできないのだ。



PS
101本目の投稿でイヌについて語ったのは、意図的にしたわけではない。投稿アップ後に誤字脱字を修正している段階で気がついた。ディズニーの「101匹わんちゃん大行進」とのシンクロ(ニシティ)ですかねー?

読みやすくするために改行を増やし、重要なポイントは太字ゴチックとした(2013年7月13日 記す)
                         
  

<ブログ内関連記事>

「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?

書評 『マンガ 最終戦争論-石原莞爾と宮沢賢治-』 (江川達也、PHPコミックス、2012)-元数学教師のマンガ家が描く二人の日蓮主義者の東北人を主人公にした日本近代史

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)-「勝者」すら「歴史の裁き」から逃れることはできない

書評 『原爆を投下するまで日本を降伏させるな-トルーマンとバーンズの陰謀-』(鳥居民、草思社、2005 文庫版 2011)

「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる

(2015年7月25日 項目新設)


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2009年8月12日水曜日

「特攻」について書いているうちに、話はフランスの otaku へと流れゆく・・・


 鹿児島・知覧の「特攻平和会館は、2004年の2月だったと思う、例年になく大雪の降った屋久島で、登山靴にアイゼンつけて、身の丈ほどもある雪をかきわけかきわけ、縄文杉を見に行った帰り、長年の夢であった訪問が実現した。

 鹿児島で食べた焼き芋が実に美味かったことをいま思い出した。さすが本場の薩摩イモ(さつまいも)であった。

 鹿児島駅からは高速バスで約1時間くらいだっただろうか、南国鹿児島の海岸線を走って知覧へ。

 知覧は、「知覧茶」というお茶の産地で、薩摩藩の武家屋敷の残る、静かなたたずまいの武家町である。

 映画『ホタル』(・・原作は読んだが映画はみてない)で有名になる前であったが、若い特攻隊員たちを我が子のようにかわいがり、かれらを泣く泣く特攻に送りだした、"特攻の母"島濱トメさんの富屋食堂(・・訪問したときにはすでにお亡くなっており、お店は記念館になっていた。写真)に立ち寄り、手ぬぐい(下の写真参照)を買ってきた。島濱トメさんの、かみしめるべきコトバが記されている。


 陸軍航空隊の特攻隊少年飛行兵だった神坂次郎の『今日われ生きてあり』(新潮文庫、1985)は、知覧特攻基地で生き残った著者が、特攻で散っていった若者たちの遺書、手紙と残された者による回想によってつづる、読みすすめると涙の止まらない本である。

 小泉元首相の愛読書は、『あゝ同期の桜-かえらざる青春の手記-』(海軍飛行予備学生第十四期会=編、光人社、1995)という、海軍航空隊で特攻していった海軍予備学生の若者たちの遺稿、手記、残された者の回想を集めたものだったというが、小泉さんでなくても、特攻隊員たちが残した文章、写真を見れば、誰だって目頭が熱くなり、涙があふれるのを止めることはできまい。
  
 特攻作戦は『特攻-外道の統率と人間の条件-』 (光人社NF文庫、2005)で、戦時中海軍航空隊員であった元ビジネスマンの森本忠雄がいうように、まことにもって人の道を踏み外した、「外道の作戦」以外の何者でもない。作戦を立案した海軍軍令部参謀、そして命令を下した上層部は、人間とは思えない、まさに畜生の所業というべきである。

 「十死零生」。このことに関しては、海軍も陸軍も同罪である。
 
 しかし、特攻隊員として散華していった若者たちのことを、犬死にだとののしるのは言語道断である。ひとりひとりは決して作戦遂行のため、盲目的に死んでいったのではない。

 確実に死ぬこと、死ぬことが作戦遂行の前提である特攻について、残してきた家族に思考をめぐらし、戦争が終わった後の新生日本の捨て石となる覚悟を決めて飛び立っていった学徒出身のインテリ将校を多く含む若者たち・・・。その姿勢は崇高としかいいようがない。

 この点については、むしろ日本人よりも、フランス人のほうが理解が深いのかもしれない。

 たとえば、特攻隊をテーマにした外国人による本にはこんなものがある。

 日仏会館館長もつとめたフランス人思想家モーリス・パンゲの『自死の日本史』(竹内信夫訳、筑摩書房、1986)、フランス人ジャーナリストのベルナール・ミローよるドキュメント『神風 Kamikaze』(内藤一郎訳、早川書房、1972)、フランス右派知識人オリヴィエ・ジェルマントマの『日本待望論-愛するゆえに憂えるフランス人からの手紙-』(竹本忠雄=監修、吉田良克訳、産経新聞社、1998)

 とくにモーリス・パンゲの本は、ずいぶん昔に日本語版がでたときにすぐ読んだのだが、日本人として大いに教えられることが多かった。名著である。

 こうして並べてみると、なぜかフランス人によるものばかりである。

 フランス語の原文で読んだわけではないが、日本語訳でこれらの本を読んできた限り、深い共感をもって日本人の生き様を描いている。それも日本人自身が意識にしていない深いレベルにおいて。

 これらの著作をつうじて、特攻を「高貴なる自死」として哲学的、思想的に捉える伝統がフランスではすでに形成されているのだろうか?

 フランスでは日本のマンガやアニメ人気が強いが、単に面白いから熱中しているだけでなく、こういった思想面での日本理解が影響しているのだろうか?

 アングロサクソン圏ではなく、第二次大戦で壊滅的打撃を受けた、かつての同志ドイツやイタリアでもなく、フランス人が捉えた日本人の深い精神的な側面。

 一般に、フランスは中国と並んで、いわゆる「中華思想」の国だと見られているが、こういう見方もあるようだ。

 科学史家・伊東俊太郎との対談 『文明移転-東西文明を対比する-』(中公文庫、1984)のなかで考古学者の江上波夫が紹介しているのだが、行動する作家でフランスの文化大臣もつとめたアンドレ・マルローが、世界で文明国といえるのは日本、イラン、フランスだけだといっているらしい。

 その心はというと、日本には建築も、庭園も、絵画も、彫刻もあり、工芸も優れており、文学の面では詩も、歌も、ドラマも、小説もあり、その他の分野についても日本にはなんでもある。こういうなんでもそろっている国こそ文明国というべきであり、この条件を満たすのは、日本以外ではイランとフランスしかない、と。

 なるほどそういう見方もあるのかと、ずいぶん昔だがこの本を読んだとき、強く印象に残った。

 こういう観点からみると日本とフランスは、実は相思相愛だが同床異夢という関係なのだろうか?

 いやむしろ、デカルト以来の数学ロジック重視のフランスと、どちらかといって感性重視の日本は、お互い相補的(complimentary)な関係にあるのかもしれない。

 日本人がみるフランスは、かつてのように映画、文学、思想を含めた文化芸術のすべてについて憧れる対象ではなくなっているが、フランスで修行する日本人パティシエ(お菓子作り職人)や、フランス人F1ドライバーと結婚した元"国民的美少女"の日本人、フランス人セレブと結婚した日本人元アナウンサーなど、どちらかというと女性週刊誌的話題がいまでは中心のようだ。
 日本女性はフランスでは非常に人気が高いとはよく聞く話だ。フランス人と結婚した日本女性には女優の岸恵子という先例がある。

 一方、フランス人がみる日本は、アニメ・マンガ・合気道・書道・・とやはり日本固有の色彩の強い文化と芸術である。フランス印象派が日本の浮世絵から圧倒的な影響を受けた、という時代から同じ流れではある。

 ちなみにアニメ・マンガの熱烈なファンを意味するオタク(l'otaku)というコトバは、すでにフランス語の普通名詞として使われているようで、インターネットで france と otaku で検索したら、なんとフランス人の「鉄っちゃん」(=鉄道ファン)のブログ densha otaku 365 という、電車大好き人間のブログがでてきた。いやあ、驚きですねー。日本の鉄道についても実に詳しい!
 ちなみに、私は大学時代、第二外国語として習ったフランス語だが、フランス語会話は精神科医なだいなだの奥様のマダム・ラガッシュが先生であった。

 フランスにとっての日本は、同じアジアとはいっても、植民地として直接統治した仏領インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)とは違って、愛憎相半ばする関係ではないのだろう。

 ベトナムについては、カトリーヌ・ドヌーヴ主演の『インドシナ(1992年)なんて映画みると、フランス人はいまでもベトナムを失ったことが悔しいということが伝わってくる。ベトナムからみればまったく迷惑な話だろうが・・(YouTubeで米国版の trailer 視聴可能 音声注意!)。

 ずいぶん以前のことになるが、あるベルギー人の若い男性が、植民地として統治してきたコンゴ(=ザイール)のことを、あたかも自分の裏庭みたいな話し方をするのを聞いて、内心強く不快感を感じたことを覚えている。フランス人のカンボジアでの態度をみていると、いまでも同様の感想をもつ。さすがベトナムでは、私が見る限り、フランス人が我が物顔で振る舞うことはできないようだ。

 そういう意味では、日本とフランスは、愛憎相半ばする関係ではないので、いい距離感をもってつきあえる相手かもしれない。もちろん国際ビジネスにおいては、たとえば高速鉄道というハイテク分野で日本・フランス・ドイツが激しい競争を展開しているが。

 日本人もかつてのようなフランス熱が冷めて、フランスに対する一方的な憧れもなくなったから、等身大でつきあえるようになっているのかもしれない。

 そういえば、フランス語では日本趣味が高じて、日本的なライフスタイルをすることを er 動詞で tatamiser(タタミゼ=畳する)と表現することを思い出した。造語法としても、表現としても面白い。 

 話が「特攻」から大きくずれてしまったが、なぜフランス人は日本を好きなのか考えてみるのは面白い。また別の機会に取り上げて考えてみたいと思う。



<関連サイト>

La mort volontaire au Japon, par Maurice Pinguet
・・『自死の日本史』(モーリス・パンゲの、竹内信夫訳、筑摩書房、1986)のフランス語原著

DENSHA OTAKU 365・・フランス人電車オタクのブログ(フランス語)



*読みやすくするために、行替えなど本文を少し手をいれた。内容はいっさいいじっていない。また関連記事を整理して挿入(2011年5月6日)。 

情報追加(2015年8月22日)。


P.S. 朗報!『自死の日本史』が講談社学術文庫から復刊!! ぜひ読むべき名著。★5つでわたしは推奨します!(2011年6月9日 追記)




<ブログ内関連記事>

書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)

書評 『アメリカに問う大東亜戦争の責任』(長谷川 煕、朝日新書、2007)

大東亜戦争の開戦決定に至るまでの、集団的意志決定につきまとう「グループ・シンク」という弊害について

NHKスペシャル『海軍400時間の証言』 第一回 「開戦 海軍あって国家なし」(2009年8月9日放送)

「海軍神話」の崩壊-"サイレント・ネイビー"とは"やましき沈黙"のことだったのか・・・

鎮魂!戦艦大和- 65年前のきょう4月7日。前野孝則の 『戦艦大和の遺産』 と 『戦艦大和誕生』 を読む 

「散る桜 残る桜も 散る桜」 (良寛)

書評 『極限の特攻機 桜花』(内藤初穂、中公文庫、1999)-人間爆弾の開発にかかわった海軍技術者たちと散っていった搭乗者たち、そして送り出した人たち

水木しげるの「戦記物マンガ」を読む(2010年8月15日)

月刊誌「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2011年1月号 特集 「低成長でも「これほど豊か」-フランス人はなぜ幸せなのか」を読む

Vietnam - Tahiti - Paris (ベトナム - タヒチ - パリ)

コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness)より、「仕事」について・・・そして「地獄の黙示録」、旧「ベルギー領コンゴ」(ザイール)


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