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2014年3月11日火曜日

「3-11」から3年。ー 鎮魂、それは生かされている者にとって最低限の「つとめ」


「3-11」から3年たった。三日三月三年(みっかみつきさんねん)というが、「3」という区切りは、さすがに違うものを感じる。

この世界は、いま生きている人たちだけではなく、すでに生き抜いて通り抜けていった人たち、そしてこれから生まれてくる人たちによって構成されている。

もちろん、いま生きている人たちも、これから生まれてくる人たちも、いつかは死んでゆくことになる。この日本という「場」を過ぎ去っていく「時間」。

仮初めの現生を生きるのは「死すべき人間」。中学生の頃か、倉田百三の『出家とその弟子』の「序曲」に「死ぬる者」(モータル)を読んで以来、モータル(mortal)心に刻まれてきた。メメント・モリ(Memento Mori 死を忘れるな)である。

3年前の大地震、大津波、原発事故・・・。とても3年たったとは思えないほど生々しい記憶である。たんなる情報だけでなく、体感記憶だからであろう。

大地震は自分自身が体験した。大地震は、自分が立っている大地が揺れるという、まさに実存の根源そのものを揺さぶる恐怖である。地震国・日本に生まれ育ったとはいえ、大地震の恐怖から逃れることはできない。

大津波は直接体験したわけではない。映像や画像でなんども追体験しただけだ。崩れてきた膨大な本の山に生き埋めになるのではないか、もうダメかもしれない気持ちにさえなった。本の洪水と津波に溺死するのではないかと。

福島第一原発の事故はテレビの中継でずっと見ていた。福島から千葉県北西部は離れているが、風向きのため放射能はすぐ近くにまで迫っていた。被曝も覚悟した。

「3-11」から3年たった2014年3月11日。

亡くなった人たちの魂が鎮まることを祈るのは、生き残ったすべての人の務めである。すべての死者のために祈り、生かされていることに感謝する。

鎮魂。 そして合掌。



<ブログ内関連記事>


関東大震災(1923年)以後の日本近現代史

書評 『国の死に方』(片山杜秀、新潮新書、2012)-「非常事態に弱い国」日本を関東大震災とその後に重ね合わせながら考える

書評 『震災復興の先に待ちうけているもの-平成・大正の大震災と政治家の暴走-』(山岡 淳一郎、2012)-東日本大震災後の日本が「いつか来た道」をたどることのないようよう

書評 『成金炎上-昭和恐慌は警告する-』(山岡 淳一郎、日経BP社、2009)-1920年代の政治経済史を「同時代史」として体感する

永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む

大震災のあと余震がつづくいま 『方丈記』 を読むことの意味

本日(2013年9月1日)は関東大震災から90年-知られざる震災記録ルポルタージュの文庫本2冊を紹介


突発的に襲ってくる危機としての自然災害

「天災は忘れた頃にやってくる」で有名な寺田寅彦が書いた随筆 「天災と国防」(1934年)を読んでみる
・・「文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実」(寺田寅彦)

『緊急出版 特別報道写真集 3・11大震災 国内最大 M9.0 巨大津波が襲った発生から10日間 東北の記録』 (河北新報社、2011) に収録された写真を読む

書評 『津波と原発』(佐野眞一、講談社、2011)-「戦後」は完全に終わったのだ!


大津波

書評 『三陸海岸大津波』 (吉村 昭、文春文庫、2004、 単行本初版 1970年)-「3-11」の大地震にともなう大津波の映像をみた現在、記述内容のリアルさに驚く

書評 『津波てんでんこ-近代日本の津波史-』(山下文男、新日本出版社、2008)


原発事故-福島第一とチェルノブイリ

書評 『官邸から見た原発事故の真実-これから始まる真の危機-』(田坂広志、光文社新書、2012)-「危機管理」(クライシス・マネジメント)の教科書・事例編

書評 『原発事故はなぜくりかえすのか』(高木仁三郎、岩波新書、2000)-「市民科学者」の最後のメッセージ。悪夢が現実となったいま本書を読む意味は大きい

書評 『原発と権力-戦後から辿る支配者の系譜-』(山岡淳一郎、ちくま新書、2011)-「敗戦国日本」の政治経済史が手に取るように見えてくる

「チェルノブイリ原発事故」から 25年のきょう(2011年4月26日)、アンドレイ・タルコスフキー監督最後の作品 『サクリファイス』(1986)を回想する

『チェルノブイリ極秘-隠された事故報告-』(アラ・ヤロシンスカヤ、和田あき子訳、平凡社、1994)の原著が出版されたのは1992年-ソ連が崩壊したからこそ真相が明らかになった!

スリーマイル島「原発事故」から 32年のきょう(2011年3月28日)、『原子炉時限爆弾-大地震におびえる日本列島-』(広瀬隆、ダイヤモンド社、2010) を読む

書評 『コミック みえない雲』(アニケ・ハーゲ=画、グードルン・パウゼヴァング原作、高田 ゆみ子訳、小学館文庫、2011)-ドイツでは親子二代で読み継がれたベストセラー小説のマンガ化

書評 『なぜメルケルは「転向」したのか-ドイツ原子力40年戦争の真実-』(熊谷 徹、日経BP社、2012)-なぜドイツは「挙国一致」で「脱原発」になだれ込んだのか?


鎮魂、そして生かされている者のつとめ

鎮魂・吉田昌郎所長-『死の淵を見た男-吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日-』(門田隆将、PHP、2012)で「現場」での闘いを共にする

不動明王の「七誓願」(成田山新勝寺)-「自助努力と助け合いの精神」 がそこにある!


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2011年9月12日月曜日

書評 『津波と原発』(佐野眞一、講談社、2011)-「戦後」は完全に終わったのだ!


「戦後日本」と訣別する第一歩となる本。メルトダウンした日本でいま何を考えるべきかが見えてくる

 「3-11」については、これまで饒舌に語ってきた多くの論者が沈黙してしまった。あるいは発言したにせよ、その内容はリアリティのない空虚な響きしかもたないコトバの羅列に過ぎないのではないか?

 そう思う人はこのノンフィクション作品を読むことをすすめたい。

 「品格」を欠いた表現が少なくないし、しかも「こじつけ」が多いのではないかという理由で佐野眞一が好きではないにしても、この作品だけは今後のために読んでおくべきだと言っておきたい。

 「3-11」の東日本太平洋岸の大地震と大津波、そして最悪の事態となった福島第一原発のメルトダウン。ともに同時期に発生した大災害であるが、前者が千年に一度とさえいえる巨大自然災害であったのに対し、後者は明かに「人災」である。前者が目に見えるかたちで大きな被害をもたらしたのに対し、後者は今後数十年にわたって見えない恐怖を与え続けることになる放射能被害である。

 とくに原発事故は、「戦後日本」そのものが、そっくりそのままメルトダウンしたのではないかという、シンボリックな意味さえ帯びるにいたっている。さらに言えば「近代日本」そのものがメルトダウンしたのではないか、とさえ思われるのである。

 わたしが本書を読むことにした理由の一つは、『東電OL殺人事件』(新潮社、2000)を書いた佐野眞一が、原発事故と東電についてどのような発言をしているのか知りたいと思っていたことにある。

 しかも、『巨怪伝』(文藝春秋社、1994)では読売新聞社主となった正力松太郎と「戦後大衆社会」をあますことなく描ききった佐野眞一だ。「テレビの父」だけでなく、「原発の父」でもあった正力松太郎について語ることは、そっくりそのまま戦後日本と東電を中心とした原発につながるのである。原発による電力があってこそ、「戦後大衆社会」が成立してきたことは、うかつなことに、本書を読むことで、はじめて強い印象とともに気が付かされた。

 戦後の理想教育を主導しながら挫折した無着成恭、戦後大衆消費社会を実現させた実業家・中内功、戦後大衆社会をリードしてきた石原慎太郎や小泉純一郎といった自民党政治家、そして戦後社会の実験場であった満洲に、戦後のつけが集約されてきた沖縄。これまで佐野が描いてきた戦後日本を扱ったノンフィクションを列挙してみると、佐野眞一が一貫して「戦後日本」とそれを準備した「近代日本」そのものを、時代を象徴するさまざまな人物をとおして描いてきたことがわかる。

 「3-11」とは、まさにその「戦後大衆社会」がすでに液状化し、崩壊していたことを明らかにした自然災害であり、それに付随して発生した取り返しのつかない「人災」であったことが本書によって確認されている。その意味で、「3-11」は暴力的に「戦後」を終わらせたのである。本書は、佐野眞一の集大成とまでは言わないが、これまで「戦後」を多面的に描いてきた蓄積があったからこそ書けた内容だといえるだろう。
 
 この本を読むと、われわれがいまどういう地点に立っているのか知ることができる。何をすべきなのかが明確に示されたわけではないにせよ、何を考えるべきかがおぼろげながらも見えてくるだろう。すくなくともそのキッカケにはなるはずだ。

 その意味で、ぜひ一読することをすすめたい。もはや「戦後」は終わったのだ。


<初出情報>

■bk1書評「「戦後日本」と訣別する第一歩となる本。メルトダウンした日本でいま何を考えるべきかが見えてくる」投稿掲載(2011年9月6日)
■amazon書評「「戦後日本」と訣別する第一歩となる本。メルトダウンした日本でいま何を考えるべきかが見えてくる」投稿掲載(2011年9月6日)





目 次

第一部 日本人と大津波
  重みも深みもない言葉 
  志津川病院の中に入って
  おかまバーの名物ママの消息
  壊滅した三陸の漁業
  熱も声もない死の街
  「何も考えずに逃げる」
  “英坊”は生きているか
  「ジャニーズ」の電源車
  高さ十メートルの防潮堤
  嗚咽する“定置網の帝王”
  日本共産党元文化部長・山下文男
  九歳で昭和大津波に遭遇
  「津波は正体がわからない」

第二部 原発街道を往く
 第一章 福島原発の罪と罰
  逮捕覚悟で原発地帯に入って
  浜通りと原発銀座
  東電OL・渡辺泰子とメルトダウン
  現代版「原発ジプシー」
  無人の楢葉町役場と「天守閣」
  満開の桜と野犬化したペット
  禁止区域に立ち入る牧場主
  地獄の豚舎にあった「畜魂碑」
  原発には唄も物語もない
  ホウレン草農家の消息
  陸軍の飛行場が原発に
  天明の飢饉と集団移民
 第二章 原発前夜-原子力の父・正力松太郎
  原子力の父と「影武者」
  読売新聞の原子力キャンペーン
  核導入とCIA
  原子力平和利用博覧会
  英国からの招待状
  欧米の原子力事情視察
  東海村の火入れ式
  天覧原子炉
  正力の巨大な掌の上で
  「原子力的日光浴」の意味するもの

 第三章 なぜ「フクシマ」に原発は建設されたか  
  フクシマと「浜通り」の人びと
  塩田を売却した堤清次郎の魂胆
  木川田一隆と木村守江の接点
  原発を導入した町長たち
  反対派町長・岩本忠夫が「転向」した理由
  東京電力の策謀
  原発労働はなぜ誇りを生まないか
  浜通り出身の原子炉研究者

あとがきにかえて


著者プロフィール

佐野眞一(さの・しんいち)

1947年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。編集者、業界紙勤務を経てノンフィクション作家となる。1997年、民俗学者宮本常一と渋沢敬三の生涯を描いた『旅する巨人』(文藝春秋)で第28回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。2009年、『甘粕正彦乱心の曠野』(新潮社)で第31回講談社ノンフィクション賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<書評への付記>

 正直に告白すると、ほんとうはこの本は読むつもりはなかったのだ。だが、読み始めるとけっきょく一気に読み通してしまった。

 日経ビジネスオンラインに掲載されていた著者に聞く 「司馬遼太郎」も「松本清張」も津波で流された『津波と原発』を出版した佐野眞一さんに聞く(黒沢正俊、日経ビジネスオンライン 2011年8月1日)を読んで、「これだ!」と思うところがあって急遽読むことにしたのだ。

 佐野眞一のノンフィクション作品は大半を読んでいるが、それはわたしがビジネスマンであることも大きいと思う。ダイエーの中内功の本などはじつに面白かった。ダイエーが大きくなっていたプロセスを観てきたわけではない世代にとっては、戦後の消費をリードした傑出した経営者であった中内功はじつにまぶしい存在であったからだ。晩節を汚して、寂しく世を去ったのはまことにもって残念なことであったが。

 さて、本書にかんしては、書評のなかで書いたが、あいかわらず「品格」に欠け、やや「こじつけ」と思わざるを得ないような記述もないとは言わないが、『津波てんでんこ-近代日本の津波史-』の著者で、元日本共産党の山下文男に、大津波から救出されて入院していた病室で行ったインタビューの話は面白い。いまでは、自分を救出してくれた自衛隊に大いに感謝しているという老人になっている。これはぜひ読んでほしいと思う。

 『旅する巨人』(文藝春秋、1996)では、日本中を旅して歩いた民俗学者宮本常一とそのメンターであった民族学者で大蔵大臣を務めたこともある澁澤敬三の生涯を描いているが、佐野眞一の「民俗学の手法」がいかなるものであるかよく理解できる良書である。

 本書『津波と原発』で発掘された、相馬中村藩の飢饉と移民受け入れの話は、わたし自身まったく知らなかっただけに、調べて書いた佐野眞一だけでなく、オドロキの事実の連続に圧倒されることだろう。ここにはまさに「民俗学的手法」がフルに活かされている。

 大飢饉のさなかの人肉食の凄惨な話や、激減した生産人口を回復するために、禁令を犯して、遠く日本海側の因幡や北陸から誘致した移民は、浄土真宗の布教とあいまった移民政策のたまものであったのだ。ちなみに、この相馬中村藩は、幕末に二宮尊徳が開発政策に大きく関与したことで知られている。

 「戦後日本」はすでにメルトダウンした。いや「近代日本」もすでにメルトダウンすたというべきだろう。これをシンボリックに表現したのが、「「司馬遼太郎」も「松本清張」も津波で流された」という表現である。

 「戦後日本」だけでなく、「近代日本」に引導を渡すべきときが来ているのではないか、その時期が顕在化したことに一日も早く気づくべきではないのかと、わたしは強く思うのだ。



<関連サイト>

著者に聞く 「司馬遼太郎」も「松本清張」も津波で流された-『津波と原発』を出版した佐野眞一さんに聞く(黒沢正俊、日経ビジネスオンライン 2011年8月1日)


<ブログ内関連記事>

書評 『私の体験的ノンフィクション術』(佐野眞一、集英社新書、2001)-著者自身による作品解説とノンフィクションのつくり方

書評 『あんぽん 孫正義伝』(佐野眞一、小学館、2012) -孫正義という「異能の経営者」がどういう環境から出てきたのかに迫る大河ドラマ

「沖縄復帰」から40年-『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(佐野眞一、集英社、2008)を読むべし!

「歴史の断層」をみてしまったという経験-「3-11」後に歴史が大転換する予兆 (2011年4月16日)
・・「いわゆる時代区分としての「戦後」は終わったと考えるべきだ」。

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)
・・「近代日本」に訣別する意思表示

書評 『津波てんでんこ-近代日本の津波史-』(山下文男、新日本出版社、2008)
・・本書でも、今回の大津波で辛くも生き残った山下文男に病室でインタビューしている

『緊急出版 特別報道写真集 3・11大震災 国内最大 M9.0 巨大津波が襲った発生から10日間 東北の記録』 (河北新報社、2011) に収録された写真を読む

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日) (4) 間奏曲-過去の断食参籠修行体験者たち
・・二宮尊徳について比較的くわしく触れている

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2011年5月29日日曜日

『緊急出版 特別報道写真集 3・11大震災 国内最大 M9.0 巨大津波が襲った発生から10日間 東北の記録』 (河北新報社、2011) に収録された写真を読む


 かつて米国のタイムライフ社から発行されていた「ライフ」が休刊となって以後も、不定期の形で内外の新聞社から、大きな戦争や大規模な自然災害が起きる度に「報道写真集」がムックという形で出版されてきた。

 現在はすでにインターネット時代。ネットでもテレビでも、震災関連の報道写真や映像だけでなく、一般市民が撮影した写真やビデオ映像の多くをすでに目にしてきている。

 それだけが理由ではないが、書店やコンビニの店頭で各社からでている「報道写真集」を手にとってみることがあっても、もう購入することはないだろうと思っていた。

 だが、宮城県の仙台市の地方紙である河北新報(かほくしんぽう)社から発行された『報道写真集 3・11大震災 巨大津波が襲った発生から10日間 東北の記録』の存在をしって、このムックだけは手に入れたいと強く思った。

 現在は政府の決定によって「東日本大震災」という名前になってしまったが、もっとも大地震と大津波の被害が大きかったのは、言うまでもなく東北地方の大平洋沿岸である。

 地域に密着した報道機関が、報道の使命のもと、地の利を活かした報道によって、震災発生後10日間にわたって撮影した写真の数々は、外部からやってきた写真家による写真とはまた違う。外部の視線からのものではない、内部の目によるものだ。

 いま、入手してこの「写真集」を見ながら強くそう思っているところだ。

 すさまじい大津波の傷跡にあらためて息を呑み、そして静止画像でディテールを読む。128ページに収録された写真は、膨大な写真から現時点の視点から精選されたものばかりである。

 巻末に収録された「河北新報」の震災翌日3月12日から 3日間の紙面の第一面を見て、地域のことは地域に、という感をあらたにした。今回の大震災と大津波は、「復興と再生」にかんしては日本全体として日本国民が取り組まねばならないことであるとともに、「復興と再生」の主体は、あくまでも地域の住民である東北の人たちであるということも。

 わたしが入手したのは、2011年5月16日付けの第4刷、発刊から1ヶ月ですでに第4刷。地元以外では書店やコンビニでの入手は困難かもしれないので、ネット書店での購入を勧めます。






<関連サイト>

『報道写真集 3・11大震災 巨大津波が襲った 発生から10日間 東北の記録』(河北新報の出版物のサイト)

「河北新報」(仙台市)のウェブサイト


<ブログ内関連記事>

書評 『三陸海岸大津波』 (吉村 昭、文春文庫、2004、 単行本初版 1970年)

「天災は忘れた頃にやってくる」で有名な寺田寅彦が書いた随筆 「天災と国防」(1934年)を読んでみる

永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む

大震災のあと余震がつづくいま 『方丈記』 を読むことの意味




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2011年5月12日木曜日

書評『津波てんでんこ ー 近代日本の津波史』(山下文男、新日本出版社、2008)ー「津波てんでんこ」というコトバに託された著者の思いを、日本人全体で共有しよう!


「津波てんでんこ」というコトバに託された著者の思いを、日本人全体で共有しよう!■  

「津波の際は、とにかく躊躇せず、一人一人バラバラで全力で高台に逃げろ!」。これが著者による本書の最大のメッセージである。  

そして、「津波は他人事じゃない!」。これが本書を一読してのわたしの率直な感想だ。  

タイトルになっている「津波てんでんこ」とは、明治三陸大津波の悲しい歴史を背負った貴重な教訓である。  

「てんでんばらばら」の「てんでん」に東北地方言の「こ」がついたもの。親兄弟が災害時に助け合うのは人間として当然の感情だが、こと津波に限ってはそれは例外でなければならない。なぜなら津波は不意打ちで突然襲ってくるから、共倒れを避けるためにはそれしかない、ということを意味している。  

「津波てんでんこ」という表現には、著者が子どもの時に体験した「昭和8年の大津波」が原点にあるという。
七人兄弟の末っ子だったが、両親も兄たちも、誰も手を引いてくれなかった。そのため否応なしで一人で逃げ、雪道を裸足で山まで駆け上がっている。後で聞くと、友だちの多くもみんな同じことだったらしい。助かろうと思ったら子どもでそうせざるをえないのである。(P.223)
 今年87歳になる本書の著者・山下文男氏は、今回の大津波でも九死に一生を得たことが報道されていた。  

吉村昭の『三陸海岸大津波』は読み継がれるべきロングセラーだが、津波はけっして三陸海岸だけのものではない。本書はこの重要な事実に読者の注意を促してくれる。「津波は他人事じゃない!」とはこのことだ。  

本書によれば、関東大震災(1923年)のときには相模湾沿岸では津波と山津波の挟み撃ちになっている。戦時下の東南海地震津波(1944年)は厳しい情報統制のため知られていないだけ。敗戦後の南海地震津波(1946年)はそれどころではない状況だった。日本海中部地震津波(1983年)では秋田に大被害、北海道南西沖地震津波(1993年)では奥尻島を中心に。このほか、沖縄の石垣島でも過去には大津波の被害を受けている。  

日本は、地震と津波の多さにかんしては、同じくプレートのうえに乗っかり、周囲を海に囲まれた島国のインドネシアと並んでいるのだ。津波が tsunami として英語になっていることからもわかるように、この国は「世界有数の津波大国」なのだ。  

自然災害である津波は、人間サイドの事情にはいっさいお構いなしに突然襲ってくる。しかも、集中豪雨や台風など、毎年の決まった時期に定期的に襲ってくる自然災害に比べると、大津波と大津波のあいだのインターバルがきわめて長いのが特徴である。そのため、どうしても体験が風化しやすい。  

また逆に、過去に津波を体験していると、どうしても実際より軽くみなしがちという側面もあることが指摘されている。津波への対応は、マインド面でも難しいのだ。  

狭い意味の専門家ではなく、三陸海岸に生まれ育った一市民の立場から書かれた、日本国民に覚醒を促す本である。ぜひこの機会に眼をとおして「自分の問題」だと受け止めてほしいと強く思う。 


■amazon 書評「「津波てんでんこ」というコトバに託された著者の思いを、日本人全体で共有しよう!」投稿掲載(2011年5月11日)


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目 次 
プロローグ キラー・ウエーブ 
第1章 節句の賑わいを直撃した狂瀾怒涛-明治三陸大津波(1896年6月15日) 
第2章 海と山から津波攻めの相模湾岸 -関東大地震津波(1923年9月1日) 
第3章 被災地の息子たちは中国の最前線に-昭和三陸津波(1933年3月3日) 
第4章 大戦末期、厳秘にされた被害情況 -東南海地震津波(1944年12月7日) 
第5章 敗戦後の混乱と激動の最中に -南海地震津波(1946年12月21日) 
第6章 地球の裏側から遙々と -昭和のチリ津波(1960年5月23日~24日) 
第7章 激浪のなかに消えた学童たち -日本海中部地震津波(1983年5月26日) 
第8章 際立った「災害弱者」の犠牲 -北海道南西沖地震津波(1993年7月12日) 
エピローグ 自分の命は自分で守る -三陸だけが「宿命的津波海岸」ではない 
参考文献 
あとがき

 

著者プロフィール 
山下文男(やました・ふみお) 
 1924年岩手県三陸海岸生まれ。現在、大船渡市綾里地区在住。明治の三陸津波で一族9人が溺死。自らも少年時代に津波や東北大凶作を体験。1986年以降、「歴史地震研究会」会員として著作と津波防災活動に従事。1991年『津波ものがたり』で「日本科学読物賞」「北の児童文学賞」、2000年「日本自然災害学会賞」(功績賞)、2003年「平成15年度防災功労者表彰」(内閣府、防災思想の普及)、2006年「『岩手日報』社文化賞」を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

 

<書評への付記>  

なんと、日本の海岸線の長さは世界第6位である。総延長 29,751km、カナダ、インドネシア、グリーンランド、ロシア、フィリピンについでの第6位。図録島国日本:海岸線の長い国・地域ランキング を参照。  島国では、インドネシア、フィリピン、日本、オーストラリアがトップ10に入る。面積の大きさではなく、周囲を海に囲まれていることがこのランキング上位に入る大きな要因である。   このうち、インドネシア、フィリピン、日本はプレートの真上に存在する島国。そして、日本とインドネシアは世界一を争うほどの大地震かつ大津波の被害大国だ。  「津波」はできてから100年くらいしか立っていない「新語」だが、すでに英語となって久しい。   英語の辞書をみると以下のような説明がある。Random House Dictionary によれば以下のように説明されている。

 
tsu·na·mi [tsoo-nah-mee] –noun) an unusually large sea wave produced by a seaquake or undersea volcanic eruption. Also called seismic sea wave. Origin: 1905–10; < Japanese, equivalent to tsu harbor (earlier tu ) + nami

だが、いつ頃、英語に入ったのか手元の資料ではわからない。

「逃げろ!」などと聞くと、わたしの世代の人間なら、浅田彰の『逃走論』を思い出すかもしれない。「闘争論」ではなく「逃走論」。  

一般には「逃げない」ことが美徳であり、倫理とされるが、こと津波にかんしては逃げるしかない。それも一瞬の躊躇なく逃げなくてはならないのだ。  

本書でも、津波の死者は溺死もさることながら打撲死が多いことが強調されている。一般にTV映像でも報道写真でも遺体の映像や画像をださない日本のマスコミの報道ではわからないが、無残なまでに変化した遺体が多いという話が、本書には書かれている。  

映像や生存者の証言だけでは、けっしてわからない事実にも注意を払う必要がある。そのためにはこのような本を読む意味もある。 


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2011年5月10日火曜日

書評『三陸海岸大津波』 (吉村 昭、文春文庫、2004、 単行本初版 1970年)ー「3-11」の大地震にともなう大津波の映像をみた現在、記述内容のリアルさに驚く


「3-11」の大地震にともなう大津波の映像をみた現在、記述内容のリアルさに驚く

 「3-11」の大地震にともなう大津波。被災者として直接体験していない多くの人もまた、すでに膨大な数の映像を見て津波という自然現象のすさまじさを、アタマとココロに刻みつけられた。

 この映像視聴体験を踏まえたうえで本書を読むと、すでに明治29年(1896年)と昭和8年(1933年)におこった三陸海岸大津波において、今回2011年の大津波とほぼ同じことが起こっていたことを知ることができる。

 とくに「明治29年の津波」。当時は、文字通り「陸の孤島」であった三陸地方の受けた津波の被害があまりにもナマナマしい。文字で追って読む内容と、今回の津波を映像で見た記憶が完全にオーバラップしてくる。

 津波の犠牲者のほとんどは溺死か打撲死したいるわけだが、溺死寸前で生還した体験者の語った証言内容を読むと、あまりものリアリティに、読んでいる自分自身が、水のなかでもがき苦しんでいる状態を想像してしまうくらいだ。これは、高台から撮影した映像からは、けっしてうかがい知ることのできない貴重な証言である。

 文明がいくら進もうと、地震と津波は避けることができない。防潮堤すら越えてあっという間に押し寄せてくる津波。地震予知が進歩したと思ったのも幻想に過ぎなかったことがわかってしまった。いや、すでに1934年に寺田寅彦が書いているように、文明が進めば進むほど被害はかえって大きくなるということが、残念なことに今回もまた実証されてしまったのだ。

 今回の大津波の生存者の証言も時間がたてば集められ、整理されることになると思うが、おそらく明治29年のときのものと大きな違いはないのかもしれない。

 本書じたい、いまから40年も前の出版だが、まったく古さを感じないのは、自然の猛威を前にしたら、たとえ文明が進もうが、人間などほんとうにちっぽけな存在に過ぎないことを再確認したことにある。

 まだまだ、これからも読み続けられていくべき名著であることは間違いない。はじめて読んでみて強くそう感じた。


<初出情報>

■bk1書評「「3-11」の大地震にともなう大津波の映像をみた現在、記述内容のリアルさに驚く」投稿掲載(2011年5月1日)
■amazon 書評「「3-11」の大地震にともなう大津波の映像をみた現在、記述内容のリアルさに驚く」投稿掲載(2011年5月1日)


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目 次

まえがき
1. 明治二十九年の津波
 前兆
 被害
 挿話
 余波
 津波の歴史
2. 昭和八年の津波
 津波・海嘯・よだ
 波高
 前兆
 来襲
 田老と津波
 住民
 子供の眼
 救援
3. チリ地震津波
 のっこ、のっことやって来た
 予知
 津波との戦い

参考文献
あとがき-文庫化にあたって
ふたたび文庫にあたって
解説 記録する力 髙山文彦


著者プロフィール

吉村 昭(よしむら・あきら)

1927年、東京生まれ。2006年没。学習院大学中退。1966年『星への旅』で太宰治賞を受賞。同年『戦艦武蔵』で脚光を浴び、以降『零式戦闘機』『陸奥爆沈』『総員起シ』等を次々に発表。1973年これら一連のドキュメンタリー作品の業績により第21回菊池寛賞を受賞する。他に『ふぉん・しいほるとの娘』で吉川英治文学賞(1979年)、『破獄』により読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞(1984年)、『冷い夏、熱い夏』で毎日芸術賞(1985年)、さらに1987年日本芸術院賞、1994年には『天狗争乱』で大仏次郎賞をそれぞれ受賞。1997年より芸術院会員。



<書評への付記>

 いま比較的大きな書店にいくと、吉村昭の文庫本が二冊、平積みになっているのを目にすることができるだろう。二冊の文庫本とは、『三陸海岸大津波』『関東大震災』である。

 後者の『関東大震災』(単行本初版 1973年)は、1995年の阪神大震災のあとによく読まれた本である。わたしもそのとき初めて手に取って熟読したことを覚えている。

 『関東大震災』を読めば、秩序ただしい日本人が神話に過ぎないことがよく理解できる。流言飛語というデマによる朝鮮人虐殺というとんでもない事件を引き起こしただけでなく、華僑も被害にあっているし、どさくさにまぎれてアナキスト(無政府主義者)の大杉栄が家族とともに殺されている。国文学者で民俗学者の折口信夫は、朝鮮人と間違われて殺されそうになったという体験もしている。

 1923年の関東大震災の当時にくらべれば、日本人も反省を経て人間的に成長したといっていいのかどうかはわからない。ただ一つ言えることは、時代環境によって日本人がとった行動(behavior)は同じではないということだ。

 そして今回の東北関東大震災(東日本大震災)では、大地震に大津波が加わった。

 ふたたび吉村昭の登場である。『三陸海岸大津波』は今回はじめて読んだ。名前は知っていたが、読書のプライオリティは高くなかったのだ、大津波の大被害をリアルタイムの映像で見るまでは・・・

 何かことが起こったときに、すぐれた関連本を読むことは、時局便乗でもなんでもない。

 この読書体験は、確実に、知識としてだけでなく、体験や疑似体験を「構造化」する役にたつはずである。あのとき、あんなことがあって、こんな本を読んだという記憶は、すぐれてエピソード記憶として刻み込まれ、確実に「アタマの引き出し」となる。

 ただし、読むべきものはすぐれた本であることが重要。粗製濫造の便乗本は読む価値はない。週刊誌のほうが直接取材を行っているからだ。

 みなさんもぜひこの機会に『三陸海岸大津波』を読んで、津波がなぜ tsunami という英語になったのか考えてみる機会にしてほしいと思う。

 本書には、英語化の経緯については書かれていないが、「津波」というコトバが、日本ではいつ頃から使われるようになったかの考察もある。その歴史が意外とあたらしいことを知って驚くのではないだろか?



<関連サイト>

なぜこれほどの尊い命が失われてしまったか-検死医が目の当たりにした“津波遺体”のメッセージ 
高木徹也・杏林大学准教授のケース-(ダイヤモンドオンライン)

・・2011年3月11日の大津波の検死を行った報告 (2011年8月23日 追加)


<ブログ内関連記事>

「天災は忘れた頃にやってくる」で有名な寺田寅彦が書いた随筆 「天災と国防」(1934年)を読んでみる

永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む

大震災のあと余震がつづくいま 『方丈記』 を読むことの意味


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2011年4月28日木曜日

Memento mori (メメント・モリ)と Carpe diem (カルペー・ディエム)-「3-11」から 49日目に記す


  
 英国では、ウィリアム王子とケイト・ミドルトン嬢との「ロイヤル・ウェディング」という慶事が明日4月29日と、間近に迫っている。

 現在は、「リーマンショック」と「ユーロ危機」後の不景気のまっただなか、財政再建中の英国だが、景気浮揚効果を考えれば、ぜひとも重視したいイベントであることは間違いない。

 だが、それほど長いというわけでもないが、やや長く生きていると「ロイヤル・ウェディング」というと別の感慨も抱く。それは、いまからちょうど30年前、1981年のことだ。


ダイアナ妃のこと

 いまから 30年前、セントポール大聖堂で、華麗な「ロイヤル・ウェディング」の主人公は、言うまでもなくダイアナ妃であった。ウィリアム王子の母である。

 ロイヤル・ウェディング当日前後のダイアナ・スペンサー嬢は、シャイ・ダイ(Shi Di)と呼ばれていたほど初々しい、白雪姫のような、文字通りのプリンセスだった。ヘアスタイルをはじめ、世界のファッション・リーダ的存在でもあった。

 その後のダイアナ妃の人生は、そのあまりもの運命の暗転に、まさにギリシア悲劇を見ているかのようなのような展開であった。あえてここに書くまでもないだろう。その最後が、パパラッチに追われて、パリの高速道路のトンネル内で自動車事故死というのは、あまりにも薄幸な人生だったとしか言いようがない。

 英国だけでなく、世界中がその死を悼んだダイアナ妃。クリントン元大統領とならんで、アダルト・チルドレンだと言われていたダイアナ妃、晩年は対人地雷廃絶のため世界中で活動していた。「人のために役に立ちたい」という強い思いを抱いていた人生。

 『ダイアナ死して、英国は蘇る』(多賀幹子、毎日新聞社、1998)という本を、ずいぶん前に読んだことがあるが、生前は不倫報道などでマスコミによってもみくちゃにされてダイアナ妃は、若くして悲劇的な死を遂げたことによって、聖女の扱いになった。

 そして現在でも、ダイアナ妃は人々の心のなかに生き続けている。


田中好子(スーちゃん)のこと

 また、つい先日の 4月21日、惜しくも55歳で亡くなった元キャンディースのメンバーで女優の田中好子さん(スーちゃん)が遺した音声メッセージ

 振り絞るように出されたそのコトバは、弱々しくかすれながらも、コトバの一つ一つが訴えるチカラの、なんと大きなものか!

 田中好子は、自分自身の弟を骨肉腫で失っているだけでなく、義理の妹である夏目雅子を白血病で失っている。そして本人は乳がんで。「人のために役に立ちたいという人生」は、身近な人たちとの痛切な別れが原点にあった。

 「フツーの女の子に戻ります!」というのがキャンディーズ解散発表時のメッセージだったが、死を前にしたメッセージもまた、多くの人々の心に刻みつけられるものとなるだろう。風のように立ち去ったスーちゃん。

 キャンディーズの全盛期はわたしの中学時代。当時はスーちゃんではなくランちゃん(=伊藤蘭)のほうが好みだったが、子どもときから 40年来ずっと食べている「揖保の糸」(いぼのいと) CM をやっていたので、田中好子には好感をもっていた。余談であるが。

 まずは、田中好子のテープに録音されたメッセージを文字で再現しておこう。

 こんにちは。田中好子です。きょうは 3月29日、東日本大震災から 2週間経ちました。被災された皆様のことを思うと心が破裂するような、破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。

 私も一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもそのときは、必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の勤めと思っています。

 キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした(涙ぐむ)。特に蘭さん、美樹さん、ありがとう。2人が大好きでした。

 映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。お礼の言葉をいつまでもいつまでも伝えたいのですが、息苦しくなってきました。

 いつの日か、妹、夏目雅子のように、支えて下さったみなさまに、社会に、少しでも恩返しができるように復活したいと思います。かずさん、よろしくね。その日まで、さようなら。

(出所)スーちゃん肉声メッセージ全文 「幸せな、幸せな人生でした」(MSN産経ニュース 2011年4月25日)


 文字で読むよりも、音声で聞くと、何度聴いても泣けてくる。スーちゃん「最後の肉声」「被災者のお役に・・・」(11/04/25)(YouTube)。視覚よりも聴覚に訴えるもののほうが、はるかに根源的だ。

 田中好子の最後のメッセージは、大震災と大津波の犠牲者を悼み、被災者への思いを語ったものだった。「被災された方のお役にたちたい」、と。

 ダイアナ妃と同様、田中好子(スーちゃん)も伝説と化して生き続けることだろう。義妹の夏目雅子と同じく、死後に「復活」するという形で。


本日4月29日は、「3-11」から 四十九日にあたる-Memento mori (メメント・モリ)と Carpe diem (カルペー・ディエム)

 そう、本日4月29日は、「3-11」から 四十九日にあたる日だ。四十九日である。

 人が死んでから 49日間(=7×7日間)は、仏教では「中陰」あるいは「中有」(ちゅうう)といわれる。死者が生と死の中間にとどまっている期間のことだ。だから四十九日の法要は、区切りをつけるために重要なのである。日本では、「死苦」と重なる。

 2011年3月11日の午後2時46分に発生した大地震と、その後間髪をおかずに押し寄せてきた大津波に飲み込まれて、わずかの時間のあいだに三万人近い人たちが一気に死んでしまったのだ。

 過去のどんな戦争でも、どんな自然災害でもなかったような「大量死」ではないだろうか?

 こんなときに思い出すのが、Memento mori(メメント・モリ)というラテン語の警句だ。「死ぬ事を忘れるな」という意味である。

 中世ヨーロパのカトリック社会では、当たり前だった警句。幼児死亡率が高く、そのため平均寿命が短く産出される中世は、つねに生と死は隣り合わせだった。また、黒死病とよばれたペストなどの疫病の大流行がたびたび発生して死者が大量にでている。

 近世以降の欧州でも、日本でも、それ以外の世界でも、あたりまえの真実であった。医療が進歩し、衛生状態が大幅に改善されてからは幼児死亡率が下がったが、それは20世紀に入ってからのことに過ぎない。

 今回の「東北関東大震災」の犠牲者は 3万人という大規模なものになっている。果たしてそのうちどれだけの人が、自分が死ぬことになると意識していただろうか。

 日常性なんてほんとうにあっけない日常を支えている基盤とはかくも脆いものかと思ったのは、私だけではないだろう。

 写真家・藤原新也の著書にも『メメント・モリ』というものがある。ガンジス川(ガンガー)のほとりで、野犬が人間の死体を食っている鮮烈な写真が掲載されていて、話題になった本だ。ちょうどバブルの末期のことだったろか。

 永井荷風のコトバを借りれば、「近年世間一般奢侈(しゃし)驕慢(きょうまん)、貪欲飽くことを知らざりし有様」(『断腸亭日常』)だったバブル期の日本人に突きつけられた「メメント・モリ」(死を忘れるな)。 

 生と死は隣り合わせ。日常のなかから死が、死体が隠されたバーチャルな世界から、一気にリアルの世界に呼び戻された日本人。

 いつ死ぬかわからない、だからこそ今日というかけがえのない一日を生きることが大事なのだとあらためて思ったのが、とくに震災発生後の一週間の日々であった。多くの日本人が、この重要性をカラダ全体で再認識したのではないだろか。

 いま「メメント・モリ」(Memento mori)とともに思い出すのは、同じく 「カルペー・ディエム」(Carpe diem)というラテン語の警句だ。ローマ初期の詩人オウィディウスの詩句からとられたもの。

 「いまを生きる」と日本語に訳されている。英語なら Seize the day、米国の作家サウル・ベローの小説のタイトルとしても使われた。『いまを生きる』という、ハリウッド映画のタイトルにもなっている。

 いつ死ぬかわからない、だからこそ今日というかけがえのない一日を生きることが大事なのだ。

 Memento mori (メメント・モリ)と Carpe diem (カルペー・ディエム)、この2つのラテン語の警句を、あえて対句として取り上げた理由である。




<関連サイト>

スーちゃん「最後の肉声」「被災者のお役に・・・」(11/04/25)(YouTube)

養老孟司×隈研吾×廣瀬通孝 鼎談:日本人とキリスト教死生観(3) (日経ビジネスオンライン 2014年3月25日)
・・世界的建築家の隈研吾が、カトリック修道院の「黙想の家」で「黙想」という宗教行事に同級生10人と参加し、2泊3日の間まったく口をきいてはいけいない状態で神父から「メメント・モリ」を叩きこまれた体験について語っている

なお、上記の対談は『日本人はどう死ぬべきか?』というタイトルで日経BP社から単行本化されている(2014年11月28日 記す)




PS ハリウッド映画 Dead Poet's Society という男子校プレップスクールを舞台にした青春ドラマ(・・日本公開時のタイトル『いまを生きる』)で主役を演じたアメリカの俳優ロビン・ウィリアム氏が亡くなった。自殺だという。コメディアンで明るい素顔を見せていたが、じつは重度の鬱病だったらしい。『いまを生きる』(Carpe Diem = Seize the Day)というフレーズで思い出すのは、あの映画と・・・だったのだが。まだ63歳、じつに残念である。ご冥福を祈ります。合掌。

⇒ Dead Poets Society (1989) Original Trailer (YouTube)

(2014年8月13日 記す)





<ブログ内関連記事>

永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む

大震災のあと余震がつづくいま 『方丈記』 を読むことの意味

書評 『マイ・ビジネス・ノート』(今北純一、文春文庫、2009)
・・文庫本表紙に印刷されている Carpe Diem(カルペー・ディエム)というラテン語の金言

スワイン・フルー-パンデミック、すなわち感染症の爆発的拡大における「コトバ狩り」について
・・ダニエル・デフォーの知られざる作品『ペスト』とエドガー・アラン・ポーの『赤死病の仮面』について触れてある

書評 『身体巡礼-[ドイツ・オーストリア・チェコ編]-』(養老孟司、新潮社、2014)-「見えるもの」をつうじて、その向こう側にある「見えないもの」を理解しようとする解剖学者の旅の記録

(2014年7月21日 情報追加)



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2011年3月28日月曜日

スリーマイル島「原発事故」から 32年のきょう(2011年3月28日)、『原子炉時限爆弾 ー 大地震におびえる日本列島』(広瀬隆、ダイヤモンド社、2010) を読む


 本日(2011年3月28日)は、スリーマイル島「原発事故」(1979年)から22年になります。このことは、『原子炉時限爆弾-大地震におびえる日本列島-』(広瀬隆、ダイヤモンド社、2010)を読んで知りました。

 「レベル5」クラスの大事故が起こる直前、たった12日前に米国で封切られたのが、ジェーン・フォンダとカーク・ダグラス主演の『チャイナ・シンドローム』。The China Syndrome (1979) HD trailerを参照(YouTube 音声に注意!)。

 この映画じたいは、炉心溶融(メルトダウン)によって、地球の反対側の中国まで影響が及ぶという、荒唐無稽な内容も含まれていますが、図らずも予言が実現してしまったことになります。


あの広瀬隆が「(反)原発本」を、なんと昨年の8月(!)に出版していた

 あの広瀬隆が「(反)原発本」を、なんと昨年の8月(!)に出版していたことは、福島の「原発事故」後の3月16日に掲載された「ダイヤモンド・オンライン」の記事をみるまでまったく知りませんでした。

 「破局は避けられるか-福島原発事故の真相」(ジャーナリスト 広瀬隆)|DOL 特別レポート|ダイヤモンド・オンライン 。まだ読んでない人は、絶対に必読の記事です。「原発事故」が「人災」であることを、いち早く日本人に向けて知らしめたものです。本日現在で、twitter のリツイート数で5,000、facebook の「いいね!」が1,000を越えてます。実際に読んだ人はもっと多いでしょう。

 本書の帯には、「危機は刻々迫っている!」とありますが、実際に「原発事故」は起こってしまいました。広瀬隆が想定していた浜岡原発(中部電力)ではありませんでしたが、地震と津波によって「原発事故」が発生するという推論とシナリオはまったく同じです。予見の書であったのです。そして、福島第一原発の事故は収拾のめどさえたっていないまま、放射能をまき散らしている・・・。

 広瀬隆というと、そのむかし『危険な話』を読んだことを思い出します。チェルノブイリ原発事故(1987年)のあと出たベストセラーの「反原発本」ですが、坂本龍一などのアーチストやマスコミ人のあいだで大流行していたと聞きました。

 チェルノブイリ原発事故が起こったとき、すでに社会人となっていた私は「これでもうヨーロッパは終わりか・・」と思ったものです。大学時代、ヨーロッパ中世史を専攻していただけに、よけいにその感が強かったのでしょう。ヨーロッパ人が福島第一の「原発事故」に異常なまでの反応を示したのは理由がなくはありません。

 「東京電力はなぜ東京に原発をつくらないのか?」、広瀬隆のこの発言は、1987年当時は極端な意見のように聞こえなくもなかかったですが、「受益者負担」という点から考えればわからない話ではありません。東京電力がなぜ新潟や福島に原発をつくるのか、東京電力管内の住民は、その意味について考えてみる必要があることは言うまでもありません。

 しかし、広瀬隆というと、今回の「原発事故」が発生するまで、『赤い楯』に代表される、国際経済陰謀もの作家というイメージが定着しているのではないでしょうか。ですから、私も広瀬隆は「原発」について書くのはもうやめてしまったのだと思っていたのです。

 「ダイヤモンド・オンライン」のこの記事は、ですから久々に「真打ち登場!」と私は受け止めました。そして目を通していくにつれ、恐ろしくなってきて・・・。読むと怖いが、現実を受け止めないと・・・。

 この記事で本書の存在を知り、さっそくネット書店に注文し、取り寄せてじっくりと読んでみました。amazon 以外には bk1 などのネット書店入手可能です(・・ただし在庫切れの可能性はあります)。


 中身について深くふれる余裕はないので、「目次」を紹介しておきましょう。

序章 原発震災が日本を襲う
第1章 浜岡原発を揺るがす東海大地震
第2章 地震と地球の基礎知識
第3章 地震列島になぜ原発が林立したか
第4章 原子力発電の断末魔
電力会社へのあとがき

 内容については、みなさんのご判断にまかせます。少なくとも、「参考資料」としてつけておいた、あの大槻教授のような「冷笑」でもって迎える内容ではありません。
 
 少なくとも中学レベルの理科の知識、できれば高校の地学と物理と化学の知識があれば、著書の論理的結論について 100%間違いだ、などとは断言できないと思います。

 「原発事故」にかんして当局の関係者は、「想定外」、「想定外」と連呼していますが、これほど聞き苦しい、無責任なコトバもほかにありません。「想定外」という言い逃れが、この国の無責任体制そのものといっても言い過ぎではないでしょう。

 最初から結論ありきの本だ、という評価が amazonレビューでは一部なされていますが、そもそも本であれ論文であれ、主張すべき点を論述するものですから、これらの評価はピントはずれと言わねばなりません。

 広瀬隆の結論を受け入れるか、受け入れないか。

 たとえ受け入れたくないと思っても、いまとなっては、巨大地震国日本ではどこであろうが、原発が安全でないことは明らかです。

 しかし、いまこの段階で原発をすべて廃炉にしたら、日本のエネルギーの 3割はまかなえなくなるというジレンマ。そうでなくても、東京電力管内では「計画停電」(輪番停電)による不便を、家庭だけでなく産業界全般が被っている状況。

 苦悩に満ちているのは、東電関係者や政府だけでなく、われわれ日本国民自身でもあるのです。引き裂かれるようなジレンマ。二者択一に振り切りやすいドイツとは違います。

 果たして、このジレンマを解決する道はあるのでしょうか? 

 実に悩ましい。実に悩ましい・・・。






著者プロフィール

広瀬隆(ひろせ・たかし)

1943年東京生まれ。早稲田大学卒業後、大手メーカーの技術者を経て執筆活動に入る。『東京に原発を!』『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』『危険な話』『柩の列島』などで原子力の危険性を訴え続けるとともに、反原発の市民活動を展開。その他の著書に『一本の鎖』『持丸長者』(以上ダイヤモンド社)、『赤い楯』『二酸化炭素温暖化説の崩壊』(以上集英社)、『世界金融戦争』『世界石油戦争』(以上NHK出版)など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



P.S. 浜岡原発の運転停止要請が首相によって中部電力に対して行われた(2011年5月6日)

 本日(2011年5月6日)、菅直人総理大臣が、中部電力に対して、浜岡原発の全原子炉について運転停止要請を行ったと報道されている。第一号炉と第二号炉はすでに廃炉は決定済み、第三号炉は現在点検のため停止中であるので、あらたに運転停止となるのは、現在稼働中の第四号炉と第五号炉となる。

 理由は、今後30年以内に 87%の確率で発生するマグニチュード 8程度東海大地震に対して、想定される震源域のまんなかに浜岡原発が立地しており、防潮対策を含めて、災害に対する防備が不十分であるため。対策が行われるまで運転停止が要請される。

 現時点では、いかなる(政治的)背景があったのか真相については明らかになていないが、大きな政治的決断であるkとは間違いないので、この意志決定については評価すべきであろう。

 ただし、あくまでも「運転停止」であって、「廃炉」ではない。今後の推移を監視していく必要がある。(2011年5月6日 記す)



<関連サイト>

「破局は避けられるか-福島原発事故の真相」(ジャーナリスト 広瀬隆)|DOL 特別レポート|ダイヤモンド・オンライン (2011年3月16日)

放射能汚染列島ニッポン、本当の恐怖はこれから-福島とともに心配な浜岡原発、今後も事故が相次ぐ危険性(広瀬隆、JBプレス、3月25日)

広瀬隆/広河隆一「福島原発現地報告と『原発震災』の真実」(2011年3月23日) ・・2時間と長いが、このビデオは値千金。ただし、内容は自分のアタマで判断を


原子力保安院の大罪-1 / 武田邦彦 中部大学教授(2011年3月21日)  
・・原発事故は「人災」である。原発推進派だが環境問題にもの申す、異端の科学者・武田邦彦(中部大学教授)の直言。関西ローカルの、やしきたかじんの番組「増刊!たかじんのそこまで言って委員会」。

武田邦彦教授より<原発緊急提言01 >「水素爆発」 2011.3.14
武田邦彦教授のウェブサイトに原発関連の「緊急情報」がアップされている

東日本巨大地震 福島原発半径20km以内の住民に避難指示(2011年3月14日) (大前研一ライブ)
福島第一原発 現状と今後とるべき対応策 (大前研一ライブ580)(2011年3月27日) 
地震発生から1週間 福島原発事故の現状と今後(大前研一ライブ579)(2011年3月19日)
・・さすがMITで原子力工学で博士号をとって、日立製作所の原子力エンジニアとして「もんじゅ」の設計にもかかわていた大前研一の解説は説得力がある

The China Syndrome (1979) HD trailer
・・ナレーションで「原発事故」が「人災」にほかならないことを語っています


<参考資料>


2010年11月30日 (火)
【原発は時限爆弾?】
 

http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-7d81.html

読者の方から、下記のメールをいただきました。

▼読者の方からのメール
(このメールは、11月16日にいただきました。)
------------------------------
Subject: 広瀬隆「原子炉時限爆弾」

大槻様

本日発売『週刊朝日』の新聞広告で広瀬隆の名前が目に付いたので、図書館で一通り読んでみました。
地震多発地帯に建っている浜岡原発で原発事故が起きれば、それこそ人的・環境被害に止まらず日本経済まで大打撃という意見と理解したのですが、この広瀬氏の主張を如何お考えでしょうか?
------------------------------
▼大槻からの回答
------------------------------
大地震のとき原発は暴走して、原子爆弾の爆発となって大惨事をもたらす、という本ですね。
本当かどうか、私には分かりません。手元にスーパーコンピューターもなければ、原発炉心のソフトもないからです。

それにしてもこの本の作者、広瀬隆という人は何者なのでしょうか。
このような結論は、放射線物理の専門家である私でもまったく分からないのに、この人は『本を書けるほど』分かっているのです。多分、東大や京大の原子力工学、原子核工学関連の学科の大学院博士課程を卒業、その後専門の原子炉設計のシミュレーションをやっている人かしら?
そうでなければ、こんな本は書けないからです。

さて、本当は広瀬隆とは何者なのでしょうか?
噂ではどこぞの大学(?)の理工応用化学出身、しかも原子力工学大学院とは無縁らしいのです。これは驚きですね。

まったくの素人が携帯電話の電磁波の強度と人体、とくに生殖細胞への悪影響をシミュレーションして警告した、という笑い話を思い出しました。
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2010年11月30日 (火)

*大槻教授も影響力のある人ですから、自分の発言には責任をもって行っているはずなので、削除される可能性は小さいとは思いますが、念のために全文を再録しておきます。オカルト・バスターの大槻教授の発言、一字一句訂正していません。本のタイトルなど出版社が売るためにつけたのに過ぎないのに。みなさんはこれを読んでどう思いますか?


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NHKスペシャル『海軍400時間の証言』 第一回 「開戦 海軍あって国家なし」(2009年8月9日放送)

大東亜戦争の開戦決定に至るまでの、集団的意志決定につきまとう「グループ・シンク」という弊害について
・・日本の国家を担うエリート層につきまとう宿痾については、海軍も陸軍もその他もすべて同じ穴の狢(むじな)であったこと、そして何ら学習効果がなかったことが、ふたたび明らかになった




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