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2010年2月8日月曜日

書評『ものつくり敗戦 ー「匠の呪縛」が日本を衰退させる』(木村英紀、日経プレミアシリーズ、2009)ー これからの日本のものつくりには 「理論・システム・ソフトウェアの三点セット」 が必要だ!




■日本の未来を真剣に考えているすべての人に一読をすすめたい「冷静な診断書」-問題は製造業だけではない!■

 「リーマンショック」発生から1年以上たったが、製造業にとっては、その後に発生した「トヨタショック」のほうがはるかにダメージは大きかった。

 「トヨタショック」とは、トヨタの売り上げが北米を中心に大幅にダウンし、とくに関連部品メーカーに与えた大ショックのことだ。今後も、円高傾向が続けば、量産型の製造業が日本で存続可能かどうか、その答えはおのずから出ることだろう。

 しかもまた、品質問題と大量リコールにともなう「第二のトヨタショック」は、日本の製造業の基盤が揺らぎ始めていることを示している。

 日本の製造業の何が問題なのか、ここで一度キチンと検証しておくことが必要だ。検証は多方面からなされることが必要だが、科学技術の観点からの分析による本書は、その試みの一つである。

 『ものつくり敗戦 ー「匠の呪縛」が日本を衰退させる』(木村英紀、日経プレミアシリーズ、2009)の著者は、評論家でも、経済学者でも、ジャーナリストではない。機械設計においてもっとも重要な要素技術にかかわる「制御理論」の研究者である。

 この立場から、技術と科学の関係が根本的に変化した「第三の科学革命」について考察し、付加価値をつくりだす要素がハードではなくソフトウェアになった時代の技術開発について、現状の日本が抱える問題について診断を行っている。

 中国やインドを初めとするアジア諸国からの追い上げが激しくなる現在、日本が「ものつくり」で生きていくためにはどこに活路を見いだすべきなのか。単なる組み立て(=アセンブリー)など労働集約型産業は間違いなく日本からは消えてゆくだろう。すでに「世界の工場」となった中国は、単なる労働集約型産業から脱し、さらに高度な製造業へとシフトを始めている。

 日本の製造業は、先端技術のキャッチアップではなく、先端技術分野においてブレークスルー技術を開発していかなくてはならない。そのためには、いままで世の中に存在しない、「目に見えないもの」を見えるようにすることが必要であり、著者のいう「理論・システム・ソフトウェアの三点セット」が必要である。

 しかしながら残念なことに、この三点セットは、これまで日本人がもっとも軽視し、しかも弱い部分である。「匠」(たくみ)や「技」(わざ)などの「暗黙知」を過度に重視し、「形式知」であるシステム思考を軽視してきたツケが回ってきたのか・・・

 「ものつくり」そのものではなく、「ものつくり神話」を批判する著者の問題指摘は正しい。とはいえ、問題点の指摘と大きな方向性を示しただけに終わっているような印象もうけないではない。著者による診断では、教育そのものを抜本的に見直さない限り日本の製造業に未来はないからなのだが、教育の効果がすぐにはでないことを考えると・・・

 読んで元気の出る本ではないかもしれない。しかし、冷静な現状認識をもたないかぎり真の問題解決にはつながらない。そのための診断書の一つとして、製造業だけでなく、日本の未来を真剣に考えているすべての人、とくに教育関係者には一読をすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「日本の未来を真剣に考えているすべての人に一読をすすめたい「冷静な診断書」-問題は製造業だけではない!」投稿掲載(2010年2月5日)



(画像をクリック!)



目 次
序章 日本型ものつくりの限界
第1章 先端技術を生み出した二つの科学革命
第2章 太平洋戦争もうひとつの敗因
第3章 システム思考が根付かない戦後日本
第4章 しのびよる「ものつくり敗戦」
終章 「匠の呪縛」からの脱却―コトつくりへ

著者プロフィール
木村英紀(きむら・ひでのり)
理化学研究所BSI‐トヨタ連携センター長。1970年東京大学大学院工学系博士課程修了、工学博士。大阪大学基礎工学部助手、工学部教授、東京大学大学院工学系研究科、同大学院新領域創成科学研究科教授などを経て、2001年より理化学研究所生物制御システム研究室チームリーダ。横断型基幹科学技術研究団体連合会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<書評への付記>

 このブログに一番最初に書いた記事は、2009年5月4日に執筆して投稿した「円安バブル崩壊」というものである。その直前まで、機械部品関連の会社にいた私は、「リーマンショック」と「トヨタショック」の直撃をくらった。そんな渦中に書いたのが、上記の記事である。

 それから1年近くたつが、基本的な認識を変える必要はなさそうだ。しかしそれは、ある意味では日本にとっては幸せなことではない。

 さらに今回激震をともなってダメージとなるのが、「第二のトヨタショック」とでもいうべき、大量リコール問題である。これにトップ経営層による対外コミュニケーション不足が、とくに米国を中心とした海外でバッシングを引き起こしている。

 こと問題が、トヨタの代名詞であった高い品質のそのものにかかわるものだけだけに、ブランド失墜のみならず、製造業の「ものつくり」の基礎が崩れつつあるのではないか、という強烈な危機感を感じているのは私だけではないはずだ。


 この本は、「円安バブル崩壊」というブログ記事を書いたあとに読んだものだが、あらためて書評に仕立てたうえで紹介することとした。日本の「ものつくり」に根強く存在する「ものつくり神話」を批判したものだからだ。「すりあわせ型」生産による「匠」と「技」にしがみつき、ある種の退行現象をみせている日本人に対して、これでいいのかという疑問を感じるためだ。もちろん「匠」と「技」が悪いのではない。名人芸に依存した「ものつくり」では、時代を超えて前に進むことは不可能である。

 「モジュール型」生産のアンチテーゼである「すりあわせ型」を、日本の「ものつくり」の根幹だと勘違いしただけでなく、日本企業でかつては非常に有効に働いていた「暗黙知」による経営を、日本の経営学者によって過分なまでに礼賛されて、これでいいのだと勘違いしてきた、とくに製造業分野の日本の大企業。経営学者たちの学説を、自分たちの都合のいいように解釈し、自己正当化を図ってきたこれら大企業の慢心。

 これがビジネス界で言説として流通することによって、発生し定着した「負のスパイラル効果」といっていいのではないか。


 「モジュール型」生産で大きく後から追い上げてくる、中国をはじめとする新興国の「ものつくり」企業群に対抗していうためのは、「暗黙知」に安住することなく、「暗黙知」を「形式知」に徹底的に変換していくことが求められる。これが、これからの時代に必要なものなのだ。

 「形式知」への転換能力は、日本人の「言語力」そのものにかかわるものだともいえるだろう。日本人のある世代以上のあいだで通じ合っていた「あうんの呼吸」は、日本国内ですら通用せず、深刻なコミュニケーション問題を引き起こしている。いわんや海外の異文化経営においておや、だ。

 本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)で、日本人とユダヤ人の共通点と相違点について書いた際、似ている面が多いが、根本的に異なるのは、ユダヤ人が徹底した論理思考であることだと指摘した。「目に見えないもの」を「見えるもの」とする技術開発、この分野においては、日本人の弱点はすでに致命的な弱点となりつつある。

 とくに「言語力」を強化することは、すべての日本人にとって喫緊(きっきん)の課題である。この弱点を克服しない限り、たとえ日本人が世界に誇れる優位性をもっていたとしても、世界のなかで「名誉ある地位」を締めることは不可能となっていくだろう。
 
 とはいえ、教育の効果がでるには時間がかかる。ため息をつきたくなる現状だが、けっして絶望してはならない。勇気をもって立ち向かわなくてはなるまい。


PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を大判にした。あらたに<ブログ内関連記事>を新設した。2014年時点でも、価値ある内容の本である。逆にいえば、この5年ではたして改革が実行されたのかどうか疑問ではあるが・・・ (2014年8月18日 記す)

PS2 出版から15年たつ。ようやく日本の製造業復活の兆しが見え始めた。だが、本書の史的と提言はいまだ古びていない。(2024年4月9日 記す)



<ブログ内関連記事>

「円安バブル崩壊」(2009年5月4日)
・・このブログでいちばん最初に投稿した記事で、野口悠紀雄の『世界経済危機-日本の罪と罰-』 ( ダイヤモンド社、2009)を踏まえた所感を述べている


■ものつくり関連

書評 『製造業が日本を滅ぼす-貿易赤字時代を生き抜く経済学-』(野口悠紀雄、ダイヤモンド社、2012)-円高とエネルギーコスト上昇がつづくかぎり製造業がとるべき方向は明らかだ

書評 『日本式モノづくりの敗戦-なぜ米中企業に勝てなくなったのか-』(野口悠紀雄、東洋経済新報社、2012)-産業転換期の日本が今後どう生きていくべきかについて考えるために

鎮魂!戦艦大和- 65年前のきょう4月7日。前野孝則の 『戦艦大和の遺産』 と 『戦艦大和誕生』 を読む

書評 『中古家電からニッポンが見える Vietnam…China…Afganistan…Nigeria…Bolivia…』(小林 茂、亜紀書房、2010)

書評 『グローバル製造業の未来-ビジネスの未来②-』(カジ・グリジニック/コンラッド・ウィンクラー/ジェフリー・ロスフェダー、ブーズ・アンド・カンパニー訳、日本経済新聞出版社、2009)-欧米の製造業は製造機能を新興国の製造業に依託して協調する方向へ

書評 『アップル帝国の正体』(五島直義・森川潤、文藝春秋社、2013)-アップルがつくりあげた最強のビジネスモデルの光と影を「末端」である日本から解明

書評 『現代中国の産業-勃興する中国企業の強さと脆さ-』(丸山知雄、中公新書、2008)-「オープン・アーキテクチャー」時代に生き残るためには

書評 『中国貧困絶望工場-「世界の工場」のカラクリ-』(アレクサンドラ・ハーニー、漆嶋 稔訳、日経BP社、2008)-中国がなぜ「世界の工場」となったか、そして今後どうなっていくかのヒントを得ることができる本

書評 『空洞化のウソ-日本企業の「現地化」戦略-』(松島大輔、講談社現代新書、2012)-いわば「迂回ルート」による国富論。マクロ的にはただしい議論だが個別企業にとっては異なる対応が必要だ


■「見えないもの」を「見える化」するのが科学的発見と理論化

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」

『形を読む-生物の形態をめぐって-』(養老孟司、培風館、1986)は、「見える形」から「見えないもの」をあぶり出す解剖学者・養老孟司の思想の原点

最近ふたたび復活した世界的大数学者・岡潔(おか・きよし)を文庫本で読んで、数学について考えてみる

書評 『「大発見」の思考法-iPS細胞 vs. 素粒子-』(山中伸弥 / 益川敏英、文春新書、2011)-人生には何一つムダなことなどない!

企画展「ウメサオタダオ展-未来を探検する知の道具-」(東京会場)にいってきた-日本科学未来館で 「地球時代の知の巨人」を身近に感じてみよう!
・・「「発見」というものは、たいていまったく突然にやってくるのである」(梅棹忠夫)


■言語力と論理力アップのために

書評 『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三、光文社新書、2007)-「論理力」と「言語力」こそ、いま最も日本人に必要なスキル

書評 『外国語を身につけるための日本語レッスン』(三森ゆりか、白水社、2003)-日本語の「言語技術」の訓練こそ「急がば回れ」の外国語学習法!

書評 『言葉にして伝える技術-ソムリエの表現力-』(田崎真也、祥伝社新書、2010)

(2014年8月18日 情報追加)


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2010年2月7日日曜日

朝青龍問題を、「世間」、「異文化」、「価値観」による経営、そして「言語力」の観点からから考えてみる

     
                    
 2010年2月4日、ついに朝青龍が引退表明して角界を去ることとなった。ファンとしては残念だが、この状況下ではベストとはいわないまでも現実的な選択であったといえよう。さすがに今回はもう無理かな、と思ったファンも多いことだろう。

 週刊誌によれば、黒い交友がつねにウワサされていたようだが、芸能界含めて興業の世界にはつきものの話であり、一概にそれだけで断罪することはできないだろう。そういうウラ社会の話はいい悪いは別にして、日本人なら、それとなく知っている話ではある。歴代の横綱もまた例外ではない。


■日本の「世間」における「常識」と「非常識」

 今回の引退劇は、日本相撲協会の理事会から「解雇か引退か」と迫られた上で、退路を断たれた朝青龍が泣く泣く引退を決断した、というのが真相らしい。自発的とはいいながら、いわば「強いられた引退」といったところだろう。英語でいえば、forced to retire といったところか。もちろん、退職金などさまざまな特典や名誉のことを考えれば、引退しか結論はない。

 私も朝青龍のファンだが、今回の件は残念だが仕方がないと考えている。しばらく休養して、心の整理をしてから第二の人生に向けて出発して欲しい。間違っても、サッカーのヒデ(こと中田英寿)のように"自分探し"などしないように。しかし、それにつけても不思議なのは、巡業サボってモンゴルに帰っていたときにサッカーに興じたのは、親友のヒデの誘いによるものではなかったのか? なぜマスコミはこのことに言及しないのだ??

 この話題を取り上げた理由はいくつかある。私には非常に印象的だったのは、朝青龍が引退の記者会見で、「世間を騒がせて・・」という決まり文句をまったくクチにしなかったことだ。迷惑をかけたとして言及したのは、具体的な対象(相撲協会やファン、マスコミ関係者)についてのみであった。本人もさまざまな迷惑をかけてという自覚はあることがうかがわれるが、「世間」を騒がせたという謝罪の決まり文句がまったくでていない。

 朝青龍は高校生のときから日本にきており、すでに十数年の滞在で日本語はある意味、日本人より流暢である。モンゴル語と日本語は語順が同じなので、単語さえ覚えれば習得はそれほど難しくないのかもしれない。ただし朝青龍の、漢字読み書き能力については私は知らない。

 私が何をいいたいかというと、これほど日本語を流暢に使いこなすな朝青龍が、「世間」を騒がしたという表現をしないということは、「世間」という、つかみどころのない、あいまいな概念を認識していない、という重要な事実なのである。

 「世間」というコトバを耳にすることがあっても、実体として「世間」という概念を把握していないから、自分のコトバとしては出てこないのだろう。


■「異文化」のモンゴル人には日本の「世間」は存在しない

 ここで想起されるのは、モンゴル人の特性である。書評『朝青龍はなぜ強いのか?-日本人のためのモンゴル学-』(宮脇淳子、WAC、2008)でも書いたが、著者のモンゴル学者で歴史家の宮脇淳子が、モンゴル人の特性をいくつかピックアップしたなかに、次のような項目がある。

 ・「まわりに合わせる」という考えのないモンゴル文化
 ・モンゴルには「長幼の序」はない

 似たような顔をした同じアジア人とはいっても、モンゴル人は、日本文化とは根本的に異なる「遊牧文化」に属しているのだ。これによって、ある程度まで朝青龍の特性を説明することができる。

 朝青龍自身、「まわりに合わせる」つもりはない、勝負にこだわっていたと述べている。その意味において、朝青龍は日本語はペラペラだが、骨の髄まで100%モンゴル人なわけなのだ。


また、2005年当時の駐日モンゴル大使がこんなタイトルの本を出していたことはご存じだろうか。『日本人のように無作法なモンゴル人』(ザンバ・バトジャルガル、大束 亮訳、万葉舎、2005)。

 なんだか失礼な印象も受けなくはないタイトルだが、モンゴル人からみれば、日本人のほうが不作法、と映るらしい。まさに「異文化」ギャップである。「日本人のように不作法な」というフレーズがモンゴル語にあるらしいが、それこそ日本とモンゴルは真逆の世界であるわけなのだ。

 つねに優等生として比較される横綱・白鵬は、日本人と結婚し、日本に帰化することも視野にあるからだろう、かなりの程度まで日本(という他人)に合わせているように思われる。なんといっても配偶者である日本人の影響は少なくないだろう。白鵬は強いし「品格」もあるように見えるが、ややつまらない印象を受けるのは私だけだろうか。

 昨日(2月6日)のNHKの追跡AtoZ 「朝青龍 引退の舞台裏-"強さ"と"品格"のはざまで-」で紹介されていたことだが、朝青龍は日本のお父さんとして慕っていた、髪結いの床山さんに「横綱の品格」とは何だろうか、としつこく聞いていたという。朝青龍なりにそうとう悩んでいたのだろう。

 しかし、「品格」なんていわれても、日本人だってよくわからない。目に見えない「品格」なんていう行動基準を課せられても、答えなんか出しようがないではないか。「品格」もまた「暗黙」の了解事項であるかぎり、「世間」の外部からきた者には、痛い思いをして自ら気づきを得ない限り、まず理解不能といっていいだろう。

 日本人であっても、若い頃は"ヤンキー"(・・アメリカ人のことではないですよ! いわゆるツッパリのこと)やったり、そうとう"ヤンチャ"したが、結婚して家庭をもったら落ち着いた、なんて話はごろごろしている。つまり彼らは、「世間」の暗黙のルールを、肌身をつうじて体得した、ということだ。こういうことを指して、日本人は「オトナになった」と表現する。

 「覇者の奢り」ともいうべきか、朝青龍に聞く耳がなくなっていたことも問題ではある。しかし、同じことをモンゴル人に求めても無理というものだろう。

 モンゴルでは、朝青龍に日本人の記録を破らせないために引退させたのだ、という陰謀論めいた見解もなくはないらしいが、日本的「世間」のもつ、意図せざる、見えざる「排除の論理」が働いていないとは、いいがたいものがあるので、陰謀論もあながち否定はできない。


■どんな組織でも「行動基準となる価値観」が重要だ


 しかしながら、どの世界にも行動基準となる「価値観」が存在する。

 米国の文化人類学者エドワード・ホールの表現を使えば、日本のようなコンテクスト(=文脈)依存的な文化(= high context culture)においては、価値観も暗黙的なことが多い。「世間」の要求する価値観などまさにそうしたものであろう。

 これは日本的「世間」にどっぷりとつかっている組織は、お役所でも企業組織でもかわらない。ホールの議論については、Edward T. Hall, Beyond Culture, Anchor, 1977 を参照。かつて「日米摩擦」が激化した時代によく読まれた本。日本語訳『文化を超えて』はとうの昔に絶版。

 一方、米国社会や欧州社会のような、コンテクスト依存度の低い文化(= low context society)においては、価値観は明示されて表現されることが多い。たとえば、いまはもう引退したが、かつて米国を代表する世界企業 GE(General Electric:ゼネラル・エレクトリック)の CEO として率いていたジャック・ウェルチは、「価値観に基づく経営」を主張し実行していた。

 ウェルチがいうには、いくら業績がよくても、GE の価値観にあわない人間には辞めてもらう、と。これは「価値観による経営」といってよいだろう。CSR(= Corporate Social Responsibility)を考慮にいれないと、価値観に従わない従業員によってもたらされた不祥事によってブランド価値が毀損(きそん)されることもあるし、何よりも企業価値を重視した経営を行う以上、当然といえば当然なのだ。短期の業績があがっても、中長期の競争力につながっていかなければ意味はない。

 ただし重要なのは、価値観がコトバとして明示され、従業員に徹底して教育を行っていた、といういことだ。GE 以外でも、国際的なホテル・チェーンであるリッツ・カールトンの「クレド」(Credo:信条)など、価値観を明示して行動基準としている企業組織は多い。


 朝青龍の「引退」は、相撲協会の「価値観」にしたがったものであり、そのこと自体には異論はない。所属する組織のトップ経営層の「価値観」に基づく決定である。今回の場合、あらたに外部からの人材が、意志決定に加わったことも大きく左右したようだ。

 ただ問題なのは、相撲協会の価値観の表明が「暗黙的」なものであって、誰にでもわかるような「形式」で明示されたものではないことだ。果たして、企業組織であれば「就業規則」の懲罰規定のような明示された基準が、相撲協会内部に存在するのかどうかも不明である。

 これが、ひとり朝青龍だけでなく、一般ギャラリーにも理解しにくいものであったことは、何かしら釈然としない、後味の悪い思いだけが残ったことにつながっている。


■相撲協会はコトバで明確にMVV(=ミッション・ビジョン・バリュー)を示せ

 結論としては、相撲協会は「ミッション」を明確にし、「価値観」も美辞麗句ではなく、誰もが腹の底から納得のいくようなコトバで、明示すべきである、ということである。「価値観」を行動のガイドラインとして設定し、これを相撲協会内部で徹底していけば、あたらしい時代に組織として生き残っていくことを可能とするだろう。

 相撲界は能楽と同様、パトロンであった徳川幕府が明治維新により崩壊したあとは、生き残るのに大きな苦労をしたことは歴史的な事実である。現在の相撲界を取り巻く状況は、それに劣らぬ苦境かもしれない。

 新しい時代に適応するためには、「価値観」を明示的に表現し、徹底していくことが求められるが、この際に必要になってくるのが「言語力」である。「言語力」とは、読み、書き、考え、伝えるチカラのことである。これが現在の日本人には、子供だけでなく大人にも著しく欠けている。日本人は「暗黙知」にどっぷり依存しすぎてきたのである。ロジカル・シンキング(論理的思考能力)以前の状態である。言語力がなければ、数学の試験問題の意味も理解できない。

 したがって、「言語力」を鍛えることは相撲界だけでなく、日本全体の課題であることは、NHKの追跡AtoZ 「問われる日本人の"言語力"」でも具体的に紹介されているとおりである。日本のサッカーを強化するためには、前日本代表監督であったオシムが指摘するように、選手の「言語力」をアップすることが課題となっているようだ。「暗黙知」に頼ったコミュニケーションには明かな限界に突き当たっており、「形式知」としての「言語力」をより高める必要性に迫られているのだ。

 相撲取りといえば、かつては「ごっつぁんです」、「そうっすか」、「うっす」ぐらいしか発言しないのが当たり前だったが、朝青龍だけでなく琴欧州や把瑠都などの外国人の若い力士は、日本語で流暢に感想を述べたり、自分の考えを筋道たててしゃべったりもしている。相撲協会は理事も含めて、「言語力」強化が喫緊(きっきん)の課題ではないか?


 以上、朝青龍問題を題材に、日本的「世間」と「異文化」について考え、「価値観」による経営実現のために不可欠な「言語力」の重要性について考えてみた。

 問題は相撲界だけではない。企業組織含めた、日本全体にかかわることである。問題の根は深いが、対策開始は早ければ早いほうがよい。


<参考サイト>

◆「言語力検定」(読み、書き、考え、伝えるチカラ) 公式サイト

NHKの追跡AtoZ 「問われる日本人の"言語力"」


P.S.  この投稿記事でブログ開設以来250本目となった。次に目指すは通算300本也。

P.S. 2  読みやすくするために改行を増やし、「見出し」を入れた。また<ブログ内関連記事>を追加して、この記事のブログ全体との関連を明確にした。 (2013年11月13日 追記)



<ブログ内関連記事>

■モンゴル

書評『朝青龍はなぜ強いのか?-日本人のためのモンゴル学-』(宮脇淳子、WAC、2008)


■世間

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・「世間」とは持続性のある相互監視の視線であり、「空気」とは持続性はないが濃度の濃い相互監視の視線の集まりと考えてよいのではないだろうか

ネット空間における世論形成と「世間」について少し考えてみた
ネット空間における「世間」について(再び)

書評 『醜い日本の私』(中島義道、新潮文庫、2009)-哲学者による「反・日本文化論」とは、「世間論」のことなのだ

映画 『偽りなき者』(2012、デンマーク)を 渋谷の Bunkamura ル・シネマ)で見てきた-映画にみるデンマークの「空気」と「世間」
・・「世間」も「空気」も特殊日本的現象ではない

「ゆでガエル症候群」-組織内部にどっぷりと浸かっていると外が見えなくなるだけでなく、そのこと自体にすら気が付かなくなる(!)というホラーストーリー

書評 『私とは何か-「個人」から「分人」へ-』(平野啓一郎、講談社現代新書、2012)-「全人格」ではなく「分割可能な人格」(=分人)で考えればラクになる


■価値観

クレド(Credo)とは

書評  『女子社員マネジメントの教科書-スタッフ・部下のやる気と自立を促す45の処方箋-』(田島弓子、ダイヤモンド社、2012)-価値観の異なる人材をいかに戦力化するか

「個人と組織」の関係-「西欧型個人主義」 ではない 「アジア型個人主義」 をまずは理解することが重要!
・・中国人、インド人、タイ人の「個人主義」と西洋人の「個人主義」の違い


■言語技術

書評 『ことばを鍛えるイギリスの学校-国語教育で何ができるか-』(山本麻子、岩波書店、2003)-アウトプット重視の英国の教育観とは?

「人生に成功したければ、言葉を勉強したまえ」 (片岡義男)
・・アメリカのエリート教育

書評 『言葉でたたかう技術-日本的美質と雄弁力-』(加藤恭子、文藝春秋社、2010)
・・アメリカのエリート教育

書評 『小泉進次郎の話す力』(佐藤綾子、幻冬舎、2010)
・・スピーチ

書評 『思いが伝わる、心が動くスピーチの教科書-感動をつくる7つのプロセス-』(佐々木繁範、ダイヤモンド社、2012)-よいスピーチは事前の準備がカギ!

書評 『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三、光文社新書、2007)

書評 『外国語を身につけるための日本語レッスン』(三森ゆりか、白水社、2003)

書評 『言葉にして伝える技術-ソムリエの表現力-』(田崎真也、祥伝社新書、2010)



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