「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問は ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル シーア派 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル シーア派 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年3月8日日曜日

『物語 イランの歴史 ― 誇り高きペルシアの系譜』(宮田律、中公新書、2002)を読んで、「古代帝国の栄光」と「屈辱の近代史」がイランのナショナリズムを支えていること、イラン人に「救世主願望」があることを知る

 

 2026年2月28日に開始されたイスラエルと米国のイランイスラーム共和国に対する共同軍事作戦は、すでに2週間目に突入している。  

中東湾岸諸国とは違って、戦争の直接被害を受けない東アジアの日本であるが、ホルムズ海峡の実質的封鎖にとなう石油価格上昇など、経済面を中心に間接的な影響が出始めている。 

イランと米国、イランとイスラエルの敵対関係は、古くて新しい話ではあるが、「レジーム・チェンジ」すなわち現在のイスラーム共和国体制が転覆されるのか否か、現時点ではまだ見通しはつけにくい。 

さまざまな識者がイラン情勢について語っており、わたしも YouTube では日本語情報だけでなく、米英以外の英語情報も視聴しているが、偏向のはなはだしいオールドメディアだけでなく、当然のことながらネット情報にかんしてもポジショントークからは距離を取るように努めている。 


■イランの内在的に考えるため歴史を振り返ってみる 

現在進行中の問題を考えるにあたっては、いったん距離をおいて過去の歴史を振り返ってみるのがよい。 

先日は『イラン現代史 ― イスラーム革命から核問題、対イスラエル戦争まで』(黒田賢治、中公新書、2025)という本を読んで、1979年のイスラーム革命前後から2020年代の現在にいたる歴史を振り返ってみた。 

だが、イランにかんしては、イスラーム革命以前についても見取り図をもっていたほうがいい。そう考えて『物語 イランの歴史  ―  誇り高きペルシアの系譜』(宮田律、中公新書、2002)を書棚から引っ張り出してきた。 

購入してから、なんと24年(!)たってはじめて通読してみたが、これは面白い本であった。在外イラン人の事情にも詳しい、イラン通のイスラーム研究者による本書で、歴史をつうじて形成されてきたイラン人の日常生活とホンネ、そしてメンタリティーが手に取るように理解できるのだ。 

もちろん、四半世紀も前の記述なので「終章 イランはどこに向かうのか?」は、さすがに現時点でアウト・オブ・デイトになっている。とはいえ、その章の副題にある「イスラームからイラン・ナショナリズムへ」は、現在のイランを考えるにあたって、じつに示唆に富む。 

というのも2002年ですでに、シーア派による神聖国家の体制に違和感を感じているイラン人は、宗教的な規制を押しつけてくる抑圧的な権威主義に反発を感じているのである。イスラーム的な普遍性よりも、ナショナリズムに拠り所を求めるようになってきているのである。 

イランのナショナリズムを支えているのは、ペルシア語は言うまでもないが、アケメネス朝やササーン朝などの古代ペルシア帝国の栄光の歴史である。一方、19世紀以降は近代化に遅れをとり、英国やロシアによって半植民地化された屈辱の歴史の裏返しの感情に起因するものだ。 

古代ペルシア帝国以来、イランは5000年以上にわたって官僚制によって成り立っていた国である。古代においては、西アジアにおける先進文明の担い手として周辺地域に影響をあたえており、その点では3000年の歴史をもつ東アジアにおける中国とよく似ているというべきだろう。 

イラン国民(・・ただし、本書では記述がないがイランは多民族国家でありペルシア系は6割程度である)は、プライドの高い誇り高き人びとなのである。アラブやトルコなど周辺諸民族に対して優越感を抱いている。 

そんなイラン国民であるが、抑圧的な状況下での苦難がつづくと「救世主願望」が表面化してくる。これは歴史をつうじてなんども繰り返されている現象だ。 

救世主願望は、メンタリーとしてある意味では他律的であり、結果として独裁者を招きかねない(・・イソップのカエルの寓話を想起)。イスラーム化される以前の支配宗教であったゾロアスター教が、ペルシア系イラン人の精神の基層部分にあるためかもしれない。 


■トランプは「救世主」となりうるか?

イランの歴史を振り返って見てくると、つぎのようなことを考えてみたくなる。 

今回のイランに対する軍事作戦を主導しているイスラエルと米国であるが、トランプ大統領はイラン国民にとっての「救世主」となるのだろうか、という問いだ。 

現時点では、地上軍派遣は行わない(・・カーター政権時代、米軍はアメリカ大使館人質救出作戦で大失敗している)、体制転換までは行うが、そこから先はイラン国民がやるべきことだ、と賢明にもトランプ氏は明言している。

宿敵とみなしてきたイラン・イスラーム体制との最終戦と位置づけ、長期戦も辞さない覚悟のイスラエルに引きずられることなく、名目はなんであれ戦争を早期に終結させることができれば、トランプ氏は「救世主」として評価されることになるかもしれない。

あるいは、「救世主」ではなくても、そのキッカケをつくった存在として評価されることになるかもしれない。仮にそうだとしても、その後のイラン再建は困難な道筋をたどることになるのではないか? 

いずれにせよ、戦争が膠着化して長期化しないことを望むばかりだ。イラン情勢は中東情勢にとどまることなく、今後の東アジア情勢にも大きな影響をあたえるからだ。東アジアで米軍の兵力が手薄となり、そのプレゼンスが低下することは、日本の安全保障にも大きな悪影響を及ぼすことになる。 

おなじアジアの国として共通性もあることもあって、イランとは長きにわたって良好な関係を保ってきた日本ではあるが(・・もちろん正倉院の話をしているのではなく、近代以降の話に限定する)、「台湾有事」を視野に入れると、米国との関係はなかなかむずかしいものがある。 

西アジアの地域大国としてのイランは、たかだか建国250年の米国とは違って、古代においては先進文明としての帝国であった。

レジーム・チェンジ(=体制転換)が実現するかどうかはわからないが、栄光の歴史を背景にもつイラン国民のナショナリズムは、いかなる方向にイランを導いていくのだろうか? 


(画像をクリック!)



目 次
序章 イラン人の日常生活と文化 
第1章 ペルシア帝国の栄光とイラン文化の形成 
第2章 イラン文明のイスラームとの融合 
第3章 西欧帝国主義との出会いと宗教社会 
第4章 民族運動の台頭と挫折 
第5章 イラン‐アメリカ相互不信の背景 
第6章 イランの伝統文化の探求 
第7章 模索するイランのイスラーム 
終章 イランはどこへ向かうのか? ―  イスラームからイラン・ナショナリズムへ あとがき 参考文献/イラン略年表 


著者プロフィール
宮田 律(みやた・おさむ) 
1955年生まれ。専門は、現代イスラム地域研究・途上国の国際政治・イラン現代史・イラン現代政治。慶應義塾大学文学部史学課卒業。学位は、歴史学修士(カリフォルニア大学ロサンゼルス校・1985年)。一般社団法人現代イスラム研究センター理事長。現代のイスラム主義の運動、過激派の世界観と活動、米国の中東イスラム政策、米国の軍産複合体、日本と中東イスラム世界の関係、中村哲医師の活動など平和創造の在り方、オリエント世界を中心とする世界史、ナショナリズムの世界史的発展、中東イスラム世界の文化と現代世界など幅広い分野で数々の著作がある。(Wikipediaより) 



<ブログ内関連記事>





・・「救世主願望」を生み出したイラン高原とゾロアスター教

・・「勝たなくても負けなければいい」 これはベトコンが長年にわたるゲリラ戦を勝ち抜いた哲学である。」➡ イランもまた同様に考えているのではないか?


■イランと米国の関係


■イランとイスラエルの関係



■日本とイランの関係






(2026年3月11日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
ぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2024年5月20日月曜日

書評『イランの地下世界』(若宮聰、角川新書、2024)― イスラーム体制の下でイラン人は、なにを考えどう行動しているのか?

 


現職の大統領と同乗していた外相が事故死するという異常事態に見舞われているイランは、はたして今後どうなっていくのか? 

保守強硬派の大統領は最高指導者ハメネイ師の忠実な配下だったが、ライシ大統領の事故死は、現在85歳の最高指導者の後継者問題にも影響を及ぼすことだろう。それがさらなる国内での反発につながっていくのかどうか。

この事件とは直接は関係ないが、きわめてタイミングよく出版された本がある。『イランの地下世界』(若宮聰、角川新書、2024)という本だ。  

5月にでたばかりの本で、わたしはこの本は一昨日読んだ。よもや、大統領死亡など事件が起こるとは夢にも思わずに・・。 

この本の存在は、冒険ノンフィクション作家の高野秀行氏のX(旧twitter)で知った。高野氏が本書の生みの親だそうで、しかも本書の解説を書いている。 

著者の若宮聰氏は、イラン好きが高じてイランで長年暮らし、イラン人とホンネで語り合えることのできる日本人。イランのような秘密警察体制下では、ほんとうのことを書くと危険なのでペンネームである。登場人物も当然のことながら仮名である。 

1979年の革命以来40年以上続いている現在のイスラーム体制であるが、この本を読むと現在の体制に不満をもつイラン人がいかに多いかが手に取るようにわかる。 

おそらく著者は、首都のテヘランをベースにあちこちを訪問しているのであろうが、すくなくとも都市部の若年層の不満がいかに大きなものとなっていることか。 ヒジャーブ関連の抗議行動が爆発したこと、それが徹底的に弾圧されたことは記憶に新しい。


■イラン人の「イスラーム疲れ」という現実 

とくに興味深く読んだのが、「第2章 イスラム体制下で進む「イスラム疲れ」」である。 

シーア派のイスラームを国教とし、聖職者が支配するイランの現体制であるが、宗教イコール政治の体制であるがゆえに、政治への不満がダイレクトに宗教への不満につながってしまいやすいのだ。 

そもそもイランは、古代以来のペルシア帝国の末裔である。イスラーム化される前は、日本では拝火教とよばれることもあるゾロアスター教が支配的であった。 




イスラーム体制への嫌悪感が古代ペルシア帝国時代の栄光への憧れをもたらしているほか、イスラームの枠組み内ではあるが、瞑想を中心としたスーフィズム(=イスラーム神秘主義)へと向かわせる現実逃避的な姿勢など、じつに興味深い。禅仏教の瞑想とスーフィズムには類似性がある。



とはいえ、本書を読んでいると、たとえ現体制が転覆されて「世俗化」されたとしても、「歴史は繰り返す」というわけではないが、イランはまたおなじような経緯をたどっていくのかなという気がしないでもない。 

なぜなら、わたしは1979年の「イラン・イスラーム革命」と第2次オイルショックを、TVをつうじてであるが、リアルタイムで知っている世代だからだ。

さすがに「王政復古」は可能性としては低いだろうが、どうやらイラン人も独裁者的なストロングマンが好きなようだ。新体制もまた独裁化していくのであろ

あのときも、すべてではないが多くのイラン国民は革命に熱狂していた。その末路がいまや末期症状を示している現体制なのだ、と。 


(本文の P.231 で紹介されている「邪視よけ」 マイコレクションよりトルコ土産) 



■イラン人は大の日本びいき 

まあ、そういう話だけでなく、「タテマエ」のイスラーム体制のもとでの、「ホンネ」の飲酒やパーティにあけくれるイラン人のライフスタイルなど、本書には面白い話が満載だ。 

イランに関心のあってもなくても、読めば面白い本である。中ロとの悪の枢軸とみなされがちな現在のイランだが、すくなくともイラン人は大の日本びいきだということは、知っておいたほうがいいいだろう。

もちろん、イラン側の片思いに過ぎないのであるが・・。 


(画像をクリック!)


目 次
はじめに 
第1章 ベールというカラクリ 
第2章 イスラム体制下で進む「イスラム疲れ」 
第3章 終わりなきタブーとの闘い 
第4章 イラン人の目から見る革命、世界、そして日本 
第5章 イラン人の頭の中 
第6章 イランは「独裁の無限ループ」から抜け出せるか 
おわりに 
解説 高野秀行


<関連サイト>

・・著者インタビュー記事。大統領選挙で改革派のペゼシュキアンが当選したことをイラン人ったいはどう捉えているか? とはいえ、トランプ氏が米国大統領に返り咲くことになったら・・



<ブログ内関連記事>



■日本とイランの関係







■イランから脱出した人びと



・・「イスラーム国家のイランから脱出してカナダに移住した元ムスリムのアーミン・ナヴァビが・・・かつてイスラーム教徒だった人間が「無神論者」になった例など聞いたこともなかった」


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
ぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2023年9月27日水曜日

書評『バハイ教(シリーズ世界の宗教)』(P. R. ハーツ、奥西峻介訳、青土社、2003)― なぜ世界和合と多様性の両立を目指すイラン生まれのこの宗教がイランで迫害されるのか?


 
バハイ教(=バハーイー教 Baha'i)については、耳にしたことはあっても、どういう宗教なのかについて知ることはほとんどない。そもそも、世界の三大宗教には含まれないので日本語のメディアで言及されることもほとんどない。


そこで、ずいぶん前に購入していながら積ん読状態になっていた『バハイ教(シリーズ世界の宗教)』(P. R.  ハーツ、奥西峻介訳、青土社、2003)を読んでみることにした。こんな機会でもないと、読まないままになっていた可能性は高い。

なぜ世界和合と多様性の両立を目指すこの宗教は、イランで迫害されるのか? この謎が完全に解明されるかどうかわからないが、まずは読んでみた。


■バハイ教とはなにか その歴史と現在

バハイ教は、19世紀初頭にカージャール朝時代のペルシアのシーラーズで生まれた「新宗教」だ。わずか1世紀あまりで世界230国以上に拡がった世界宗教である。普及の度合いはキリスト教についでおり、2020年現在で全世界に信徒が800万人いるとされる。

バハイ教には前史がある。人類平等、男女平等を説いたバーブによるバーブ教である。このバーブ教じたいが最初の最初から迫害につぐ迫害の歴史をもっている。

バーブが、イランの国教であるシーア派の伝承である「隠れイマーム」が姿を消して、ちょどその1000年後に出現したとした使徒「マフディー」である、民衆からそう信じられるようになったことが、イランの宗教界に激震をもたらすことになった。シーア派の権威に真っ向から対立する存在となったからだ。

バーブは不信心者であるとして、シーア派の聖職者たちから激しく非難され、最終的にバーブは処刑されることになる。バーブに帰依する者が爆発的に増大していたからだ。

のちバーブ教を吸収したバハイ教の開祖バハーオッラーもまた迫害を受けている。勢力拡大を恐れた政府は弾圧を加えるが、地主階層出身で政府にもコネクションがあったバハーオッラーは過酷な投獄生活を送るが、最終的に追放刑となってオスマン帝国を転々とすることになった。

当時はオスマン帝国領であったパレスチナ北部のアッカの監獄に収容され、解放後はその地で暮らし、その地に葬られることになった。現在ではイスラエル北部のアッカはバハイ教の聖地になっている。

また、バハイ教の世界本部である万国正義殿がイスラエル北部のハイファにあるのは、そういった経緯があるようだ。当時はイスラエル独立前のことである。

ハイファはアッカとならんでバハイ教の「聖地」である。現在でもハイファは、ユダヤ系とアラブ系が共存して暮らしている寛容性の高い都市である。1990年代以降はロシアから移民もコミュニティをつくっている。その意味でも、バハイ教の世界本部の立地としてふさわしいかもしれない。


(原著第2版 写真はインドの首都ニューデリーの礼拝堂。「蓮の寺院」とよばれる)



教義の内容は、先にも触れたように、唯一の神のもとの人類平等、人種や民族の差別を撤廃し、男女平等を説き、世界平和の実現を願うという、いたって筋のとおった真っ当な内容だ。宗教であるが、道徳的な要素が濃厚である。自分自身が入信しようとは思わないが、すくなくとも外部から誹謗中傷するような教義ではまったくない。

バハイ教は、一桁の数字では最後にくる「9」を重視して「完全数」とし、19ヶ月で19日の太陽暦をもちいているなど、なかなか興味深いものがある。イランの太陽信仰や、ゾロアスター教の影響も受けているという。

*****


現在もなお弾圧はつづいており、アムネスティ・インタナショナルによれば、「逮捕、拷問、強制失踪、事業閉鎖、財産没収など過酷な差別や弾圧に加え、当局や国営メディアによるヘイトスピーチにさらされ、高等教育を受けることも禁じられている」のである。

シーア派を国教とするイランだが、スンニ派も含めたイスラームがが完全な市民権を認められた宗教である。その下にゾロアスター教、キリスト教、ユダヤ教の三宗教が「啓典の民」(=ズィンミー)として認められている。かつてのオスマン帝国とおなじである。

だが、シーア派の指導者であったホメイニ師はバハイ教を邪教と断じ、受け入れられないと発言している。イスラームから派生した新宗教であるバハイ教は、ムハンマドを最後の預言者であるとするイスラームの教義を否定しているからであろう。その点が絶対に容認されないのである。

さらにいえば、世界本部がイスラエルにある以上、イラン国内のバハイ教徒が巡礼するには困難がつきまとうだろうと容易に想像される。イランとイスラエルは敵対関係にあり、外交関係は断絶している。


(原著第3版 写真はイスラエルのハイファにある「万国正義殿」)


日本では、ほとんど取り上げられることのないバハイ教だが、イランについて考えるうえで、無視できない要素である。

なぜなら、宗教マイノリティでありながら、現在でもイランには信徒が30万人ほどいるのである。イスラーム以外の宗教では最大の規模なのである。ゾロアスター教徒や、1万人弱となったユダヤ教徒よりも多いのだ。

不思議なことに『イランを知るための65章(エリア・スタディーズ)』(岡田恵美子他編著、明石書店、2004)では、項目としてバハイ教が取り上げられていない。イランの現体制に忖度しているのか、それとも重要視していないのか。イラン関係者ではない外部の人間には理由は不明である。

本書はその意味でも、日本語で読めるほぼ唯一の解説書として有用だ。シリーズものの1冊だから出版が可能になったのであろう。もちろん、「世界宗教」としてのバハイ教について知っておく必要があることは言うまでもない。


(画像をクリック!)


目 次 
序文
1 バハイ教とその信者 
2 バハイ教の基礎 
3 バハイ教の開祖バハーオッラー 
4 バハイ教の聖典 
5 バハイ教の流布 
6 バハイ教の信仰と礼拝 
7 バハイ共同体 
8 今日のバハイ教
原註
訳者あとがき
文献一覧
用語解説
索引


著者プロフィール 
ポーラ・R・ハーツ(Hartz, Paula R.)
ミドルベリーカレッジ卒業。ノンフィクション作家、青少年向け書籍(推奨年齢12歳以上)の編集者として活躍。「シリーズ世界の宗教」(青土社)では、『ゾロアスター教』 『アメリカ先住民の宗教』『神道』『道教』が翻訳されている。

日本語訳者プロフィール
奥西峻介(おくにし・しゅんすけ)
1946年生まれ。京都大学大学院卒業。現在、大阪外国語大学名誉教授。著書に『遠国の春』(岩波書店)のほか訳書多数。(各種情報から編集)。



PS 民芸運動にもかかわったバーナード・リーチは最終的にバハイ教に入信している。

「リーチは1940年、アメリカ人の画家・マーク・トビーとの交友を通じバハイ教に入信していた。1954年、イスラエルのハイファにある寺院を巡礼に訪れたリーチは、「東洋と西洋をより一つにするため東洋に戻り、バハーイ教徒として、またアーティストとして私の仕事により正直になろうと努力したいと思います」との感を強くしたという。」(Wikipediaより)


PS2 1972年ヒット曲「Summer Breeze / 想いでのサマー・ブリーズ」のシールズ&クロフツはバハイ教徒
 
Wikipedia(英語版)には、以下のように記述されている。バハイ教に入信にして以来、コンサートでは演奏終了後にバハイの信仰について語ることがしばしばあるそうだ。

Seals & Crofts were an American soft rock duo formed in 1969 by Jim Seals and Dash Crofts in Los Angeles, California. They are best known for their hits "Summer Breeze" (1972), "Diamond Girl" (1973), and "Get Closer" (1976), each of which peaked at No. 6 on the Billboard Hot 100 chart. Both Seals and Crofts were publicly outspoken advocates for the Baháʼí Faith. (・・・中略・・・)
Crofts eventually returned to California to team up with Seals again, in the Dawnbreakers, and thus both Seals and Crofts were introduced to and became members of the Baháʼí Faith. After becoming longtime adherents of the religion, the two began to include references to and passages from Bahá'í scripture in their songwriting. 
When they appeared in concert, they often remained on stage after the performance to talk about the faith, while local Bahá'ís passed out literature to anyone interested.(以下略)

(2026年3月8日 記す)





<関連サイト>




<ブログ内関連記事>





・・著者は文化人類学者で、アラブ人キリスト教徒の多い、イスラエルの港町ハイファでフィールドワークを行ってきた人。

(2023年11月13日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
ぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2011年2月11日金曜日

本日(2011年2月11日)は「イラン・イスラム革命」(1979年)から32年。そしてまた中東・北アフリカでは再び大激動が始まった





 本日は日本では「建国記念日」であるだけでなく、イランでは「イラン・イスラム革命」(1979年)から32年にあたる記念日である。 

 2月1日にホメイニ師がフランスからイランに帰国してから、「イスラム革命」成就の日までの10日間を、イランでは「夜明けの10日間」というらしい。

 世界的なイスラーム哲学研究者で哲学者であった井筒俊彦(1914~1993)は、ホメイニ師を乗せたエールフランス機とはすれ違いで、テヘラン空港から JAL による「最後の救出機」でイランを脱出したことを、意味の深みへ-東洋哲学の水位』(井筒俊彦、岩波書店、1985)の「あとがき」に記している。

 長くなるがそのまま引用させていただこう。井筒氏の文章は私はむかしから大好きで、この件にかんする箇所だけでも何度も何度も読んできた。革命当時のテヘランに居住していた当事者にしか書けない文章である。ほとんど散文詩のような響きをもつ文章だ。

 人生、いつ、どこで、どんなことが起こるかわからない。思いもかけない時、思いもかけなかったことが、しばしば、起こる。それにつれて、生涯のコースが、思いがけない方に走りだす。錯綜する因縁の糸の縺(もつ)れが、様々に方向を変えながら織りだしていく生のテクスト。それが、人生というものの真の姿なのではなかろうか。近頃、そんなことを、よく考えるようになった。

 現に、もし数年前、あの時点で、イランという国にホメイニー革命が起こらなかったら、私は、きっと、あのままテヘランで、今でも仕事を続けていただろうし、したがって『意識と本質』も本書も、書かれることは、おそらくなかったであろう。
 一九七九年の二月、革命の勃発で、私は帰国することを余儀なくされた。すでにその前の年の秋あたりから、事態は急速に緊迫の度を増していった。テヘラン市内の至るところで、殺気立った民衆による焼打ち、暴行、暗殺が、毎日のように起こった。テヘラン中心部の私達のアパートのすぐ窓下で、突然、機関銃のけたたましい音が、濃い夜の闇を劈(つんざ)いた。
 夜には、陰鬱(いんうつ)な雨がよく降った。どこか近くの建物の屋上で、突然、神を讃美する悲痛な叫びが響く。たちまち、四方八方の屋上から他の声がそれに唱和する。王政にたいする激越な挑戦だ。それを下から狙い撃ちする政府軍の兵士達。暗い夜空を見上げる私の心に、何とはなしに、運命という言葉が去来した。
 学問の世界が次第に遠のいていくそんな情勢の下で、だが、それは私自身のイラン関係の仕事が、丁度、脂の乗りきってきた時期でもあったのだ。イスラーム哲学の未刊のテクストの編纂・註解作業を中心として、イスラーム法学基礎論の非アリストテレス的言語行為理論、スーフィズムの形而上学的基礎付けなど、複数の企画が並行して進捗しつつあった。立派な協力者も、少からずまわりにいた。異常な緊張感のなかで、私たちは規則正しく会合し、熱心に研究を進めていた。それを全部放棄して、私は、心ならずも、イランを離れた。

 心ならずも・・・・。だが、考えてみれば、それが私の生涯の、運命が用意してくれた転機だったのかもしれない。イランでの仕事に興味は尽きなかった。しかし奇妙なことに、それを棄て去ることを悔む気特は少しも起こらなかった。それどころか、日航の救出機に腰を下ろした時、私はすでに次の新しい仕事を考えていたのだった。今度こそ、二十年ぶりで日本に落ちついて、これからは東洋哲学をめぐる自分の思想を、日本語で展開し、日本語で表現してみよう、という決心とも希望ともつかぬ憶いで、それはあった。
 テヘランからアテネに向う私達の飛行機は、その途中の空中で、アテネからテヘランに向うホメイニーの一向を乗せたフランス機とすれ違った。そんな噂だった。 (引用は P.301~302)

 井筒俊彦氏が65歳のときの体験をつづった文章である。井筒氏の英文の専門論文以外の文章を、日本語で書かれた著作として読むことができるのは、実にこの「イスラム革命」であったということにもなる。

 弟子の五十嵐一氏が書いた文章によれば、井筒氏は日本に帰国後、イランの革命政府からの度重なる招聘を固辞し続けたということだ。せっかくの転機である、すでに踏み出した新しい道を突き進む決意ができていたからであろう。

 その五十嵐氏は、その後、筑波大学のキャンパスで、何者かによって白昼に刺殺された。サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』を日本語訳したことによる犠牲者である。私はこの事実を滞在中のイタリアで Newsweek の記事によってたまたま知った。

 『意味の深みへ ― 東洋哲学の水位』(井筒俊彦、岩波書店、1985)*に収められた「シーア派イスラーム ― シーア派的殉教者の由来とその演劇性」は、この本に収録されたその他の論文とは趣が異なる講演録をもとにしたものだが、1984年時点ではもっとも深い理解を、きわめてわかりやすく解説したものだといっていいと思う。

*2019年に岩波文庫に収録されている。(2026年1月11日 記す)


 1979年は、イスラーム世界が日本人にとって、真の意味で急浮上した年である。とくに、高校二年生であった私と同じ世代の人間にとっては、人生のきわめて早い時期に遭遇した画期的な出来事であった。イラン研究者やイスラーム研究者の多くが、この事件に衝撃を受けて、その道に進んだ人たちが多いようだ。

 1979年2月の「イラン・イスラム革命」は、その年の4月にはイスラム共和国の成立につながり、革命の歴史のなかに新たなタイプが成立した。1789年のフランス革命に始まった「ブルジョア革命」、1917年のロシア革命に始まった「社会主義革命」に続く、第三の革命モデルとしての「宗教革命」。

 1979年の「イラン・イスラム革命」は、経済的には1973年の「石油ショック」に続いて発生した「第二次石油ショック」となり、その年にはサウジアラビアはメッカの「カアバ神殿占拠事件」、そして年末にソ連崩壊の引き金となった「アフガン侵攻」が発生したのであった。

 「カアバ神殿占拠事件」は修学旅行先の白黒テレビでみていたことを覚えている。ちょうどその頃、桑田佳祐の「勝手にシンドバッド」が流行っていた。A谷というクラスメートが余興で歌ったのだった。エピソード記憶によるイモヅル式連想である。

 「アフガン侵攻」は、FEN のラジオ・ニュースで知った。在日米軍のラジオ放送である。年末のことだった。まだ受験勉強は始めてなかったと思う。

 まさにこの1979年から、世界の大激動が始まったのである。

 そしてそれから32年後、チュニジアから始まった「民主革命」が燎原の火の如く拡がって、アラブ世界の盟主であるエジプトにも波及、一気に中近東の地政学状況が激動に見舞われている。

 2011年のチュニジアとエジプト、それにヨルダンなどの動きに、1979年の「イラン・イスラム革命」、そしてさらには1956年の「スエズ運河封鎖」など、歴史を振り返って考えることの意味を再確認したい。

 おそらく、2011年の中東・北アフリカに始まった大激動は、全世界に大きな影響を与えていくことになろう。多くの日本人は気がついているかどうかわからないが・・・


(画像をクリック!)



P.S.  ついにエジプト情勢が大きく動いた!(2011年2月12日 日本時間未明)

 「エジプ民主化革命」が成就した2011年2月11日(エジプト現地時間)は、奇しくも、32年前の1979年の「イラン・イスラム革命」成就の日と重なったことになる。
 この30年間は、1981年10月のサッダート大統領暗殺後のエジプトは、ムバラク体制の30年であった。「イラン・イスラム革命」後の32年は、ムバラク体制のエジプトとまったく重なる期間であった。
 とりあえずエジプト国軍が全権掌握。一件落着である。さて本番はこれからだ。

(2011年2月12日 付記)



<参考文献>

『同時代も歴史である-一九七九年問題-』(坪内祐三、文春新書、2006)
・・「1979年春、その時に「歴史」は動いていた」。私より4歳上の、1958年生まれの評論家の文章。歴史というものは、その渦中にいる者には捉えがたいもの。






<ブログ内関連記事>

書評 『井筒俊彦-叡知の哲学-』(若松英輔、慶應義塾大学出版会、2011)-魂の哲学者・井筒俊彦の全体像に迫るはじめての本格的評伝
・・ぜひ読んでほしい本

本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り
・・井筒俊彦訳の『コーラン』(クルアーン)についても言及。『ハディース』の詳細についても

書籍管理の"3R"
・・井筒俊彦が個人教授で学んだタタール人の大学者についての言及

映画 『ペルシャ猫を誰も知らない』(イラン、2009)をみてきた
・・「イランのいま」を描いた映画。監督は国外亡命

イラン系日本人ダルビッシュがベースボールをつうじてアメリカとイランの関係改善に一役買う可能性がある

タイのあれこれ (18) バンコクのムスリム
・・なんとバンコクのトンブリにはシーア派のコミュニティがあって、現代イランで行われている祭儀よりも古風なものが保存されているとい。

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む(2010年12月26日)
・・1979年のアフガン侵攻からソ連崩壊が始まった

『イスラエル』(臼杵 陽、岩波新書、2009)を中心に、現代イスラエルを解読するための三部作を紹介
・・中東・北アフリカの大激動でもっとも大きな影響を受けることになるのがイスラエル。今後の動きは、イスラエルとエジプトの両国関係とイランが大きな意味をもつ

書評 『中東新秩序の形成-「アラブの春」を超えて-』(山内昌之、NHKブックス、2012)-チュニジアにはじまった「革命」の意味を中東世界のなかに位置づける
・・国際秩序撹乱者としてのイラン

(2014年2月2日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end